町の工務店ネット

二十四節気 七十二候
立春 東風解凍、黄鶯睍睆、魚上氷 2/4ごろ~2/18ごろ
雨水 土脉潤起、霞始靆、草木萠動 2/19ごろ~3/5ごろ
啓蟄 蟄虫啓戸、桃始笑、菜虫化蝶 3/6ごろ~3/20ごろ
春分 雀始巣、桜始開、雷乃発声 3/21ごろ~4/4ごろ
清明 玄鳥至、鴻雁北、虹始見 4/5ごろ~4/19ごろ
穀雨 葭始生、霜止出苗、牡丹華 4/20ごろ~5/5ごろ
立夏 蛙始鳴、蚯蚓出、竹笋生 5/6ごろ~5/20ごろ
小満 蚕起食桑、紅花栄、麦秋至 5/21ごろ~6/5ごろ
芒種 螳螂生、腐草為蛍、梅子黄 6/6ごろ~6/21ごろ
夏至 乃東枯、菖蒲華、半夏生 6/22ごろ~7/6ごろ
小暑 温風至、蓮始開、鷹乃学習 7/7ごろ~7/22ごろ
大暑 桐始結花、土潤溽暑、大雨時行 7/23ごろ~8/7ごろ
立秋 涼風至寒蝉鳴蒙霧升降 8/8ごろ~8/22ごろ
処暑 綿柎開、天地始粛、禾乃登 8/23ごろ~9/7ごろ
白露 草露白、鶺鴒鳴、玄鳥去 9/8ごろ~9/22ごろ
秋分 雷乃収声、蟄虫坏戸、水始涸 9/23ごろ~10/7ごろ
寒露 鴻雁来、菊花開、蟋蟀在戸 10/8ごろ~10/23ごろ
霜降 霜始降、霎時施、楓蔦黄 10/24ごろ~11/7ごろ
立冬 山茶始開、地始凍、金盞香 11/8ごろ~11/22ごろ
小雪 虹蔵不見、朔風払葉、橘始黄 11/23ごろ~12/6ごろ
大雪 閉塞成冬、熊蟄穴、鱖魚群 12/7ごろ~12/21ごろ
冬至 乃東生、麋角解、雪下出麦 12/22ごろ~1/5ごろ
小寒 芹乃栄、水泉動、雉始雊 1/6ごろ~1/19ごろ
大寒 款冬華、水沢腹堅、鶏始乳 1/20ごろ~2/3ごろ

4 thoughts on “町の工務店ネット

  1. shinichi Post author

    町の工務店ネットが運営する、住まいネット新聞「びお」

    びお・七十二候

    涼風至・すずかぜいたる

    http://www.bionet.jp/2008/08/bio72_37/

    涼風といえば軽井沢を思い浮かべる人が少なくないでしょう。けれども、軽井沢は実は湿気の多いところで、朝夕は涼しいものの、日中は結構暑いところです。にもかかわらず、爽やかな印象があるのは、堀辰雄や立原道造の文学の印象にさずかるところ大ではないでしょうか。彼らは、人生そのものが一陣の涼風のようにすずやかです。

    堀辰雄の『風立ちぬ』という小説のタイトルは、松田聖子の歌のタイトルにもなり、如何にも清々しい風を連想させます。この小説は、とてもつらい話が書かれているのですが、風がすべてを浄化してくれて、風がものみなをやさしく包んでくれます。

    同じ軽井沢を舞台にした詩人といえば立原道造です。堀辰雄は48歳、立原道造は24歳8ヶ月で亡くなっています。共に結核病を患っての夭逝です。堀辰雄が亡くなったとき、道造は「もう私はすっかりひとりだ 私みずから私は風に濡れてゐる」(「巣立ち」)と詠みます。

    丘の南のちひさい家で 
    私は生きてゐた! 
    花のように 星のように 光のなかで 
    歌のように (「風詩」) 

    おまへのひそよぎが そよそよと
    すべてを死なせた皮膚をだくだろう (「風に寄せて」その二)

    立原道造の詩には、風を詠んだものがたくさんあり、それは死の影であったり、生そのものであったりします。

    ゆさぶれ 青い梢を
    もぎとれ 青い木の実を
    ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
    私のかへって行く故里が どこかとほくにあるやうだ

