- 死体は存在するが、死は存在しないのである。死などというものは、言葉としてしか存在したことはない。言葉ではない死というものを、見た人も、知っている人も、いないのである。すなわち、この世の誰ひとりとしてそれを「わからない」のである。
- 普通には人は、死が存在すると信じて生きている。そして死を恐れる、「無になる」と。しかし無が存在したのならそれは無ではないのだから死は存在しない。したがって恐れる理由はない。
- 自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。
- 世のすべては人々が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。
- 善悪を判断する基準は、自分にある、自分にしかないんだ。
- 人間が人間を無条件で愛するというのは、ものすごく難しい。
- 宇宙の全体はビッグバンによって始まったということになっている。でも、だとすると、ビッグバンの前には何があったのだろう。
- 物質があることの確実さは、実は不確実なことなんだ。でもそれを不確実であると考えている自分がある。こちらは絶対確実だ。
- 本当は「今」しかないのだ。どんな古い星も銀河もも、それを見ていると考えている今のこの自分より確実なものではない。
- 自由とは、精神に捉われがないということだ。
- 死の怖れにも捉われず、いかなる価値観にも捉われず、捉われないということにも捉われない。
- 何でもいい、何をしてもいい、何がどうあってもいいと知っている、これは絶対的な自由の境地だ。
14歳からの哲学 考えるための教科書
by 池田 晶子
池田晶子の公式略譜
http://www.nobody.or.jp/ikeda#ryakufu
文筆家。
1960年(昭和35年)8月21日午後9時5分、東京の一隅に生を得る。
1983年(昭和58年)3月、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻を卒業。
文筆家と自称する。池田某とも。
専門用語による「哲学」から哲学を解放する一方で、驚き、そして知りたいと
欲してただひたすら考える、その無私の精神の軌跡をできるだけ正確に表わす
こと――すなわち、考えるとはどういうことであるかを、そこに現われてくる
果てしない自由の味わいとともに、日常の言葉で美しく語る「哲学エッセイ」
を確立し、多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの面白さ
と形而上の切実さを、存在の謎としての生死の大切を、語り続ける。
新宿御苑と神宮外苑の四季風景を執筆の伴とし、富士山麓の季節の巡りの中に
憩いを得て遊ぶ。
山を好み、先哲とコリー犬、そして美酒佳肴を生涯の友とする。
2007年(平成19年)2月23日午後9時30分、
大風の止まない東京に、癌により没す(46年6ヶ月)。
著作多数。さいごまで原稿用紙とボールペンを手放すことなし。
いながらにして宇宙旅行。出発にあたり、自らたって銘を記す。
「さて死んだのは誰なのか」
その業績と意思を記念し、精神のリレーに捧ぐ「わたくし、つまりNobody賞」
が創設された。