shinichi Post author26/03/2015 at 6:41 pm 曹洞宗 芳林山 梅岩寺 東村山市久米川町5丁目24番地 梅岩寺は、1651年に阿山呑碩和尚により中興開山されたというが、山門の左に聳えるケヤキ(幹周7.1m、樹齢700年、都天然記念物)も、右に聳えるカヤ(幹周5m、樹齢600年、市天然記念物)も、その開山の時には、すでにそこにあったという。 1397年に真言宗の寺としての創建が伝えられているが、ケヤキはそのときにはもう高かったろうし、もしかしたらカヤも育っていたのかもしれない。寺は戦国時代に燃えてしまったというが、ケヤキもカヤも燃えずに残ったという。 新編武蔵風土記(1810年~1814年)に「久米川村梅岩寺の門の両側にケヤキとカヤがあり、ケヤキは周囲2丈(約6m)」と記されているが、このケヤキとカヤは、いったいなにを見てきたのだろうか。 Reply ↓
shinichi Post author27/03/2015 at 12:59 am 木 by 白洲正子 人間国宝の黒田辰秋作、拭漆欅櫃(欅の素地に、拭漆をほどこした櫃)は、地味なものだから、目立ちはしないが、たっぷりした姿といい、木理の美しさといい、非の打ち所がない。 法華寺の本堂にある国宝「十一面観音立像」は、香の煙にいぶされて黒ずんでおり、材質がわからなくなっているが、よく見ると檜ではなく、榧であることに気がつく。檜より一段と緻密で、それこそ碁盤のようななめらかな肌をしている。 Reply ↓
曹洞宗 芳林山 梅岩寺
東村山市久米川町5丁目24番地
梅岩寺は、1651年に阿山呑碩和尚により中興開山されたというが、山門の左に聳えるケヤキ(幹周7.1m、樹齢700年、都天然記念物)も、右に聳えるカヤ(幹周5m、樹齢600年、市天然記念物)も、その開山の時には、すでにそこにあったという。
1397年に真言宗の寺としての創建が伝えられているが、ケヤキはそのときにはもう高かったろうし、もしかしたらカヤも育っていたのかもしれない。寺は戦国時代に燃えてしまったというが、ケヤキもカヤも燃えずに残ったという。
新編武蔵風土記(1810年~1814年)に「久米川村梅岩寺の門の両側にケヤキとカヤがあり、ケヤキは周囲2丈(約6m)」と記されているが、このケヤキとカヤは、いったいなにを見てきたのだろうか。
木
by 白洲正子
人間国宝の黒田辰秋作、拭漆欅櫃(欅の素地に、拭漆をほどこした櫃)は、地味なものだから、目立ちはしないが、たっぷりした姿といい、木理の美しさといい、非の打ち所がない。
法華寺の本堂にある国宝「十一面観音立像」は、香の煙にいぶされて黒ずんでおり、材質がわからなくなっているが、よく見ると檜ではなく、榧であることに気がつく。檜より一段と緻密で、それこそ碁盤のようななめらかな肌をしている。