    何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
    追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
    単調な 浮雲と風のもつれあひも
    きのふの私のうたってゐたままに

    弱い心を 投げあげろ
    噛みすてた青くさい核(たね)を放るやうに
    ゆさぶれ ゆさぶれ

    ひとよ
    いろいろなものがやさしく見いるので
    唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ (「わかれる昼に」)

    音楽的で、水彩画のように淡いけれど、濃密に青春がうたわれていて、青春にしか詠めない詩だと思います。道造を包むのは、いつも高原の風でした。

    吉本隆明は、道造の詩について「「風」のように自在に、しかも地面に触れずに物象や事象に滲みとおってゆく距離感を手に入れていた。この距離感は、日本古典詩形の円熟期のアンソロジー『新古今集』からえたものだと思う」と全集の推薦文に書いています。

    立原道造は、詩人であると同時に建築家でもありました。

    彼は、わずか五坪の週末住宅を建てようとして、50にも及ぶプランを作りました。彼はこの住宅を「風信子(ヒヤシンス)ハウス」と呼びます。しかし、このプランは道造が亡くなったため実現されませんでした。それから66年後の2003年、道造が建てようとした浦和市別所沼が公園となり、さいたま市が政令指定都市に移行したことを機会に、市民と行政が協同して、ヒヤシンスハウスが建てられました。

    草稿「鉛筆・ネクタイ・窓」から
     僕は、窓がひとつ欲しい。
     あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。窓台は大きい方がいいだらう。窓台の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。
     そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。
     僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
     僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……

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  2. shinichi Post author

    びお・七十二候

    寒蟬鳴・ひぐらしなく

    http://www.bionet.jp/2008/08/bio72_38/

    ヒグラシは秋の季語ですが、夏蝉です。それなのに歳時記では、つくつく法師の、直ぐ前に紹介されています。

    つくつく法師は、中国で寒蝉と呼ばれているように、これは文句なく秋の蝉です。けれどもヒグラシは、夏の朝方か夕方に、甲高くカナカナと鳴きます。涼しげな鳴き声ですが、暑中の涼であって、いかにも夏を感じさせます。ヒグラシの候は、立秋とはいえ、夏、真っ最中ですものね。

    ヒグラシは、その鳴き声から、カナカナ蝉と呼ぶ人がいます。体は緑色の地に、黒色や赤褐色の斑紋をもっていて、翅は透明でわずかに緑色を帯びています。

    蝉といえば、松尾芭蕉の〈閑かさや岩にしみ入る蝉の声〉が、あまりにも有名です。蝉は声の虫です。蝉が鳴いているのは、生きて在ることそのものです。

    芭蕉には〈やがて死ぬけしきは見えず蝉の声〉という句もあります。蝉は、鳴声の激しさとその命の短さが対照的です。地上に現れて1週間の短い命を鳴くのです。それは生の謳歌であって、そこには死の予感はない、と芭蕉は詠むのです。

    ただ、生物的には、ヒグラシに限らず、蝉で鳴くのは雄だけです。これはギリシャの哲人アリストテレスが言っていて、常識とされていますが、では雌は、どのように生を謳っているのでしょうか?

    玉井一匡さんのブログ・My placeに「蝉の殻をあつめる人」のことが出ています。

    「今朝は、公園の柵のまわりでなにやらつまみ上げている人がいた。通り過ぎるときにちらりと見ると、蝉の抜け殻だった」

    玉井さんは、好奇心が抑えられず、引き返してたずねます。

    「蝉の抜け殻を集めていらっしゃるんですか?」
    気むずかしそうな顔が急に笑顔に変わった。
    「ええ、生きているのをつかまえるのはかわいそうだから、殻をあつめるんです。ほら、この小さいのはツクツクホウシ」

    おもしろいから読んでみてください。

    昔から中国では、蝉の抜け殻(脱皮殻)を漢方薬として利用してきています。食用としても使われていて、色の濃い油蝉はまずくて、羽根が透明のものがおいしいと言われます

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  3. shinichi Post author

    びお・七十二候

    蒙霧升降・ふかききりまとう

    http://www.bionet.jp/2008/08/bio72_39/

    「蒙霧」とは、もうもうとまとわりつくように立ちこめる濃い霧をいいます。物理的には同じ現象ですが、春は、霞といいます。秋は、霧といいます。地面に近い空気が冷やされ、水蒸気が凝結して小さな水滴になり、浮遊している状態をいいます。

