小幡績

GPIFを日本の成長戦略として議論することは間違っている。日本経済を活性化させるために、年金を運用しているのではない。日本の株価を上昇させるために、運用しているのでもない。あくまで、国民の年金資金を増やすために運用しているのである。それ以外の目的は一切排除すべきである。

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  1. shinichi Post author

    GPIF改革は間違っている
    日本株を買う過ちと、ガバナンスの本質

    by 小幡 績

    http://toyokeizai.net/articles/-/36350

    私は2014年4月21日まで、公的年金の運用機関であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用委員というものを4年間務めた。運用委員とは、簡単に言えば、社外取締役みたいなものである。現在、「安倍政権の官邸が主導して、GPIF改革が行なわれようとしている」という報道が盛んになされている。

    私だけでなく、多くの運用委員が4月22日から入れ替えとなり、2名を除いては新しいメンバーで運用委員会が行なわれることとなった。そして、今後は、いわゆる有識者会合で議論された、ガバナンスなどの変更が行なわれることになるだろう。

    本質を外している、GPIF改革

    しかし、GPIF改革のニュースは日本国内よりも海外投資家に注目されており、私に対する取材も、ほとんどが外資系メディアと海外投資家である。そして、彼らの注目は、アセットアロケーションの変更がどのように行なわれるかである。つまり、彼らは、GPIFが今後何を運用対象資産とするのか、どの資産を買ってくるのかということにしか関心がない。要は、「日本国債を売って、株を買うのかどうか」ということである。

    これは誤った議論であり、誤った改革である。今回のコラムでは、現在議論されているGPIFの改革のどこが誤りか、本質はどこにあるのか、本当はどのような改革が望ましいのかについて議論したい。

    まず、GPIFが存在することのメリットとデメリットを整理する必要がある。

    GPIF改革議論の第1の、そして最大のポイントは、国民が自分の年金を自分で積み立て、自分で運用するのか、政府に預けて、政府が委託してGPIFが運用するのがいいのか、というところにある。

    理論的には、政府が余計なことをするよりも個人の自由に任せたほうがいい、という考え方が強力であり、反論はしにくい。問題は、理論と現実は異なるということである。どう異なるかというと、人間は愚かだ、という現実である。人間が愚かであるとすると、愚かな個人が自分で運用するよりも、優れた専門家集団の専門的な組織に委ねた方がいいことになる。これが、GPIFの存在意義だ。

    今回の議論ではカバーできないが、そもそも公的年金が必要か、という議論もありうる。各個人で私的年金を積み立てる、つまり、自分で証券会社や銀行で金融商品を買っても良いし、生命保険会社などで年金商品を買ってもいいのではないか、ということだ。

    これは、個人に任せると、つい使ってしまい積み立て不足になり、実際に老後に資金が必要なときに十分な貯蓄がなく、また収入もないため、生活保護に陥ってしまう人々の割合が高くなってしまう。これを防ぐために公的年金を整備するということだ。政府が家父長的な役割を果たすわけで、したがって、家父長制度が実質的に存在し、親族が物理的、金銭的面倒を見るのであれば必要がない。逆に言えば、そのような制度が崩壊したために、社会保障を親族や共同体ではなく、政府が担うようになってきたのである。

    しかし、生活保護的なものだけ残して、残りは私的年金へ移行すべきだという議論もありうる。今回はこれは議論しない。公的年金の制度は存在しており、制度廃止の議論をするとしても、当面は公的年金制度も、その中で生じてきた積立金は残るからであり、その積立金が残る以上、その運用は必要になるからだ。

    個人で運用すべきか、政府に委ねるか

    したがって、ここでは、個人で運用をするべきか、政府に委ねるか、という問題になる。

    まず、個人で自己運用をする場合、つまり、自分で株式と債券、不動産などの資産配分を行い、株式などの銘柄を自分で選ぶということである。これは、あまり一般的ではない。多くの個人は、証券会社や銀行、信託銀行などに行き、アドバイスを受けながら、それらの金融機関の販売する金融商品を買うことになる。これらの金融機関も自身で運用している場合もあれば、運用会社の金融商品の販売代理店になっている場合がある。
     
    このような運用方法の何が問題か。それは、個人は、運用に関してはとても愚かであるだけでなく、愚かでなくとも儲けることができないという問題である。

    つまり、これは日本に限ったことではなく、投資信託大国の米国でも同じであるが、ほとんどの投資信託は儲からない。手数料まで勘案すると、継続的に個人投資家にプラスのリターンをもたらし続ける投資信託(ファンド)は、一つもないという実証研究の結果もある。これには二つの理由があり、継続的に、毎年プラスのリターンを上げる投資信託はほとんどない、ということが一つ。勝つ年もあれば負ける年もあるということである。
     
