グループ一九八四年

かつての時代の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じてテストした知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、しかし少なくともかれらの生きている生活空間に関しては現代人の到底及びえない賢明さと生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の直接経験をしっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま、皮相な知識の請け売りで、アラブがどうした、韓国がどうだと世界中の出来事に偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。こうした思考力、判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に満ちあふれ、恐るべき情報汚染を惹き起してくる。情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間はやがて幼稚な狂信者となり、暗殺をしたり、ハイジャックをしたりする犯罪者と化していく。われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化のメカニズムを直視し、これを克服するための新しい努力を全力を挙げて開始せねばならないと思う。

3 thoughts on “グループ一九八四年

  1. shinichi Post author

    日本の自殺

    by グループ一九八四年

    グループ一九八四年は、日本の匿名グループ。1974年から1977年にかけて、『文藝春秋』誌上に7本の論文を掲載した。

    「日本共産党「民主連合政府綱領」批判」 1974年6月号
    「日本共産党への再批判」 1974年8月号
    「日本の自殺」 1975年2月号
    「現代の魔女狩り-日本社会は狂っていないか」 1975年12月号
    「魔女狩り的思考の見本―「現代の魔女狩り」への反論を読んで」 1976年2月号
    「腐敗の研究」 1976年6月号
    「日本の成熟-5700万票の政治学」 1977年2月号

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  2. shinichi Post author

    小松左京氏は『日本沈没』という極めて優れた風刺的作品を発表したが、われわれの問題意識は、日本沈没の可能性が単に地質学的レベルで存在するのみならず、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでも存在しているのではないかということであった。もしかすると、日本は地質学的に“沈没”してしまうはるか以前に、政治的、経済的、社会的に“沈没”してしまうかもしれない

    **

    ギリシャの没落の原因は、欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埓とを通じて社会秩序を崩壊させていったというのである。

    **

    過去のほとんどすべての没落した文明は、外敵の侵入、征服、支配などのまえに、自分自身の行為によって挫折してしまっていた。ほとんどすべての事例において、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての“自殺”だったのである。

    **

    つまり、没落の真の危険は、日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦しようという創造性と建設的な思考を衰弱させつつあることのなかに、また日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、長期の未来を考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危険のなかに存在するというべきなのである。現在の日本社会のなかに働いている自壊作用こそ真に恐るべきものであり、これこそが、一切の束縛から解放された自由精神が全力を挙げてたたかっていかなければならないわれわれの「内部の敵」なのである。

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    豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の高騰を招き、他方で生産、消費の過程での廃棄物が増大して環境の質の悪化をもたらす。

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    使い捨ての生活様式は、単に資源の浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらすのみならず、その生活の質の点で大きなマイナスの副作用をもたらす。使い捨て的な生活は一時性、新奇性に高い価値を与えるが、このように人間とものとの関係がかりそめの一時的な関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に極めて安定を欠いたものとなる。欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつになっても充足感が得られない状態になってしまうのである。

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    生活環境が温室化すればするほど、教育は人為的にでも厳しい挑戦の場を子供たちに提供すべきなのに、教育はのちにも触れるように過保護と甘えのなかに低迷していた。こうして、自制心、克己心、忍耐力、持続性のない青少年が大量生産され、さらには、強靭なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かな感受性、責任感などを欠いた過保護に甘えた欠陥少年が大量に発生することになった。

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    「判断能力の発展段階からみて、それ相応以下に振舞う社会、子供を大人に引き上げようとはせず、逆に子供の行動に合わせて振舞う社会、このような社会の精神態度をピュアリリズムと名付けようと思う。今日、このピュアリリズムは日常茶飯事にわたってみられ、その例はどこにでも転がっている」。そしてこの精神状況を特徴づけるものは、「適切なことと適切ではないことを見分ける感情の欠落、他人及び他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳の無視、自分自身のことに対する過大な関心である。判断力と批判意欲の衰弱がその基礎にある。このなかば自ら選びとった昏迷の状態に、大衆は非常な居心地のよさを感じている。ひとたび倫理的な確信のブレーキがゆるむや、いついかなる瞬間にも危険極まりないものとなりうる状況がここにある」

