「知る」とは、どこかに収蔵されている回答を(あるいは、計算すれば出てくる答えを)問いに応じて一義的に出す作業ではない。それは、問いそのものを解釈して変換し。そこに新たな言葉を創出しながら問いと答えの枠組み自体を創発する試みなのである。言葉で視野を捉え、パースペクティヴを転換することは、世界と自己自身を変えていく作業である。「知」を創発するとは、この意味で「知る物」という自らのあり方を形づくることである。透明な自己了解としての知は、自己を創発する可能性となる。
「知る」とは、どこかに収蔵されている回答を(あるいは、計算すれば出てくる答えを)問いに応じて一義的に出す作業ではない。それは、問いそのものを解釈して変換し。そこに新たな言葉を創出しながら問いと答えの枠組み自体を創発する試みなのである。言葉で視野を捉え、パースペクティヴを転換することは、世界と自己自身を変えていく作業である。「知」を創発するとは、この意味で「知る物」という自らのあり方を形づくることである。透明な自己了解としての知は、自己を創発する可能性となる。
知の創発性
― 古代ギリシア哲学からの挑戦
by 納富信留
in 知識/情報の哲学
岩波講座 哲学04
知識/情報の哲学
I 知の起源と挑戦
4 知の創発性 ― 古代ギリシア哲学からの挑戦(納富信留)
五 知を創発する言葉