三木清

實際、愛と希望との間には密接な關係がある。希望は愛によつて生じ、愛は希望によつて育てられる。
愛もまた運命ではないか。運命が必然として自己の力を現はすとき、愛も必然に縛られなければならぬ。かやうな運命から解放されるためには愛は希望と結び附かなければならない。
希望といふものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きてゐる限り希望を持つてゐるといふのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によつて完成に達する。生命の形成力が希望であるといふのは、この形成が無からの形成といふ意味をもつてゐることに依るであらう。運命とはそのやうな無ではないのか。希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望といふものは人間の存在の形而上學的本質を顯はすものである。

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