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    現代人はこの便利な技術世界のなかにあって、文字通り子供のように振る舞っている。押しボタンを押すだけで、かれはいながらにしい世界中をあちらこちらと覗き込むことができる。ボタンを押すだけで、パンが焼け、飯が炊け、洗濯物が仕上がり、部屋が涼しくなる。街角ではやはり、ボタンを押すだけで、自動販売機からたばこや缶ジュースや週刊誌が飛び出してくるし、切符を買うだけで飛ぶ機械や走る機械が自動的にどこへでもかれを連れて行ってくれるのである。
    押しボタンの世界の中で生活していくのに、現代人はどれほどの思考力、判断力が必要とされるであろうか。

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    かつての時代の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じてテストした知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、しかし少なくともかれらの生きている生活空間に関しては現代人の到底及びえない賢明さと生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の直接経験をしっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま、皮相な知識の請け売りで、アラブがどうした、韓国がどうだと世界中の出来事に偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。

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    マス・コミュニケーション発達は一方において人間経験の世界を、各個人が直接経験できる時間・空間の限界を越えて外延的に拡大させる。ところで他方、この外延的に拡大した経験世界の内容はますます希薄化し、断片化し、空虚なものとなる。それはこの外延的に拡大した間接経験の世界ないしは記号経験の世界がますます現実の各個人の直接的生活経験と遊離し、自らの直接経験と思考を通じてのその両者の対応をつけたり、その妥当性を検討することが一層困難になってくるからであり、その大量の間接経験のバラバラな断片をひとつのトータル・イメージに合成することがますます難しくなるからである。

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    膨大な現在進行型の情報の氾濫のなかで情報のライフ・サイクルは短縮化し情報は消耗品化し、情報使い捨ての傾向が極端になってくる。大量高速情報から自己を防衛するひとつの安易な適応方法は、忘れっぽくなること、つまり健忘症になることであり、歴史的な連続性の感覚を喪失して刹那主義的な生き方を採用することである。こうして、一時性の情報環境のなかで深い人間的感動をともなう経験の昇華の余裕のないままに、浅薄な好奇心だけが肥大化させられ、人間は精神的・情緒的安定を失って「今、今、今……」をうわべだけで追い求めるようになる。

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    本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じてはじめて可能となるものであるのに、この思考のプロセスをじっくりと通過させないために、短絡型の、論理的思考能力のない人間が量産されてくることにもなる。

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    大量に見られる現象はニュース・バリューがないとして記事にならず、異常現象だけをこれでもか、これでもかとばかり拡大してみせつけるというメカニズムが異常に肥大化し、その結果、マスコミは異常な、虚構の世界を作り上げることとなり、国民の欲求不満を異常に高めることになったのである。

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  3. shinichi Post author

    「文藝春秋」に再掲載の『日本の自殺』・・・再掲載に作為性を邪推

    by 傍観者の独り言

    2012-02-12

    http://blog.goo.ne.jp/nonasi8523/e/37a0be981de70e01df9c2c470620c920

    「文藝春秋」(3月特別号)に、37年前に掲載された『日本の自殺』(共同執筆・グループ1984年)の再掲載がネットで話題になっていますが、諸文明の没落の分析・考察は納得性があるが、最後の没落を阻止するための第二の教訓に、”「自立の精神と気概が失うとき、その国家社会は滅亡するほかはないということです。福祉の代償の恐ろしさはまさにこの点にある。」”という語句に接すると、再掲載に何か恣意的な部分を邪推しますね。

    「文藝春秋」に再掲載された『日本の自殺』(共同執筆・グループ1984年)については、「J-CAST」が記事『「文芸春秋」が37年前の論文「日本の自殺」を再掲載 朝日新聞の「エール」に応える』で、12年1月10日に朝日新聞1面「座標軸」という大型コラムに若宮啓文主筆「『日本の自殺』を憂う」という見出しで、37年前の文藝春秋に掲載された『日本の自殺』を取り上げ、国家破綻(日本の自殺)が現実味を帯びている感じられ、”「与野党とも政局や選挙の利害ばかりを考えず、明日への責任を心に刻んで大人の議論をすること。それが『自殺』を避ける道である」”と結んでおります。

