岐阜大学医学部医学教育開発研究センター

医師免許制度が出来たころ、医療に必要な医学知識を医学生が記憶するのは、必ずしも不可能ではありませんでした。そして医療に必要な技能も、限られたものでした。ですから、医学部卒業生に、医師の免許をそのまま与えても、さほど問題にはなりませんでした。
今は、医療に必要な医学知識の量は、途方も無く増えてしまいました。そして医療技術も高度になりすぎました。「知っている」と、「出来る」とは 別の事、この現実を無視できない状況になりました。

2 thoughts on “岐阜大学医学部医学教育開発研究センター

  1. shinichi Post author

    学ぶということ

    岐阜大学医学部医学教育開発研究センター

    http://www1.gifu-u.ac.jp/~medc_arc/rakurakututorial/tutorial.htm

    テュトーリアル・システムって、何?

    学生の能動学習を促す教育システムです。 
    自学自習が原則です。 小人数の学生グループが、議論しつつ学習を進めます。
    議論は、テューターにより指導されます。勉強の材料と方向は、ディレクターにより示されます。
    問題解決型の学習であり、自分で見つけた問題を自分で解決しつつ勉学を深めます。問題解決のためには、複数の○○学の参加が必要です。
    講義は、学生が必要とするときに行われるのが理想的です。
    このような学生本位の学習を可能にするためには、大学の学務体制全体がシステムとして有機的に連携している必要があります。

    学生時代、何を学ぶべき?

    膨大な量になりすぎた医学、これを全部あなたの頭に詰め込むと...
           →記憶能力だけが発達、思考能力の停止
           →もらった知識は、やがて古くなる。どうする?
           →知っていることは、探究心を減弱させる

    卒業してから、社会で働く上で、あなたに求められているのは、知っている事ではなく、以下の事です。

    (1) 状況の理解が出来る
    (2) 何が問題か、判断できる
    (3) 解決方法を提示出来る
    (4) その実行を決断できる
    (5) 実行する技術能力がある
    (6) 結果を適切に評価できる
    (7) 自己責任を取る倫理観がある

    テュトーリアル教育で開発出来るのは、(1) ~(3)です。
    (5) と(6) も開発出来るかもしれません。社会に出て役立つのは、チームワークです。これもテュトーリアル教育で開発出来るかもしれません。

    (4)と (7)は、クラブ活動などを通じて身につけるものです。青春時代に、傷つき、挫折し、友といさかい、ギリ」ギリの選択をし、人間的に揉まれて成長した人が持つ能力です。

    あなたの頭脳は、まだ若い。
    医学用の神経回路を作る最後のチャンスです。

    碁や将棋のうまい人、過去の対局を覚えていて、対局を復元します。
    音楽の天才達、一度聴いた歌を諳んじてしまいます。
    暗算の達人、あのスピードは驚異的。

    結局、碁、将棋、音楽、計算用の特別の神経回路が頭の中に出来ていて、これを使っているのです。一般回路を流用して碁、将棋、音楽、計算をしているのではないのです。
    あなたも、医学用の神経回路を作りましょう。医学情報を正しく、早く、大量に処理できる神経回路があれば、あなたは専門職として活躍出来ます。

    そのような神経回路は、若い時にのみ形成が可能です。まだ間に合います。

    何が医学教育上の問題?

    「知っている」と、「出来る」とは 別の事です。
    自動車の運転を習った時の事を思い出してください。頭では分かっているのに、手足がうまく動かないで、ガッツン。
    医療をしている時も同じです。知識があるのに、適切な判断が出来ない。

    医師免許制度が出来たころ、医療に必要な医学知識を医学生が記憶するのは、必ずしも不可能ではありませんでした。そして医療に必要な技能も、限られたものでした。ですから、医学部卒業生に、医師の免許をそのまま与えても、さほど問題にはなりませんでした。

    今は、医療に必要な医学知識の量は、途方も無く増えてしまいました。そして医療技術も高度になりすぎました。「知っている」と、「出来る」とは 別の事、この現実を無視できない状況になりました。

    医学部の教育の目標を「知っている」から「出来る」へ、重点を移さざるを得ません。
    「知っている」事は「出来る」ためにも、圧倒的に有利です。知識過剰の問題点は、知識を詰め込む作業の過程で、思考能力を低下させてしまう事なのです。

    もらった知識と自分で得た知識

    もらった知識

     もらった知識は、文章として頭の中に記録されているだけ。 必ずしも、役に立つ知識ではない。 性能の悪いテープレコーダーに類すべき能力。
    専門家が、もらった知識を口にする時、素人はそれを彼の研究成果と誤認する点で罪深い。
    応用が効かないので、状況が変れば適応できず、新たに知識をもらう必要がある。

    自分で得た知識

    ここで言う「自分で得た知識」とは、問題解決の過程(能動学習)で得られた知識の事である。 そのソースは本、講義、自分の体験などである。 現在の複数の知識を自分なりに練り直すというだけの事であるが、これにより知識に生命が吹き込まれ、実務に役立つ知識となる。 また、知識の得方を学んだので新たに知識が必要な場合には自力で得る事ができる。

    過剰な知識は何故悪い?

     知識が多い事は悪い事ではありません。 知識を多く詰め込もうとする事が悪いのです。 より多くの知識を求めるあまり、思考の過程を疎かにし、若い脳が成長する時期に「考え、新しいものを創り出す」能力の開発が疎かになります。
     ノート型パソコンのメモリーがギガ単位になっている現在、人に求められているのは応用力、創造力です。

    案内人の浅知恵

      博物館の案内人が難しい学術内容を見物人にすらすらと説明しています。
      案内人「こちらの恐竜の骨は最新の年代測定によりますと1億5000万30年前のものです、・・・・」
      客「ホオー、詳しい事までわかるんですね・・・・」
      案内人「ハイ、私がここに就職した時、1億5000万年前と教えてもらいました。 あれから30年が経ちましたので」

    Reply
  2. shinichi Post author

    (sk)

    お世辞にも上手な文章とはいえないし、論理の組み立てもなんだか変だけれど、それでも言いたいことはわかる。

    情報量が大きくなりすぎて、なんでもかんでも記憶しようなどというのは、もはや不可能だ。そう言いたいのだろう。

    Reply

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