齋藤希史

明治から大正にかけての英和辞典を見ると、tradition の訳語には「口伝」「伝説」もしくは「交付」「引渡し」などとあるのが一般的で、大きな辞書になると「慣習」や「因襲」も見られるが「伝統」という語はまず出てこない。そもそも tradition はラテン語の tradere(渡す、伝える)に由来するから法律用語としての財産の引渡しも含め、伝えることや伝えられるものが語議の中心である。
一方漢語としての「伝統」は、もっぱら血統や学統を伝えること、もしくは伝えられた血統や学統のことで、いわば系図の表すことのできるようなものであった。tradition と重なるところがないわけではないが、方向はかなり違う。系統という意識が強いのである。
「tradition」と「伝統」が結びつくのは、大正も半ば以降のこと。自然主義に対する伝統主義、民族の伝統文化などのような言い回しが目立つことから推せば、守るべき価値のあるものであることを強調するために、単なる伝承や伝説を超えるものとして「伝統」が登場したと考えられる。昭和に入ってますます使われるようになるのも、日本の「伝統」が連綿と続くものとして強く意識される時代だったからだろう。現在でも「伝統」にともなう動詞は「守る」が多い。しかしtradition の肝心なところは「伝える」ことにある。“誰から伝わり”、“誰かに伝える”。そして“何を”、“どう伝えるか”は、いま生きている私たちに掛っている。
その『伝統』は伝えるに値するものなのか?『統』を守ることにこだわって、本当に伝えなければならないことを見失っていないか?その問いを忘れてはならない。

2 thoughts on “齋藤希史

  1. shinichi Post author

    (sk)

    「伝統は、守るものではなく、伝えるもの」という言葉に納得。

    **

    伝統という言葉がよく使われるようになったのは、昭和に入ってからだという。

    国家の言う守るべき価値とは、国民が命を懸けて守らなければならないようなものなのか。

    伝統のまやかしに騙されてはいけない。

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