金子光茂

なかんずく、(アッバース朝)第七代カリフのマームーンがギリシア哲学の学術研究所「知恵の館」を設け、イスラーム諸学の知識を持ったもの(ウラマー)を結集したことは、特筆に値する。ギリシア語の学術書をあらん限りに蒐集し、万巻の書を莫大な精力を傾注して体系的かり組織的にアラビア語に翻訳する。イスラーム史上有名な「大翻訳時代」の到来である。この事業によってイスラームはギリシア思想を思う存分に吸収し、ギリシア哲学を知る。これがのちギリシア哲学を濃厚に受容した「スコラ哲学」の系統の学者を輩出させることになる。こうして実現した文明の移転は、イスラームに大輪の花を咲かせ、イスラーム文明は黄金時代をむかえる。

2 thoughts on “金子光茂

  1. shinichi Post author

    (sk)

    アッバース朝第5代カリフのハールーン・アッラシード(在位786年 – 809年)が、「知恵の宝庫(ヒザーナ・アルヒクマ)」を作り、それを基にして、アッバース朝第7代カリフのアル・マームーン(在位813年-833年)が、「知恵の館(バイト・アルヒクマ)」を作った。アル・マームーンはハールーン・アッラシードの第一子だ。

    「知恵の館」には、ギリシャ語で書かれた哲学や自然科学の書物が集められ、アラビア語への翻訳とともに、研究開発が行われた。

    アル・マームーンは天文観測所を建て、自ら天体観測を行ったことでも知られているが、知識を深めることに価値を見いだし、多くの専門家を採用した。イスラームの知識を持つ者だけでなく、ギリシャの学問や思想に詳しい者、翻訳のできる者などを優遇した。特に数学者や天文学者には破格の待遇を用意した。

    その結果、ユークリッドの「幾何学原論」やプトレマイオスの「アルマゲスト」などがアラビア語に訳された。それが後のヨーロッパの興隆に繋がり、現代に至るのだから、アル・マームーンの歴史の上での重要性は計り知れない。

    アル・マームーンの下での研究開発で特筆しなければならないのが、時間に関することと、空間に関することだろう。ただ天体を観察するとか、ただ建物を建てるというようなやり方から、数学を基礎にした天文観測とか、数学を基礎にした建築設計というやり方への大転換が起きたのだ。

    「知恵の館」では、天文表が整理され、日時計の設計がなされ、建物の構造計算なども行われていた。「代数 (algebra)」という題の書物がはじめて書かれ、幾何学も発展した。現在よく使われているアルゴリズム (Algorism) という言葉も、「知恵の館」で書かれた書物に由来する。

    知恵の宝庫、知恵の館、知恵の家。呼び方はともかく、ハールーン・アッラシードとアル・マームーンが設けたその場所は、「知恵」という言葉を使うにふさわしいものであった。

    現在の図書館には、紙の情報を集める、または電子情報を集めるという役割しかない。そういう意味で、「知恵の館」が図書館であったと説明するのは適切でない。「知恵の館」はむしろ、今の MIT のようなものであったと考えるべきだろう。

    「知恵の館」に集められたのは、情報だけではない。専門家の知識も集められた。そこにはアル・マームーンという知識の擁護者がいた。

    その場所に知恵があったとするより、アル・マームーンに知恵があったとするほうがいいように思える。

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