3 thoughts on “金子拓

  1. shinichi Post author

    記憶の歴史学 史料に見る戦国

    by 金子拓

    「歴史」はどのようにして生まれるのか。本能寺の変、細川ガラシャ自害事件など、さまざまな文書、日記などに記された人々の記憶が一つの歴史上の事件として定着してゆくプロセスを探る。

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  2. shinichi Post author

    金子拓『記憶の歴史学』の読書メモ

    by 佐藤ひろお

    http://3guozhi.jp/f/krs.html

    一次史料の至上主義から自由になる

    金子拓『記憶の歴史学(史料に見る戦国)

    はじめに

    歴史は人間がつくる。人間は、結果から因果関係をさぐる。証言やデータから、因果関係の解釈に説得力をあたえようとする。つぎに解釈が検証にさらされ、整合的で納得されるものが、歴史として共有される。「過去に関する単なる事実」に、解釈と言語化をくわえたのが「歴史的事実」だ。

    第1章 史料学と記憶

    記憶と歴史を、対立させて捉える人がある。「私」の記憶と、「公」の歴史という対立構図だ。マルクス主義歴史学の「大きな物語」が消滅し、おおくの「小さな解釈」が成立したという。
    だが対立でない。大きな公的な歴史は、小さな私的な記憶から生まれる。個々の記憶を史料のひとつとして、歴史は叙述されている。

    ある史料ができあがるとき、人間の記憶がどのように作用したかを考えると、あらたな歴史解釈への可能性が生まれる。疑う必要がないとされた一次史料も、あやういことがある。

    一次史料と二次史料がある。

    一次史料は、書信、命令書、日記。日付、出した人、受けた人がわかる。同時代性が一次史料の要件。書き方、体裁、筆づかい、料紙や墨、折り方や封の仕方、料紙の利用方法、仕立て方などが、モノとしての情報を提供する。

    二次史料は、一次史料を筆写して、もとの一次史料が失われたもの。写した人の立場、動機がわかり、べつの一次史料と整合すると、たとえ同時代性に欠けても一次史料の準じるとされる。後世の編纂物、軍記や物語のような著作物、系図や由緒書のような伝記史料は、二次史料。

    網野の定義する史料学は、生成論、機能論、伝来論がある。つまり史料が作成される諸要素、時間・場所、意図・目的、手続・様式、生活・社会のなかで果たす機能、伝来する過程をたどることだ。
    一次史料至上主義は良くない。偽文書にも機能がある。二次史料から、後世人が書きとめた記憶がわかる。

    「集合的記憶」とは、ある人間集団に共有された歴史認識。日本史の由緒論。近世のイエや村が、特定の政治権力との関係を起点として、自身を正統化するときの由来・自由。

    どんな人が、過去の戦争に言及するか。どんな場面で、過去の戦争に言及するか。戦争を記録するのは、現実的な利点があるから。作成主体の意識が、過去のできごとを取捨する。集合的記憶は、再構成される。後世の歴史家が、時代相を叙述する。記憶が史料をつくり、史料が記憶をうみ、歴史に変じる。

    第2章 記憶と史料と歴史のあいだ

    『兼美卿記』は同時代史料。だが日記にあるのが、筆者の行動の全てでない。筆者の記憶から抜けた、筆者が書かぬと判断した、など。書かない理由は明らかにならない。『兼美卿記』は、天皇にこっそり筆写させてもらった本のことを書かない。筆写した本が伝わっているのに。

    『信長公記』は、織田信長の神社の行事への参加を書かない。神社側は、接待費用の記録があるのに。『信長公記』の筆写が、行事に出席しているのに。一次史料のあいだの矛盾を、埋めることができない。
    昭和の役者・ロッパは、葬儀での罵倒を日記に書かない。

    『甫庵信長記』は『信長公記』を膨らました本。著者が『信長公記』の37歳下。大久保忠教はいう。『甫庵信長記』は3分の1が史実、3分の1が史実に類す、3分の1が全くの虚構と。

    だが『甫庵信長記』も同時代史料である。『甫庵信長記』を読んだ太宰春台が、父から聞いた挿話を筆者に教えて、平手政秀の自殺が『甫庵信長記』に取り込まれた。複数の人の記憶が媒介となり、『甫庵信長記』の記述に入った。過去に関する単なる事実と、歴史的事実のあいだに、記憶がある。

    第3章 歴史をつくった記憶

    『信長公記』を記した太田牛一の著作には、手ですり消した訂正のあとがある。加筆した結果、ほかの一次史料と食い違った例がある。ページを切り貼りして誤る。

    細川ガラシャの自殺には、太田牛一の筆すべりがありそう。キリシタンのガラシャが「南無阿弥陀仏」といい、牛一が「天道は恐ろし」とコメントする。

    ガラシャの自殺は、ガラシャの侍女が48年前を思い出し、主君(ガラシャの孫)のために証言した史料。細川家が神聖化したガラシャ像が広まった。他の史料と異同がある。侍女のなかで記憶が変質したリスクがある。記憶にたよる史料は不安定。

