蔵田伸雄

プラトン以来、認識論・知識論の文脈で、「信念」と知・知識とを対比させる時には、「知」は「正しく(真 = true であり)」、「確実で」、「正当化された」信念という意味で用いられている。英語の knowledge は「知識」と訳されることが多いが、この語のニュアンスは、情報と同義で用いられることの多い日本語の「知識」とはかなり異なっている。そのような knowledge = 「知識」に対して belief = 「信念」は「ある程度確からしいものではあっても、正当化されてはいない心の中の命題」といった意味で用いられている。「信念」と訳されることが多い英語の belief は、「固く信じ込まれていること」を意味する日本語の「信念」とはやや意味が異なる。そして哲学的な知識論・認識論では、「知」とは「正当化された信念」(justified belief)、つまり何らかの証拠などによって「正しい」とされた信念を意味している。「信念」(belief)は「知っていること」を意味することもあるが、十分な根拠がなく、まだ正当化されていないものであり、その一方、「知」は科学的な知であれ、日常的な意味での「知識」であれ、それを正しいとするに足る十分な根拠を伴うと考えられている。科学とは、何らかの実験や観察によって正当化されたか、あるいは正当化可能・確証可能な命題の体系であり、共有可能な「知」である。また日常的な「知」についても、それが正しい「知」であるからには、何らかの証拠や証言を伴い、他者がその妥当性を確認できると考えられる。

2 thoughts on “蔵田伸雄

  1. shinichi Post author

    Kurata信と知

    by 蔵田伸雄

    in 知識/情報の哲学

    岩波講座 哲学04
    知識/情報の哲学
     概念と方法
      信と知(蔵田伸雄)

    信(belief, Glauben)と知(knowledge, Wissen)との関連は、西洋哲学の中でも重要なトピックの一つであった。神話的・宗教的色彩をもつ古代ギリシャの哲学では、信あるいは憶測(ドクサ)と知との関連は重要なテーマであったし、信仰と理性との関連を問う中世哲学の中でもそれは重要な課題であった。

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