長島尚道

Ippenden時宗の宗祖と仰がれている一遍上人(智真)は、日本国中を念仏賦算(お札くばり)と踊り念仏の遊行の旅を続け、五十一歳で兵庫の観音堂において往生した。一遍上人は往生に先立ち「我化導は一期ばかりぞ」、自分の教えは自分一代かぎりである、と述べ、所持していた書籍等を自分の手で焼いてしまった。それよえ、現在は一遍上人の著作はほとんど残っていない。
「一代の聖教みな尽きて南無阿弥陀仏になりはてぬ」と説き、最後に、「没後の事は我門弟におきては葬礼の儀式をとゝのふべからず。野に捨てゝけだものにほどこすべし」と言い残した。まことに捨聖・一遍上人の臨終の言葉として心に残るものである。

4 thoughts on “長島尚道

  1. shinichi Post author

    (sk)

    日本の歴史に残る宗教家たちには、「あたま」の人が多い。空海も最澄も、栄西も法然も、親鸞や道元でさえ、そして日蓮までも、みんな優秀な人、あたまで考える人というイメージがつきまとう。

    ところが一遍は、「こころ」の人。どこか、マザー・テレサに似ている。一遍が歴史に名を連ねていること自体、なんだか不思議な気がする。そして一遍を好きな日本人は、そう悪くはないと思う。

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