松原哲明

ある、雨の降る日であった。玉鳳院の方丈から関山慧玄が大声で弟子に呼びかけている。
「おい、何か入れものを持って来い」
すると弟子はとっさに傍らにあったザルを持って関山慧玄の室に入る。それを見ると、関山慧玄は二コ二コ笑って弟子をほめる。しばらくしてもう一人の弟子が、オケを持って駆け込んで来た。すると関山慧玄は、そんなものが何になる! と叱り飛ばしたという。
読者の皆さまはここに来て困惑されているはずだ。それが筆者ら禅僧には面白い。説明しよう。
私は、禅問答のやりとりは、電光石火であり、間髪をいれぬものでなければならぬと言った。問題が発せられたら瞬時に応じることが禅の肝要であるとした。だから、ここで関山慧玄が、雨の日に「おい、何か入れものを持って来い」と大声を発したのは、禅問答であった。即座に弟子は、ザルをかかえて関山慧玄の方丈に駆け込んだ。それをほめたのは、弟子の電光石火の働きに対してである。もう一歩すすめて、空手でかけ込み両手で受ける仕草の弟子がいたら、あるいは口を開けてかけ込む僧がいたら、その機智に関山慧玄はどんなにか喜んだことだろう。そういう即時性、現実性、日常性を禅は尊重する。
一方、しばらくしてオケを持って駆け込んだ弟子が叱られたのは、しばらくしてという緩慢さが禅に不似合いだということからである。「おい、何か入れものを持って来い」と言われたとき、この弟子は頭を働かしたにちがいない。”雨、何か入れもの=雨もり=オケ”と連想したはずだ。そして、オケを持ち込んだのだが、時間がかかりすぎた。関山慧玄の問いは、何か入れものを持って来いというのであって、入れものなら何でもよかった理屈である。その問いに、無心で、しかも雨の日にザルをかかえて部屋に飛び込む型破りの弟子をすばらしいとほめたのは、禅的あたり前なのである。因に、雨の降る日に、ザルを持ち込むよりオケの方が一般的には正しいだろう。だが、しばらくしてという緩慢さを禅では嫌っただけのことである。いや、こんなやりとりを説明していたら、筆者は慧玄につき出されてしまうだろう。

One thought on “松原哲明

  1. shinichi Post author

    名僧臨終の言葉

    関山慧玄
    あじろ笠に脚絆のいで立ちで立亡する

    おい、何か入れものを持って来い

    by 松原哲明

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