One thought on “聴竹居

  1. shinichi Post author

    聴竹居
    http://www.chochikukyo.com/
    京都府乙訓郡大山崎町大山崎谷田31

    藤井厚二(1888年 – 1938年)
    日本の建築家・建築学者
    http://ja.wikipedia.org/wiki/藤井厚二

    1913年(大正2年)、東京帝国大学建築学科を卒業後、竹中工務店に就職。大阪朝日新聞社などの設計を手がけ1919年(大正8年)まで勤務。同社退職後から約9ヶ月間欧米諸国を巡遊。この際環境工学への関心を高めた。帰国後1920年(大正9年)、同郷の武田五一が創設した京都帝国大学建築学科に招かれ1926年(大正15年)に教授。赴任した1920年、藤井は天王山の麓、京都府大山崎の山手に1万坪もの土地を購入。この地でほぼ2年ごと計4回、自邸を建て、それを知人に譲り、また自邸を建てるということを繰り返し、これらの住宅に実際住むことにより日本の風土に適した住宅の在りようを追求した。

    1928年(昭和3年)に完成させた現存する最後の1棟は「聴竹居」と命名され、近代住宅建築の名作として名高い。この木造平屋の住宅で藤井は環境工学というアプローチから日本の気候・生活・風土と西洋的な空間構成とを融合させる優れた手法を提示した。近年、聴竹居とともに藤井は環境工学の先駆者として再び注目を浴び、多くの建築誌で取り上げられるようになった。また満蒙移民住宅にも関心を持ち、日本学術振興会の国民豊力問題考査委員会に参加し居住問題に尽力した。

    趣味人としても名を馳せ、茶道・華道はもとより、ボートや焼き物なども嗜み、敷地内にはいくつかの茶室と陶芸窯と職人用の住居もあった。洋服は神戸の中国人テーラーに仕立てさせ、和服は東京・日本橋から取り寄せた。日本で初めてオペルを購入し大学への通勤に使った。こうした美的なこだわりは建築にも反映しており、建築資材やディテールにその趣味が伺える。自著にも特漉きの和紙を使うなど、凝り性の一面を覗かせている。

    藤井は約10年間、聴竹居で暮らし、1938年(昭和13年)、住宅建築に捧げた生涯を49歳で終えている。藤井の設計したものは、京都を中心に約50件余の作品があると言われている。

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