内田洋平

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水村美苗の「日本語が亡びるとき」に出てきた叡智探究者という概念を4つに分類してみた。
叡智探究者には、4つの自己が常に内在していると考えている。それは、哲学者、思想家、宗教者、啓発者である。
中島義道の「「哲学実技」のすすめ」は、あなたの中に内在する「哲学者」という自己を認識するうえで、とても優れている。


2 thoughts on “内田洋平

  1. shinichi Post author

    中島義道「「哲学実技」のすすめ」

    http://entrepreneur1986.seesaa.net/article/112906202.html

    いや、幸福を真実と同じレベルで考えてはならない。いますぐに説明するよ。真実をいつでも貫き通すことはたいへん難しいのだ。だが、だからといって簡単に「しかたがない」と呟いていい問題ではない。このことをカントほど考え抜いた哲学者をぼくは知らない。ぼくは、三〇年以上カントを読んできたが、やっと最近ここに潜む恐ろしく深い根が見えるようになったよ。カントは殺人鬼に追われた友人を匿い、追手から「どこにいるんだ?」と聞かれたときでさえ、嘘を言うべきではないと断言している。友人を場合によっては殺しても嘘をついてはならないと確信している。友情よりも真理が断固優先すべきであることを確信している。この非常識なカントの見解は、予想通りたいへんに評判の悪いものであり、さまざまな人が「融和策」を出そうとした。しかし、ごく最近のことだが、ぼくはカントのこの嘘に関する議論は文字通り受け取っていいのではないかと思い始めた。

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  2. shinichi Post author

    水村美苗「日本語が亡びるとき」

    http://entrepreneur1986.seesaa.net/article/112649993.html

    西洋と非西洋のあいだにある非対称関係はこれからもずっと存在し続ける。それはあたりまえです。でも、今、その非対称関係に、それと同じくらい根本的な、もう一つ新たな非対称関係が重なるようになったのです。英語の世界と非・英語の世界とのあいだにある非対称関係です。(中略)一度この非対称性を意識してしまえば、我々は、「言葉」にかんして、常に思考するのを強いられる運命にあるということにほかなりません。そして、「言葉」にかんして、常に思考するのを強いられる者のみが、<真実>が一つではないということ、すなわち、この世には英語でもって理解できる<真実>、英語で構築された<真実>のほかにも、<真実>というものがありうることーーそれを知るのを、常に強いられるのです。

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