    しかし、長期的に見れば平均的には儲かるということであれば、それは問題にならないのだが、第2に、手数料が長期には大きなものとなりすぎることがあり、これが大きい。長期的に見ると、銀行預金や米国や日本の長期国債を買い続けるのに必ず負けてしまうのだ。したがって、個人投資家万人にお勧めできる運用方法というのは存在しないのだ。
     
    さらに、人間は愚かであり、個人で資産運用を金融資産で行なう際には、愚かさは倍増する。多くの個人が売るべきときに買い、買うべきときに売るのだ。たとえば、株式はいったん上がり始めればある程度の期間上がり続けるが、個人は塩漬けにしていた株が上がって、買値を上回ればそこで売ってしまうが、そのような場合は、上がり続けて下がり始めてから売った方が多くの場合リターンが高いことが知られている。
     
    また、株価がある程度上がり続けると、普段あまり株式を取引しない個人が株を買い始めるが、そのときはそろそろピークで、高値づかみとなり、その後長期間売れずに塩漬けにしてしまうことが多いのだ。
     
    つまり、個人の非合理性、産業構造における個人の不利なポジションから、個人の金融資産の運用はかなり難しいことになる。

    GPIFの運用をめぐる、2つの構造問題

    では、政府に委託した場合はどうか。それはGPIFの能力にかかっているのは事実だが、それ以前に構造的な難しさがある。運用を阻害する2つの要因として、「委託」という構造そのものの問題=「エイジェンシー問題」と、そこから派生する「透明性の要求」あるいは「説明責任」という問題がある。

    委託によるエイジェンシー問題とは、おカネを出している出資者は国民であり、それを取りまとめているのが、「政治」であり「政府」であるのだが、それを運用するのは、委託されたGPIFという運用機関であり、それぞれの主体のインセンティブは異なるから、そこにひずみが生まれる。

    国民個人のそれぞれの意向と、政府の意向、政治の都合、GPIFの行動性向は、それぞれ異なるから、国民の意向に沿った運用がなされない可能性が高い。これが委託のひずみであり、年金運用に限らず、委託という関係があるすべての事柄に生じるエイジェンシー問題であり、株主と経営者の問題がその典型である。

    この問題を緩和するのが、ガバナンスであり、それが企業の場合はコーポレートガバナンスなのであるが、GPIFのガバナンスも、そのように位置づけるべきである。しかし、ガバナンスはリターンを殺す。これが残念ながらこれまでの学会の研究、投資家からの経験則である。つまり、ガバナンスに関するさまざまな措置を採ればとるほど、平均的なリターンは低下していくのである。その元凶が「透明性の要求」であり「説明責任」である。
     
    透明性をGPIFに要求するということは、投資方針を国民に開示せよ、ということになる。さらには、投資の意思決定のプロセス、これから行なうこと、そして現在の状況を報告せよ、ということになる。これをやったら投資家は負ける。あまたのライバルにすべて手の内をさらけ出すことになり、日本株をこれから買うという方針を宣言すれば、それは他の投資家に先回りされ、実際に買うときには高値で売りつけられるし、現在の資産状況が細かく明らかになれば、そこを狙って売り浴びせられることもある。
     
    平常時に置いても、手の内を明かしていいことは一つもない。唯一あるとすれば、投資家としてのサイズが大きいことを利用して、戦略的な情報開示をして、GPIFに追随することが有利であると他のすべての投資家に思わせることであり、世界の最有力の投資銀行やヘッジファンドは、この手法に成功したこともある。しかし、これは、公的年金という立場からは難しく、政治的には、投資家の意向を受けた他の国々の政府から総攻撃を受けるため、実行不可能な戦略である。

    運用者が陥る「わな」

    だから、事前の透明性を犠牲にして、事後の「説明責任」でガバナンスを担保しようというのが一般的な戦略となる。GPIFの運用委員会の議事録も7年後に公開であり、日銀の政策決定会合も10年後に公開で、即時に公開すると手の内がばれるので開示しないが、事後的な検証のために将来に公開することにコミットさせるのである。
     
    これは公的年金にとどまらず、出資者から委託されて運用している、ほとんどすべての運用者が陥るわなである。結局は、出資者の資金を運用しているから、リターンが100%自分のものになるわけではない。投資はなかなか難しく、正しいことをしていれば必ず良い結果が出るとも限らない。
     
    出資者は説明責任に固執し、事後的に、とりわけ損失が出たときには感情的になり、責任追及してくる。このようなひずみがあるから、運用者としては、分かりやすい運用方針、説明しやすい運用方法に傾きがちとなる。それが、時価のある資産への投資バイアスであり、他の投資家が運用している資産や運用手法への追随である。つまり、時価で買っていたのだから割高だったわけではない、みんながやっていたことであり、当時はバブルだとは誰もわからなかった、といったいいわけがしやすい投資スタイルに陥ってしまうのである。
     
