Albrecht Dürer, 辻本臣哉

Albrecht Dürerアルブレヒト・デューラーの《1500年の自画像》は、自らをイエス・キリストになぞらえて描かれている。当時、芸術家の地位が高まったとはいえ、自らを救世主に似せて表現することに、私は大きな違和感を持った。

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    アルブレヒト・デューラー
    1500年の自画像についての一考察

    by 辻本 臣哉

    http://kirara.cyber.kyoto-art.ac.jp/digital_kirara/graduation_works/detail.php?act=dtl&year=2006&cid=551&ctl_id=28&cate_id=15

     アルブレヒト・デューラーの《1500年の自画像》は、自らをイエス・キリストになぞらえて描かれている。当時、芸術家の地位が高まったとはいえ、自らを救世主に似せて表現することに、私は大きな違和感を持った。自画像は、芸術家が自らをイメージ化するという、極めて特異なジャンルである。自らをありのままに描くというだけでなく、自らのアイデンティティを探求するとともに、他人にどう見られたいかという願望も含まれてくる。したがって、デューラーが、《1500年の自画像》において表現しようとした自己のイメージについて研究していきたい。分析の方法についてだが、最初に、デューラーの作品の中から自画像を抜き出し、その変遷について考察を試みる。次に、他の作家が描いたデューラーの肖像について調べ、自画像との違いについて考えてみる。その後、一考察と今後の課題について述べていく。

     デューラーは、最初の作品《一三歳の自画像》(1484年)から、数多くの自画像を描いている。妻への贈り物とされる《1493年の自画像》、芸術家としての名声を得、豪華な衣装や装飾品を身につけた自己を表現した《1498年の自画像》を経て、《1500年の自画像》に至る。その後、「単独型」の自画像から「列席型」の自画像が中心となる。注目すべき点は、「列席型」に描かれているデューラーの容貌が、《1500年の自画像》に近似しており、どの自画像も「長髪で口ひげ」であり、年齢的な違いが感じられない。他の作家が描いたデューラーの肖像は、デューラーの自画像と相違しており、こちらが実像に近かったと考えられる。

     《1500年の自画像》をよく観察してみると、それ以前に描かれた自画像と比較して、身体的特徴に違いが見られる。また、実年齢よりも年上に描かれているように思われる。したがって、《1500年の自画像》はありのままの自分を描いたのではなく、顔の特徴や年齢など自らが表現したい自己を描いたことになる。この自画像は、まさに、芸術家が自らのイメージ化を追求した一つの究極的な形であるように思われる。

     デューラーが《1500年の自画像》で表現したかった自己イメージは、終末を前にしたキリスト教信徒としての自己イメージと神のごとき芸術家としての自己イメジの両方であると考える。すなわち、この絵には、一つのイメージだけでなく、複数のイメージが内包されていることになる。まず、世界が崩壊するかもしれないという不安の中で、デューラーは、来るべき終末をキリストとともに生きるという、キリスト教信徒としての自己を表現したかったのではないだろうか。

     一方、《1498年の自画像》との連続で捉えるなら、《1498年の自画像》では、芸術家として、豪華な衣装による世俗の成功者のイメージを確立し、《1500年の自画像》では神のごとき芸術家に到達したことになる。その根拠として、新プラトン主義のイデア論と四性論が挙げられる。デューラーは、イデア概念を芸術的霊感に結びつけたとパノフスキーは主張している。したがって、芸術家の創造は、神からの賜り物であり、芸術家は神から選ばれた者ということになる。また、芸術家が創造を行うという行為は、すべての創造を掌る神に近づくことであり、神の模倣と考えることができる。一方、四気質の中で最悪とされた憂鬱質を創造的天才の気質と再評価し、哲学者や芸術家に必要な条件とみなした新プラトン主義の四性論をデューラーは信じており、自らも憂鬱質と考えていた可能性が高い。

     《エアランゲンの自画像》(1490年)では自己を、《悩める主キリスト》(1493−94年)ではキリストを憂鬱質に描いている。憂鬱質を通じて、神と芸術家が同一視されているように思われる。デューラーが自画像を通じて理想の自己イメージを探求し、《1493年の自画像》、《1498年の自画像》を経て、《1500年の自画像》で一つの完成形に至ったのではないかと私は考える。

     《1500年の自画像》以降中心となる「列席型」の自画像において、《1500年の自画像》に描かれたデューラーのイメージが、定型的に登場することが、その根拠となる。ピコ・デッラ・ミランドラは、演説草稿『人間の尊厳について』で、人間は自由意志に基づいて自己の本性を決定すると語っている。デューラーが、まさに自由意志によって、様々な自画像を通じて、自らの自己イメージを追究していったように思われる。

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