碓井真史

人はだれでも少しは人とは違います。でも、大きすぎる違いがあれば、それは異常でしょうか。病気でしょうか。たとえば虫歯がない人。両目とも視力1.5以上の人。異常とは言いませんよね。たとえば100メートルを10秒で走れる人。数の上で言えば、こんな異常なことはめったにありません。でも、だからといって、病気だから病院へ行って足を遅くしてもらってきなさいなどとは言いません。普通とは違い、数が少なくても、それだけでは異常ではありません。
虫歯がないこと、視力がいいこと、速く走れること、それには価値がある、良いことだと、私達は考えます。どんなに数が少なくて、めったにない事でも、価値があるとみんなが思えば、それは異常とは言われません。かえって、数が少なくなるほど、価値が上がるでしょう。
では、人とは違う変な格好をするのは異常でしょうか。そのことに価値はありませんが、人々がそれくらいはいいかなと思ってくれれば、異常とは呼ばれません。正常か異常かの区切りは、時代や社会によって変わるということです。
数が少ない、価値が無い、社会に認められないというのが異常になりますけれども、実際には、困っているかどうか、社会生活ができるかどうかも大きなポイントです。 普通に生活できているのであれば、病院で治療が必要だとはあまり考えませんし、個性ということもできるでしょう。
芸術家や大金持ちの中には、かなり変わった人もいるのですが、普通の人なら社会生活ができなくても、彼らはそれで上手くいっているのなら、それでよいのかもしれません。もし彼らがもっと常識的な人であったなら、芸術家や大金持ちにはなれなかったかもしれませんから。

One thought on “碓井真史

  1. shinichi Post author

    心の病、正常と異常の心理学

    by 碓井真史

    心理学総合案内「こころの散歩道」

    心理学入門:子ネコの道

    http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/2002/ijou.html

    正常とは 異常とは

    「あの人は、異常だ(心の病気だ)」なんて言いますが、「異常」とはどういうことでしょう。「病気」とはどういうことでしょう。変な人、奇妙な人、他の人とは違う人のことでしょうか。

    人と違えば異常者?

    人はだれでも少しは人とは違います。でも、大きすぎる違いがあれば、それは「異常」「病気」でしょうか。

    たとえば、一本も虫歯がない、歯医者に行ったことがない人。両目とも視力1.5以上の人。昔ならともかく、いまではかなり珍しい人です。でも、「異常」とは言いませんよね。

    たとえば100メートルを10秒で走れる人。世界に何人もいません。数の上で言えば、こんな異常なことはめったにありません。でも、だからといって、その人の足は異常だ、病気だから病院へ行って足を遅くしてもらってきなさいなどとは言いません。

    たしかに、異常とは、普通とは違うこと、そういう人は数少ないということです。でも、それだけでは「異常」ではありません。

    価値があるか

    虫歯がないこと、視力がいいこと、速く走れること、それには「価値がある」、良いことだと、私達は考えます。 

    どんなに数が少なくて、めったにない事でも、「価値がある」とみんなが思えば、それは異常とは言われません。かえって、数が少なくなるほど、価値が上がるでしょう。

    だから、異常とは、「数が少ない」ことに加えて、「価値を認められない」ことということになります。

    それでは、あなたの会社にたった一人だけ、おへその見える服で通勤してくる女性がいたといます。あるいは、一人だけ、チョンマゲで来る男性がいたとします。

    たった一人ですから、もちろん「数は少ない」。そして、別にそれが立派なことでもなく、「価値を認められない」。それでは、この人たちは、異常であり、病気でしょうか。いえ、そこまでは言えないでしょう。

    世間が認めるか

    人とは違う変なかっこう。それに価値があるわけでもない。でも、それでも、人々が「まあ、それくらいはいいかな」と思ってくれれば、「異常」とは呼ばれません。

    その「人とは違う」ことが、社会の許容範囲かどうかということです。自分のファッションとして、おへそを出したいのだという主張を、現代の日本社会は、まあ認めているわけです。

