大谷恭子

法廷は、提出された限られた事実から真実と正義を求めていくしかない。これは決してすべての事実ではないし、実体的正義ではないのだ。裁判での“真実と正義”は、所詮その程度のものでしかない。人間の営みとしては、なるほど工夫され、間違いが少ないようにはなっているが、決して“絶対”ではない。おおよそのところはこの人間の英知の結果を信じるしかないのだが、しかし、果たして、人一人の生命を奪うに足る“真実と正義”かとなると、私には、それは違う、としか言えない。

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