西暦 | 天皇 | 将軍 | 年齢 | 出来事 |
1436 1437 1438 1439 1440 1441 1442 1443 1444 1445 |
後 花 園 天 皇 |
義 教 義 義 |
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 |
義政誕生 (祖父は第3代将軍・義満、父は第6代将軍・義教)
嘉吉の乱 (義教が暗殺される) |
1446 1447 1448 1449 1450 1451 1452 1453 1454 1455 |
後 花 園 天 皇 |
義 政 |
10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 |
茶の湯 (村田珠光、24歳) 生け花 連歌 (心敬、43歳) 義政が元服を迎え、正式に第8代将軍に就任 猿楽が栄え、茶の湯・生け花・連歌などが流行 勘合貿易の復活 (1401-1411; 1432-1441; 1451-) 明銭 (永楽通宝) 、生糸、織物、書物の流入 鉱物 (硫黄、銅)、扇子、刀剣、漆器、屏風などを輸出 水墨画 (雪舟、25歳;周防で活動を始める) 禅 (一休、62歳;「自戒集」を著す) |
1456 1457 1458 1459 1460 1461 1462 1463 1464 1465 |
後 花 園 ・ 後 土 御 門 天 皇 |
義 政 |
20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 |
寛正の大飢饉 池坊12世池坊専慶 (草花数十枝を金瓶に挿し、六角堂に供えた) 猿楽 (能や狂言;観阿弥・世阿弥はもういない) |
1466 1467 1468 1469 1470 1471 1472 1473 1474 1475 |
後 土 御 門 天 皇 |
義 政 ・ 義 尚 |
30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 |
文正の政変 応仁の乱 (1467-68) 雪舟が明に渡る 公家や僧侶が戦乱をのがれて地方に下り、京都文化が地方に広がる。 文明大噴火 (桜島・御岳;1471-76) |
1476 1477 1478 1479 1480 1481 1482 1483 1484 1485 |
後 土 御 門 天 皇 |
義 尚 |
40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 |
応仁の乱が終わって武将が帰国し、戦乱が地方に広がる。 義政出家、山城の国一揆 |
1486 1487 1488 1489 1490 1491 1492 1493 1494 1495 |
後 土 御 門 天 皇 |
義 尚 義 政 義 材 義 澄 |
50 51 52 53 54 - - - - - |
加賀の一向一揆 銀閣完成、義尚早世に伴い義政が将軍代理 足利義政死没、甥:第10代将軍・義材が将軍位に就く 明応の政変 |
1496 1497 1498 1499 1500 1501 |
後 土 御 門 天 皇 |
義 澄 |
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明応地震 (東海・南海地震;M 8.2〜8.4) ・東海道大津波 (死者3万〜4万人) 朝廷がおとろえ、公家・貴族などが多く地方に下る。 |
(sk)
私たちが伝統だと思っていること、そして文化だと思っていることの多くが、
義政の頃に始まった。私たちは今、それを捨てようとしている。
障子や襖に囲まれた畳の部屋に布団を敷く代わりに、
窓のついた壁に囲まれたフローリングの部屋にベッドを置く。
義政の頃はみんなが明を向いていた。雪舟でさえ明に行っていたのだ。
明の影響は、隋や唐の影響とは比べものにならないくらい大きい。
今はみんながアメリカを向いている。
アメリカの影響は、計り知れない。
もしかしたら私たちは、
これから何百年も続く伝統や文化を創りだす時代を生きているのかもしれない。
そうだとしたら、それがマンガとアニメとゲームでないことを、願う。
それが2チャンネルとフェイスブックとツイッターでないことを、心から祈りたい。