    ネクタイなんかつけられないという主張を会社は認めないかもしれませんが、社会全体は異常者などと呼ばずに認めるでしょう。

    でも、服や下着を身に着けるのは一切いやだ、真っ裸で歩きたいと言って、街中を裸で歩いてしまえば、それは社会が認めません。法律の問題以前に、私達が考える個性、ファッションの自由の許容範囲からはみ出してしまいます。

    「異常」とは、数が少ない価値がない、そして、社会の許容範囲をこえているもののことです。

    ということは、正常か異常かの区切りは、時代や社会によって変わると言うことです。

    時代による変化

    昔は、女性がひじやひざを出して歩くだけでも、かなり変なことでした。

    まだ、「ミニスカート」などなかったころは、ヨーロッパの若い女性は、お店で買ってきたスカートを自分でジョキジョキ切って短くしてはいていたそうです。(パリコレでミニスカートが登場して、はじめて市民権を得たそうです。)

    もし将来、裸で歩くこともファッションとして認められるようになれば、裸で歩くという理由で異常と呼ばれることはなくなるでしょう。

    同性愛は、かつては「異常」であり「病気」であり、治療の対象でしたが、現在は「個性」と考えられるようになってきています。

    性同一性障害(身体の性別と心で自分が思っている性別が一致しない)は、「障害」といわれているように、病気であり、異常と考えられます。

    しかも、治療はかなり困難なために、身体の方を心に合わせる治療が(手術)が医療行為として認められつつあります。

    異常、病気って、ダメなこと?恥ずかしいこと?

    性の同一性(自分が男なのか、女なのか)で悩んでいる人のことを、異常、病気、障害と表現しましたが、それはその人たちを侮辱していることではありません。

    日常的な会話の中では、異常とか、病気といった言葉を差別的に使うことが残念ながらありますが、心理学や医学の世界では、本来的にはそのような意味合いを持たずに使います。

    虫歯は、歯の異常であり、歯の病気です。治療が必要だと考えます。でも、だからといって、虫歯のある人を馬鹿にしたり、差別するのはもちろん間違いです。

    (まあ、そんな人はいないでしょうが。でも、心の病気には差別や偏見が付きまといます。)

    そうはいっても、様々な障害を病気や異常とは考えずに、「個性」としてみようという考えもありますが。

    自分や周囲が困っているか

    数が少ない、価値が無い、社会に認められないというのが、「異常」になりますけれども、実際には、「困っているかどうか」、「社会生活ができるかどうか」も大きなポイントです。

    ちょっと胃が弱いといっても、それでも普通に生活できているのであれば、病院で治療が必要だとはあまり考えませんし、個性と言うこともできるでしょう。

    でも、胃が弱くて、普通の生活ができない、学校や職場でみんなと同じようにできなくて困っているとなれば、胃に何かの異常があり、治療が必要な病気かもしれません。

    心の問題も同様で、そのために、本人や周囲の人間がとても困っているとなると、それは改善(治療)が必要なことかもしれません。

    芸術家や大金持ちの中には、かなり変わった人もいるのですが、普通の人なら社会生活ができなくても、彼らはそれで上手くいっているのなら、それでよいのかもしれません。

    もし彼らがもっと常識的な人であったなら、芸術家や大金持ちにはなれなかったかもしれませんから。

    正常と異常の客観的な証拠

    身体の病気であれば、レントゲンや血液検査や、CTスキャンで異常が発見されることがあります。ウイルスがあったり、血管が詰まっていたり、骨が折れていたり、脳が萎縮していたり。

    心や行動の異常も、身体的な異常が原因のときもあります。そういう場合は、はっきり客観的にわかるのですが、でも多くの場合、心の異常や病気は、病院の検査機器ではわかりません。

    誰が見てもわかりやすい症例もありますが、ベテランの専門家が診てもわかりにくい例もあります。精神鑑定で、何種類もの結果が出てしまうような例です。

    それは、心理学やっ精神医学がまだ発展途上にあるからという理由もありますけれども、でもやはり、人の心はそれだけ複雑で、まだ謎が多いということでしょう。

       ***

    *具体的な心の異常、心の病気として、神経症(ノイローゼ)、精神病、人格異常などがありますが、それについては、癒しの道(臨床心理学入門)で扱っていきたいと思います。

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