    「文藝春秋」(3月特別号)は、『日本の自殺』をトップ記事で再掲載し、当時の田中健吾・編集長の談話を掲載し、掲載当時の参院は与野党伯仲の国会状況で、共同執筆陣「グロープ1984年」の「日本共産党『民主連合政府綱領』批判」論文を紹介され、その後「グロープ1984年」の『日本の自殺』を掲載したとし、「グロープ1984年」の中心人物は、元学習院大学教授の香山健一氏と明かしています。

    『日本の自殺』の概容は、

    書き出しが、文明の発生、成長、没落の過程を考察し、内部的要因が没落の主因とし、日本は、「小松左京」の「日本沈没」の地質学的レベルの存在の前に、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでの文明論的な性格をおび、日本経済は、難題の処理を誤ると日本を没落に追いやりかねないいくつかの重大な困難に直面している提起。

    難題には、
    第一難題:資源、エネルギーの厳しい制約
    第二難題:環境コストの急上昇
    第三難題:労働力需給の逼迫と賃金コストの急上昇

    ”「日本社会がその生命力を失わず、自律性と「自己決定能力」を失わない限り、これらの困難は決して克服できないものでないだろう。日本の没落の危険は資源問題や輸出市場などの客観的、外部的、物質的制約条件のなかに存在するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的条件のなかにこそひそんでいるのである。」”

    ”「現在の日本社会のなかに働いている自壊作用こそ真の恐るべきものであり、これこそが、一切の束縛から解放された自由精神が全力を挙げてたたかっていかなければならないわれわれの「内部の敵」なのです。」”

    この「内部の敵」を、

    【豊かさの代償】
    第一:資源の枯渇と環境破壊
    第二:・使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に与えるマイナスの諸影響
    ・単に資源浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらす
    ・生活の質の点でマイナスの副作用
    絶えず新しい物を追い求める欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつになっても充足感が得られない状態に
    第三:便利さの代償:豊かさの代償
    季節感やきびしい自然によって鍛えられる機会を失い、いわば生気のない”ブロイラー人間“と化していきつつあった。
    戦後日本の繁栄は、他方で人々の欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。
    この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用のメカニズムの基盤をなしていったと。

    現代の日本社会に内在する自壊作用のメカニズムを追跡し、豊かさの代償、便利さの代償を経て、情報化の代償作用へ

    情報化の代償

    昭和47年の5月~6月発生した東京都練馬区石神井南中学での光化学スモックによる集団的被害、
    洗剤、砂糖、トイレットペーパーなどの物不足騒動、原子力船「むつ」の漂流廃船、
    情報汚染の破壊力、心因性のトラブル、集団ヒステリー多発するのか?の事例を掲げ、
    第一:社会的コミュニケーションという巨大な神経系そのものの神経発作を通じて集団ヒステリーが触発され、日本社会全体が一種の発狂状態に陥りつつある現在、わが国の社会は、この恐るべき新しい種類の社会神経症により大量幻覚症状を呈し始めていたと診断される。
    第二:情報過多に伴う各種の不適応症状の問題
    第三:情報の同時性、一時性と関連し、
    大量高速情報から、浅薄な好奇心だけが肥大化させられ、「今、今、今・・・」のうわべだけを追い求めるようになる
    第四:情報受信と発信の極端なアンバランス
    マスコミを通じて入手した「他人の意見」の不正確な受け売りに過ぎない主体的思考のプロセスを経ていない「自分の意見」
    第五:ニュース・バリューの変容し、マス・メディアによる異常情報、粗悪情報の過度拡散傾向となって、マスコミは異常な、虚構の世界を作り上げることになり、国民の欲求不満を異常に高めることとなったと。

    自殺(没落)のイデオロギー

    いままでの自壊作用の分析から、極端な平等主義のイデオロギーが背景にある
    教育の世界に広がる悪平等主義のイデオロギーほど強力な「自殺のイデオロギー」はないと。
    平等主義のイデオロギーに限らず、「戦後民主主義」という名の疑似民主主義のイデオロギーは、全て現代日本の「自殺のイデオロギー」として機能している。
    本来の民主主義とは明確に異質の疑似民主主義の
    第一の徴候群は、独断的命題の無批判的受容から出発する、政治上の救世主主義の一種だと
    第二の徴候群は、その画一的、一元的、全体主義的性向、多数決原理の誤用
    第三の徴候群は、その権利の一面的強調の仕方、 義務と責任の重要性が強調されない
    第四の徴候群は、批判と反対のみで、建設的な提案能力が著しく欠ける
    第五の徴候群は、エリート否定、大衆迎合的な性格
    第六の徴候群は、コスト的感覚の欠如・・・大衆の人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかない

    と分析し、没落を阻止には、諸文明の没落の歴史の教訓から
    第一の教訓:国民が狭い利己的な欲求の追及に没頭して、みずからのエゴを自制することを忘れるとき経済社会は自壊していく以外にはないと。
    第二の教訓:国民がみずからのことはみずからの力で解決するという自立の精神を気概を失うととき、その国家社会は滅亡するほかはないということ。
    福祉の代償の恐ろしさはまさにこの点にある。
    第三の教訓:エリートは勇気と自信をもって主張すべきことは主張せねばならない
    第四の教訓:年上の世代は、いたずらに年下の世代にこびへつらってはならない。
    第五の教訓:人間の幸福や不幸というものが、決して賃金の額や、年金の多い少ないや、物量の豊富さなどによって計れるものではない。
    欲望の肥大化のサイクルから解法され自由にならない限り、人間はつねに不平不満の塊りとなり、欲求不満にさいなまれ続け、心の安らぎを得ることができないであろう。

    と回避の教訓を掲げ、
    ”「歴史的事実に照らしてみるとき、確かに第二次大戦後の日本は物質的にはめざましい再建をなし遂げてたが、精神的には未だにほとんど再建されてはいない。道徳は荒廃し、人心はすさみ切って、日本人の魂は病んでいる。日本はその個性を見失ってただぼう然と立ちつくしたままである。未来の歴史家はこの時代をどう見ることになるのであろうか。そして生まれてくる若き未来の世代はこの病める日本をどうしようとするであろうか。」”
    と結んでいます。

    当方は、『日本の自殺』の問題提起には、大部分は共感できます。

    ただ、前述の田中健吾・元編集長は、当時の状況を、日本社会党(現・社民党)と共産党が連合すれば政権をとれる可能性があったとし、彼らが強く主張してきたのは「日本の社会主義化」ではなく、福祉の充実や弱者救済であり、大企業の横暴という訴えです。
    今日でいえば、「政権交代」への熱狂と大阪維新の会、名古屋の減税日本のような、地方政党への熱狂が同時におこったいる時代だったで、メディアにも論壇にも、革新系勢力による政権交代を待望する声が多く、それに疑問を投げかければ、集中砲火を浴びまねない雰囲気だったと。
    そこに登場したのが「グループ1984年」でしたと。

    ”「日本の自殺」は、有史以来、多くの文明において、国民が利己的な欲求の追及に没頭し、難局をみずからの力で解決することを放棄するようになり、しかも指導者たちが大衆迎合主義に走った時、それは「パンとサーカス」をもてはやす当時の日本のメディアと大衆に対する、厳しい諫言でした。」”

    ”「今の日本は、国家予算の十年分もの借金を抱えながら、過剰な福祉政策で予算をバラ撒き、ギリシア、イタリアの財政危機を横目にまだ大衆に迎合しているようにも見えます。すでに掲載から37年が経ちましたが、「日本の自殺」がますます近づいているような気もしています。」”
    と結んでいます。

    朝日新聞の1月10日の「座標軸」コラムに若宮啓文主筆「『日本の自殺』を憂う」については、斜め読みしたが、「消費増税のチョウチン記事か!」という印象でしかありませんね。
    『日本の自殺』を一読し、疑似民主主義の考察など大部分は共感したが、何か、「働かざる喰うべからず」というのか、庶民大衆を愚衆とみているのかという感想で、最後の”「第二の教訓:国民がみずからのことはみずからの力で解決するという自立の精神を気概を失うととき、その国家社会は滅亡するほかはないということ。
    福祉の代償の恐ろしさはまさにこの点にある。」”に接し、論文に違和感を感じましたね。
    元編集長が、『(掲載)当時は、参院は与野党伯仲の国会状況のなかで「左派政権」が誕生する可能性だった』と状況下に、「グループ984年」が登場と語っているのを接して、成る程ナアーを思いましたね。

