姜尚中

それでは今日、「愛国」とはどんなスタンスを意味しているのでしょうか。やや図式的に言えば、地域=郷土(パトリア)の再生とアジアとの結びつきこそ、「愛国」の目指すべき理想なのではないでしょうか。「愛国」が本来、「パトリア(郷土)」への愛に他ならないとすれば、凄まじい勢いで荒廃の一途を辿りつつある地域の再生こそ、まず「愛国」が取り組むべき課題に違いありません。
私が「ナショナリズム」と言う場合に真っ先に考えるものは、人間が昆虫と同じように分類できるものであり、何百万、何千万という人間の集団全体に自信をもって「善」とか「悪」とかのレッテルが貼れるものと思い込んでいる精神的習慣である。しかし第二には-そしてこの方がずっと重要なのだが-自己を一つの国家その他の単位と一体化して、それを善悪を超越したものと考え、その利益を推進すること以外の義務はいっさい認めないような習慣をさす。ナショナリズムと愛国心とを混同してはならない。通常どちらも非常に漠然とした意味で使われているので、どんな定義を下しても必ずどこからか文句が出そうだが、しかし両者ははっきり区別しなければならない。というのは、そこには二つの異なった、むしろ正反対の概念が含まれているからである。私が「愛国心」と言う場合、自分では世界中でいちばんよいものだとは信じるが他人にまで押しつけようとは思わない、特定の地域と特定の生活様式に対する献身を意味する。愛国心は軍事的な意味でも文化的な意味でも本来防御的なものである。それに反して、ナショナリズムは権力欲と切り離すことができない。すべてのナショナリストの不断の目標は、より大きな勢力、より大きな威信を獲得すること、といってもそれは自己のためではなく、彼がそこに自己の存在を没入させることを誓った国なり何なりの単位のために獲得することである。

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