洪水のように、
大きく、烈しく、
生きなくてもいい。
清水のように、あの岩蔭の、
人目につかぬ滴りのように、
清らかに、ひそやかに、自ら耀いて、
生きて貰いたい。
さくらの花のように、
万朶を飾らなくてもいい。
梅のように、
あの白い五枚の花弁のように、
香ぐわしく、きびしく、
まなこ見張り、
寒夜、なおひらくがいい。
壮大な天の曲、神の声は、
よし聞けなくとも、
風の音に、
あの木々をゆるがせ、
野をわたり、
村を二つに割るものの音に、
耳を傾けよ。
愛する人よ、
夢みなくてもいい。
去年のように、
また来年そうであるように、
この新しき春の陽の中に、
醒めてあれ。
白き石のおもてのように醒めてあれ。
愛する人に
by 井上靖
シリア沙漠の少年
by 井上靖
シリア沙漠のなかで、羚羊の群れといっしょに生活していた裸体の少年が発見されたと新聞は報じ、その写真を掲げていた。蓬髪の横顔はなぜか冷たく、時速五〇マイルを走るという美しい双脚をもつ姿態はふしぎに悲しかった。知るべきでないものを知り、見るべきでないものを見たような、その時の私の戸惑いはいったいどこからきたものであろうか。
その後飢えかかった老人を見たり、あるいは心傲れる高名な芸術家に会ったりしている時など、私はふとどこか遠くに、その少年の眼を感じることがある。シリア沙漠の一点を起点とし、羚羊の生態をトレイスし、ゆるやかに泉をまわり、まっすぐに星にまで伸びたその少年の持つ運命の無双の美しさは、言いかえれば、その運命の描いた純粋絵画的曲線の清冽さは、そんな時いつも、なべて世の人間を一様に不幸に見せるふしぎな悲しみをひたすら放射しているのであった。
石 庭
by 井上靖
むかし、白い砂の上に十四個の石を運び、きびしい布石を考えた人間があった。老人か若い庭師か、その人の生活も人となりも知らない。
だが、草を、樹を、苔を否定し、冷たい石のおもてばかり見つめて立った、ああその落莫たる精神。ここ龍安寺の庭を美しいとは、そも誰がいい始めたのであろう。ひとはいつもここに来て、ただ自己の苦悩の余りにも小さきを思わされ、慰められ、暖められ、そして美しいと錯覚して帰るだけだ。
漆胡樽
落魄
友
「北国」のあとがき
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漆胡樽
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