    ノンポリで、どちらかと言えば体育会系の当方は、『日本の自殺』の掲載された頃は、駆け出しの会社人で、仕事を覚えるのに精一杯であり、政治には無関心でしたが、身近な身内に、香山健一・学習院大学教授のゼミ出身がおり、「やれ、未来学」が云々と聞かされ、尖った意見という印象であり、現場から遊離していると思っていました。

    大熊由紀子様のブログ「ゆき。えにしネット」のエントリー『物語・介護保険 第2話 デマと「日本型福祉」(月刊・介護保険情報2004年5月号)』で、

    ”「高齢者の運命を狂わせる政策登場

     福祉バッシングが吹き荒れるきっかけは、奇しくも、中村さんが入省した73年の10月に起きた第4次中東戦争でした。
    石油の価格が4倍にも跳ね上がりました。「安い輸入石油」という大前提が崩れ、田中首相の日本列島改造路線は暗礁に乗り上げました。
    翌74年、戦後初めてのマイナス成長。そんな中で脚光をあびることになったのが「日本型福祉社会論」でした。

     75年、村上泰亮東大教授、蝋山昌一阪大教授が『生涯設計計画-日本型福祉社会のビジョン』(日本経済新聞社)を刊行。同じ年、「グループ1984年」を名乗る匿名集団が文藝春秋2月号「日本の自殺」で強調しました。
    「福祉は自律の精神と気概を失わせる」「その恐ろしさを悟らなければならない」と。
    後に臨時行革をリードすることになる土光敏夫経団連会長はいたく気に入り、コピーを配って回った、と毎日新聞政治部の『自民党-転換期の権力』(角川文庫)は記しています。

     翌76年には村上泰亮、佐藤誠一郎、公文俊平、堤清二、稲盛和夫といった学者・企業人で構成された「政策構想フォーラム」が、「新しい経済社会建設の合意をめざして」という提言をまとめ、「国家に依存する脆弱な人間をを作り出す英国型、北欧型の福祉であってはならない」と主張しました。
    78年には、香山健一の「英国病の教訓」(PHP研究所)……。
     一連の主張の特徴は、根拠に乏しい福祉先進国批判を展開した上で、自助努力、同居家族の相互扶助、民間活力、ボランティアの活用に期待を寄せたことでした。
    自身が介護する側になることなど、夢にも考えていない男性たちが筆者だったことも共通していました。

     このような風潮を背景に、79年5月、日本のお年寄りの運命を狂わせる政策が誕生しました。経済審議会が大平首相に答申し、閣議決定された「新経済社会7カ年計画」に日本型福祉が盛り込まれたのです。
    自民党はこの年の9月に自由民主党研修叢書「日本型福祉社会」を出版しました。さらに、82年、「日本型福祉社会の構想」を打ち出し、厚生行政を制約してゆきました。」”

    と記述しています。

    当時は、政治、福祉も他人事であったが、福祉分野の人間にとっては、『日本の自殺』は、
    ”「同じ年、「グループ1984年」を名乗る匿名集団が文藝春秋2月号「日本の自殺」で強調しました。
    「福祉は自律の精神と気概を失わせる」「その恐ろしさを悟らなければならない」と。」”
    とあるように、社会保障の充実への障害になったのでしょうね。

    『日本の自殺』を執筆した「グループ1984年」のメンバーも、『日本の自殺』を掲載・再掲載した「文藝春秋」の現・元編集長も、朝日新聞の若宮啓文主筆も、時の政権に媚をうる商売人間と連想しますね。
    『日本の自殺』で、没落を阻止する歴史の第三の教訓に、”「エリートが精神の貴族主義を失って大衆迎合主義に走るとき、その国は滅ぶということである。・・・・」”と書いているが、当方には、朝日新聞の若宮啓文主筆も、「文藝春秋」の現・元編集長も知的「エリート」であり、大衆迎合ではなく、「政府迎合主義」に走っており、「日本の自殺」を促進させているとしか思えないですね。

    マアー、エリートも「皆、宮使い」ですから・・・・。
    『日本の自殺』の日本の没落阻止の回避には、何か、小沢一郎氏の政治理念「自立と共生」を連想しますね。

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