白い玉砂利に踏みこむ。どこか、澄んだ気配が漂っているような気がした。鳥居をくぐり、作法通りの拝礼をする。祈ってはいなかった。神域にお邪魔しています、というご挨拶だけである。それでいいのだろう、とも思う。なんでも祈願すればいい、というものでもあるまい。ほんとうに祈願したい時は、別の気持ちで前に立てばいいのだ。生きていれば、そんなことも必ずあるのではないだろうか。
帰り道、やはり玉砂利が語りかけてくる。来てよかっただろう。ふだんは見えない、心の中のなにかが見えただろう。自問に近いが、どこか違う感じでもある。
この国の神々
by 北方謙三
(私とお伊勢さん 第75回; 北方謙三 第3話)
http://ise.jr-central.co.jp/magazine/bungei/pdf/bungei_19-03.pdf
玉砂利の声
by 北方謙三
(私とお伊勢さん 第74回; 北方謙三 第2話)
http://ise.jr-central.co.jp/magazine/bungei/pdf/bungei_19-02.pdf
神域の気配の中
by 北方謙三
(私とお伊勢さん 第73回; 北方謙三 第1話)
http://ise.jr-central.co.jp/magazine/bungei/pdf/bungei_19-01.pdf
(sk)
「参拝というものを、したことがない。祈る習慣もなかった」というふうに始まるこの文章は、今の多くの日本人の気分をうまく表現している。少なくとも私には、そう思える。
北方謙三がどのような人かは、不勉強のせいもあり、まったく知らない。それでも、今のこの国に生きている人だということだけは、よくわかる。そういう文章だと思った。