    春の霞は、夜になると霞は朧(おぼろ)と呼ばれます。朧月夜の朧です。吉井勇が「月は朧に東山」(『祇園小唄』)と歌った朧です。遠景がぼやけて見えることを一般に霞と呼んでいますが、春の霞は、この唄にみられるように、なんとなく温かいイメージがあります。

    これに対して秋の霧は、何だかひんやりしていて冷たそうです。

    霧は音を立てません。けれども、高原で夏を過ごしていると、霧が音を立ててやってくるような錯覚を覚えることがあります。秋櫻子の句は、そんな感じがよく表現されています。

    秋櫻子が詠んだのは、山霧です。

    霧には、海霧、川霧、谷霧、盆地霧、都市霧、沿岸霧といろいろあります。

    気象観測では、見通せる距離(視程)が1km以上の場合はもや(靄)と呼んで、霧と区別しています。霧粒は直径数μm〜数十μmの大きさのものをいい、1cm3の空気中に数個〜数百個含まれています。水の量を霧水量(きりみずりょう)といいます。

    この霧粒の状態による分類では、湿霧、乾霧、氷霧、霧氷霧 過冷却霧、スモッグなどがあります。霧は各種交通の障害になります。スモッグになると健康にもよくありません。北海道の釧路、根室(根釧地域といいます)などの地域は、冬の日照率は意外といいのですが、夏に海霧がやってきます。一年を通してみると、日本で最も平均気温が低い地域であり、夏に海水浴のできない地域でもあります。

    原田康子の『晩夏』という小説は、霧の街、釧路が舞台でした。宿命を背負った美少女の物語の舞台として、釧路は格好の場所でした。でも、冬はからっと晴れる日が多く、寒いけれど(雪はあまり降りません)陽気な町でもあります。

    根釧地域の夏は、雨に打たれたように霧が海から押し寄せてきて、視界を遮り、大地を覆い尽くします。農作物を守るため、海岸近くに防霧林を植えて、海霧を水滴に変えます。植えられる樹は、ヤチダモ、シナノキ、トドマツ、イチイなどで、まるで樹海のように広大な森となっています。

    山形県酒田地方は米どころとして知られますが、この穀倉地帯を守るための庄内砂丘海岸林は、全長16km、900haに及んでいます。防風だけでなく、濃霧から農作物を守る海岸林は、意外と各地にみられます。

    霧といえば、イギリスを想像する人が多いことでしょう。

    イギリスの霧は、メキシコ湾からやって来る暖流と、北極から来る寒流が、イギリス諸島付近でぶつかり合って生まれる海霧です。

    シェークスピアの『ハムレット』も、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』も、霧なくしては興趣に欠けます。

    カスタネットやギターは、乾いたスペインのものですが、霧の中から現れるバクパイプは、スコットランドのものです。もし、この国に霧がなかったら、20年着ても型崩れしない丈夫な縫製のバーバリーコートは生まれなかったという人もいます。ロンドンの紳士にとってコートは、防寒着というより、まず霧対策の衣服なのです。

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  4. shinichi Post author

    (sk)

    「町の工務店ネット」に「二十四節気」とか「七十二候」といった暦のことを教わる。

    同じ現象でも、春は霞といい、秋は霧という。そんなことを「町の工務店ネット」ではじめて知る私がいる。

    地面に近い空気が冷やされ、水蒸気が凝結して小さな水滴になり、浮遊している状態が、霞といわれ、霧といわれる。

    霞は夜になると朧(おぼろ)といわれる。朧月夜の朧だ。

    遠景がぼやけて見えることを一般に霞というが、霞には、なんとなく温かいイメージがある。これに対して霧は、何だかひんやりしていて冷たそうだ。

    そんなことを書く「町の工務店ネット」。恐るべし。 。。。 っていうか、役にたつようなたたないような情報が、とても嬉しい。

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