    このように、公的年金の運用ということは、国民という出資者の意向を踏まえなくてはならず、さらに悪いことに、よりぶれることの大きい政治という媒介者も入っていることから、ガバナンスという名の下に、中途半端な意思決定への介入があればあるほど、運用におけるリターンは犠牲にされるのである。

    では、どうすればいいか。

    それは「信頼」につきる。

    国民が政治を通じて専門機関に委託するという構造は、現実的には不可避であるとすれば、GPIFが政治と国民に信頼されなくてはならない。彼らの全幅の信頼が得られれば、そして、その信頼が正しいものであるならば、GPIFを信頼して、彼らがベストだと思う運用に任せる。これしかない。成功している(しかし、ほんの少ししか存在しない)投資家は、過去の実績や、余裕があり、目利き能力の高い出資者に支えられることにより、自由な運用を行い、成功してきている。

    GPIFを信頼し、任せる土壌を整えよ

    そして、この信頼を醸成し、維持するものが、本当の「ガバナンス」なのである。それには、目利き能力が高くないといけない。国民にも政治にもだ。最適な人材を選び、それは公的な正義感と、運用の能力と、その両方を兼ね備え、そして、民間の運用者であれば、年間数億、いや十数億稼げるという機会を犠牲にして、公的年金の運用に身を捧げる人、そのような人を見つけ、見抜かなくてはならない。そして、その後は、任せるしかない。

    説明責任を緩和することにより、いわゆるベンチマークも、アセットアロケーションも、大枠は決めておくことにより、信頼を担保すると同時に、信頼していれば、柔軟に、現実の運用環境の変化に応じて、適切に対応する自由を運用者が得られることになる。時価のある資産に限定されなければ、より高いリターンが得られる。

    株式であれば、上場され、時価があり、流動性があることにより、そのメリットがあり、多くの運用者がそれを好んで買うために、常に割高になっているから、それを犠牲にすれば、その分のリターンが得られる。だから、運用の改善とは、日本の上場株を買うこととは違うのである。

    このような運用を可能にするのが、GPIF改革であり、ガバナンス改革なのである。そのためにはまず、目利きの能力を高め、そこにエネルギーをまず投入する必要がある。次に、国民の信頼および信認を得るために、時間をかけて、相互理解を深めることである。そうであれば、リーマンショックのような暴落が起きたときでも、その瞬間に、やはりリスク資産の運用は危険だ、ということで、もっともチャンスであるときに、売ってしまうということが起きない。それを可能にするのは、GPIFは闇雲にリスクをとろうとしているのではない、短期の功績を焦って運用しているのではなく、長期に渡ってリターンを向上させるためにやっているということを共通認識として持つことが必要である。

    そのためには、国民の真のリスク許容度を国民自身に認識させ、明示的に自己で納得させることが必要であり、このプロセスは、困難だが避けては通れない。
    さらに言えば、短期に右往左往することは、長期投資に置いては最悪の運用行動であり、改革は必要だが、時流に流された改革は最悪である。

    真のGPIF改革に必要な視点

    最後に、GPIFを日本の成長戦略として議論することは間違っている。日本経済を活性化させるために、年金を運用しているのではない。日本の株価を上昇させるために、運用しているのでもない。あくまで、国民の年金資金を増やすために運用しているのである。それ以外の目的は一切排除すべきである。

    したがって、日本経済に資するのであれば、それは望ましいが、あくまで結果であって、目的ではない。そして、現状ではホームバイアス、つまり、自国の資産に配分を傾けすぎるという典型的なひずみが存在しており、それは日本国債に偏っているのは最も大きなひずみであるが、同時に、日本株式と海外株式とがほぼ同じぐらいというアロケーションは第二のホームバイアスであり、世界のGDPの1割弱の日本経済、日本市場であれば、それに応じた配分をするべきであり、リターンを上げるチャンスは、日本にもあるが、世界中にはそれ以上にあるのである。

    当然、リスク資産とは株式だけではない。本来であれば、時価や流動性をそれほど重視しなくて済むというメリットのある長期運用の年金資金であれば、安定した収益が継続的に上がる、不動産やその他のアブソリュートといわれる運用手法を積極的にとるべきである。

    GPIF改革は重要であり、これまでも多くの制約条件がありすぎ、ベストな運用が実現できていなかった。今回、改革を行なうことは素晴らしいことである。だからこそ、改革は、冷静で、長期を見すえたものにしなければならない。

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