    第4章 記録と記憶

    記憶は後から再構成される。リアルタイムで見ていない長嶋選手を思い出せる。できごとから日記を書くまで、時間的距離がある。翌日に書く、まとめて書く、面倒になってはぶく。事件が起きてから、書き始める。記憶と編集のバランスは、つねに変化する。日記の空白期間を、史料と見なせる。病気だと飛ぶ。

    『兼美卿記』は天皇の譲位をこまかく書く。子孫のために残す。重要なことがあると、前後の記録をつける暇がない。

    ロッパは病気で意識不明の期間を、周囲にきいて補った。

    永井荷風は、特高を恐れて、みずから日記を改竄した。戦後に、日記を改竄前に復元した。かつて書いたはずの日記に関する記憶と、日記のもとになった過去のできごとが混ざる。

    『兼美卿記』は書き直され、ダブルに残っている部分がある。ページや冊子が切れたので、作り直した。子孫のために、より良い文章に直した。見せ消した。後日の落ち着いた目で、本能寺の変を整理した。

    第5章 覚書と記憶

    近世は覚書の時代。高柳による覚書の分類。

    自分の備忘、自己の体験の記録=見たもの、他人の体験の記録=聞いたもの、他人の書記の記録=読んだもの、自己と祖先の体験の記録、子孫のための記録、主人のための記録、子孫と主人以外の他人のための記録、事件の重要な当事者としての記録、子孫による祖先の戦功の記録、他人の話の記録。

    上杉家の集合的記憶。記憶された戦争と、記憶されない戦争がある。従軍を記録しても利点がないから、記録されない戦争がある。藩命で家臣たちが編纂してきた歴史、歴史がつくる「記憶」がある。

    『先祖由緒帳』を検討するなら、書かれていることが事実か否かは問わない。上杉家臣の各家にどのように先祖の功績が伝えられ、表現されたかを考える。

    秋田藩は、初代が奮戦した1日の記憶を、記憶によって支えた。記憶を、自分が属する集団の誇りとした。

    第6章 文書と記憶

    関係する文書はまとまり、文書群となる。文書群は記憶(生物学的記憶) を伝え、「記憶」(社会的記憶) をつくる。

    文書は家の「記憶」である。文書が移動すると、歴史も移動する。家の嫡流と庶流で文書をとりあうと、藩権力が介在して、どちらが文書を持つべきか判定する。秋田藩の岩屋家の文書は4冊に分かれている。とりあいの結果。

    「偽作の可能性が高い文書・系図・冊子をもち、みずからの由緒とは無関係の文書をあつめる疑わしい人物」が、藩に叱られて、文書を没収された。藩に文書を持たせてもらった当主が逐電すると、さらに系図が改変された。

    記憶・伝承は、再構成される。

    読後の感想

    『三国志』を読むとき、『記憶の歴史学』をどのように反映できるか。

    佚文の収拾に深く関係しそうだが、、それは学者にやっていただくとして、ぼくは入手が容易なオープンソースのもので、楽しむつもりです。今回の読書により、妄想するとき、疑える切り口が増えた。

    事実が史料に落としこまれる間に、何か改変があったのではと。故意の改竄かも知れないし、ただの忘却や覚え違いかも知れない。わざと書かなかったかも知れないし、アクシデントで書きそびれたのかも知れない。

    『三国志』という二次史料が成立するあいだに、一次史料が、どう読まれ、どう写され、どう伝わり、どう評されたか。三国と西晋のなかで、いろんな変化があったに違いない。

    陳寿は同時代人だから、体験した話、見聞きした話も、編集方針に影響を与えただろう。サイエンスとして論証するのは難しい、っていうか無理だけど、想像をたくましくできる。

    記録や歴史が、記憶をつくるという、逆ベクトルの話は、裴松之の時代までに蓄積された史料について、推測をはさめそうだ。

    『記憶の歴史学』の著者は、たびたび自制してた。言っても仕方ない、学術的でない、ゴシップに過ぎる、これだけでは判断できない等。記録だけでなく、記憶までを検討の対象にすると、サイエンスでは、どうにもならない推測の領域が増えてゆく。信長の神社行事の件は、けっきょく仮説すら出なかった。『兼美卿記』の書き直しは、本能寺の変の陰謀説とからんで議論されている。作家?の、桐野作人氏の話が、マジメ?に扱われていたりした。

    記憶と歴史の関係は、小説めいた解釈をするとき、強力な武器になるなー。とくに『三国志』は一次史料に恵まれないから、やりようがある。

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  3. shinichi Post author

    (sk)

    情報の分野に一次データ至上主義の人がいるように、歴史の分野には一次史料至上主義の人がいるらしい。

    金子拓は「一次史料至上主義は良くない」とはっきり書いている。

    史料ができあがるとき、人間の記憶がどのように作用したかを考えると、疑う必要がないとされた一次史料もあやういことがある。そんなことも書く。また、二次史料には二次史料の機能があり、偽文書にさえ機能があるとも書いている。

    金子拓の一次史料についての考えを、そのまま情報の分野にあてはめ、一次データもあやういことがあると書いてみて、ひとり笑った。二次データには二次テータの機能があり、偽データにも機能があるのだ。一次データなら良くて、二次データはだめ。そんなことを言う人に限って、本質は見ていない。

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