大前研一

Omae多くの人が「プア充でいい」と考える社会は活力を失う。なぜなら、プア充が増えれば、当然のことながら付加価値を生み出す人が少なくなるからである。しかも、プア充は税金をあまり納めてくれない人々なので、社会的には負担となるばかりだ。国家に蓄えがあるうちは彼らもなんとか生きていけるかもしれないが、蓄えがなくなったらプア充だらけの国家は立ち行かなくなるだろう。
もし今のレベルの行政サービスを守ろうとして、税を負担できる大企業や富裕層の税率を上げれば、スウェーデンのように海外に逃避してしまうからである。つまり、プア充が幸せに暮らせるのは、ほんの一時期なのだ。
したがって、日本の「プア充時代」も長くは続かないだろう。おそらくスウェーデンやデンマーク、イギリスよりも短く、せいぜい数年間で終わると思う。社会を維持するコストを負担するのは勤労者だけなのに、負担する気のない“ぶら下がり”の国民が増えていくという現象が長続きするわけはないのである。
では、これから日本はどうなっていくのか。スウェーデンのように大胆な改革ができるのか? はたまたイギリスのサッチャーのように強力なリーダーシップで変わることができるのか?  残念ながら今の日本には、両方とも期待できない。

2 thoughts on “大前研一

  1. shinichi Post author

    金なくとも幸せな「プア充」時代 長くは続かぬと大前研一氏
    SAPIO 2013年11月号

    NEWSポストセブン

    http://www.news-postseven.com/archives/20131104_222708.html

     年収300万円だからこそ、豊かで幸せな日々を送ることができる──宗教学者の島田裕巳氏が自著『プア充─高収入は、要らない─』で提言し、話題となっているが、大前研一氏はそうした意見を否定している。大前氏はその理由を以下のように語っている。

     * * *

     日本の現状を見ると、バブル崩壊後の「失われた20年」の停滞によって、いくら努力しても昇進・昇給はなく、よしんば昇進したところで忙しくなるだけという状況になった。だから、個人的なライフスタイルとしてプア充を選択する人を否定はできない。

     すでに日本はこの10年あまりで手取り年収がどの所得階層も約100万円減った。それでもデモや暴動は起きていないのだから、みんな多かれ少なかれ「プア充時代」に納得しているのかもしれない。

     しかし、多くの人が「プア充でいい」と考える社会は活力を失う。なぜなら、プア充が増えれば、当然のことながら付加価値を生み出す人が少なくなるからである。しかも、プア充は税金をあまり納めてくれない人々なので、社会的には負担となるばかりだ。国家に蓄えがあるうちは彼らもなんとか生きていけるかもしれないが、蓄えがなくなったらプア充だらけの国家は立ち行かなくなるだろう。

     もし今のレベルの行政サービスを守ろうとして、税を負担できる大企業や富裕層の税率を上げれば、スウェーデンのように海外に逃避してしまうからである。つまり、プア充が幸せに暮らせるのは、ほんの一時期なのだ。

     したがって、日本の「プア充時代」も長くは続かないだろう。おそらくスウェーデンやデンマーク、イギリスよりも短く、せいぜい数年間で終わると思う。社会を維持するコストを負担するのは勤労者だけなのに、負担する気のない“ぶら下がり”の国民が増えていくという現象が長続きするわけはないのである。

     では、これから日本はどうなっていくのか。スウェーデンのように大胆な改革ができるのか?

     はたまたイギリスのサッチャーのように強力なリーダーシップで変わることができるのか?  残念ながら今の日本には、両方とも期待できない。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    大前研一は、「負担する気のない“ぶら下がり”の国民が増えていくという現象が長続きするわけはない」という。

    若い頃、日本で造船会社に勤めていた私は、ある日人事部のお偉いさんから、「みんなが船を支えて頑張っている時に、その船にぶら下がっているやつがいる」といわれた。「ボーナスを現金で受け取らず、銀行振り込みにしてください」という用紙を提出し忘れただけだったのだけれど、人事から“ぶら下がり”の社員だといわれてしまったのだ。

    その時に人事のお偉いさんから“ぶら下がり”の社員だといわれた人たちはその後、みんな会社を辞めた。私も辞めた。“ぶら下がり”の社員たちがみんな辞めて会社が良くなったかといえばそんなことはなく、会社の業績はその後、下降線を辿り続けた。

    大前研一の書き方はまるで、“ぶら下がり”の国民がいなくなれば日本は良くなるかのようだ。でも私は、“ぶら下がり”の国民がみんないなくなったって、日本の経済は下降線を辿り続けると思う。それは“ぶら下がり”の国民がいるとかいないとかとは関係ないことなのだ。

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