石牟礼道子

膝を病んで、傾き傾き、難儀して歩みおらいたで、あのとき吊り橋もたしか、戦さのために切りほどいてあったかもしれんよな。 わたいは頭陀袋を下げて先きに歩いて、子どものことじゃけん、まだ半分は眠いが一心で、くずり泣きしながら、 ぎしり、ぎしりと揺るる吊り橋を渡ってゆきおったが、うしろからかかさんの、
「負いずりの紐ば負い直すけん、渡ってしまえ。兄者殿の、落っちゃえらるけん」
そういわいた。
わたいが先に渡ってしもて、わっぱり吊り橋ちゅうは揺れておとろしかん、いくらなんでも目がさめて、ぶるんとふるうて振り返り申したのと、 かかさんの、
「ろくー-っ!」
とおめいて落っちゃえらるのと、谷の下ではげしい水の音がしたのと、いっしょで。

2 thoughts on “石牟礼道子

  1. shinichi Post author

    西南役伝説

    by 石牟礼道子

     わし共、西郷戦争ちゅうぞ。十年戦争ともな。一の谷の熊谷さんと敦盛さんの戦さは昔話にきいとったが、実地に見たのは西郷戦争が始めてじゃったげな。それからちゅうもん、ひっつけひっつけ戦さがあって、日清・日露・満州事変から、今度の戦争――。西郷戦争は、思えば世の中の展くる始めになったなあ。

     西郷戦争は嬉しかったげな。上が弱うなって貰わにゃ、百姓ん世はあけん。戦争しちゃ上が替り替りして、ほんによかった。今度の戦争じゃあんた、わが田になったで。おもいもせん事じゃった。

     御一新後、中央顕官に栄達した薩摩士族が故郷に錦を飾り、人力車の上から、汚れた素足に藁草履を履いて道行く仁礼を見かける。
    「仁礼どんじゃごわはんか」
    という声に、仁礼は人力車上の人物をふっと見あげるが、返事はたった一言、
    「ああ、おはんな」
    というだけである。

     なんの感慨もなげに礼を返し、尻の切れかかった藁草履のかかとを見せて、歩み去るよれよれの後姿が、海に面した町のかげろうの中をゆく。色を失うのは人力車上の人物であったろう。

     目に一丁字もなきただの百姓漁師が、なぜ、生得的としか思えない倫理規範のなかに生きてきたのか。彼らはなぜ、風土の陰影を伴って浮上する劇のように美しいのか。

     そのような人間たちが、この列島の民族の資質のもっとも深い層をなしていたことは何を意味するのか、そこに出自を持っていたであろう民族の性情は今どこにゆきつつあるのか。その思いは死せる水俣の、ありし徳性への痛恨と重なり続けているのである。そのような者たちが夢見ていたであろう、あってしかるべき未来はどこへ行ったのか。あり得べくもない近代への模索をわたしは続けていた。

    拾遺一 六道御前

     膝を病んで、傾き傾き、難儀して歩みおらいたで、あのとき吊り橋もたしか、戦さのために切りほどいてあったかもしれんよな。 わたいは頭陀袋を下げて先きに歩いて、子どものことじゃけん、まだ半分は眠いが一心で、くずり泣きしながら、 ぎしり、ぎしりと揺るる吊り橋を渡ってゆきおったが、うしろからかかさんの、
    「負いずりの紐ば負い直すけん、渡ってしまえ。兄者殿の、落っちゃえらるけん」
     そういわいた。
     わたいが先に渡ってしもて、わっぱり吊り橋ちゅうは揺れておとろしかん、いくらなんでも目がさめて、ぶるんとふるうて振り返り申したのと、 かかさんの、
    「ろくー-っ!」
     とおめいて落っちゃえらるのと、谷の下ではげしい水の音がしたのと、いっしょで。

    拾遺二 草文

    おのごのな、色じんけい殿のおしよらしたばい。なして色じんけいち云いよったろかなあ。

    自分から人間にはもの云いきらずに、犬やら猫やら、泳ぎよる魚にどもものゆうて、遊んでおらばしたばい。おえんしゃまの何か貰いなはればな、すぐにもう裾には犬やら猫やらが待っておって、付いてされきよったけん。いっしょに屈み合うて、分けて食いなはるばっかりだった。

    死んでな。潮の満ちて来て流されて、茶碗ケ鼻の瀬の辺に、髪の毛をおよおよさせて、ひっかっかっておらいますのを、津奈木あたりの舟を見つけて、引き上げられたちゅうばえ。赤子の方は、目がからじゃったげな。鱶にども、食われたじゃろなあ。雪の降る朝になあ。

     目に一丁字もない人間が、この世をどう見ているか、それが大切である。権威も肩書も地位もないただの人間がこの世の仕組みの最初のひとりであるから、と思えた。それを百年分くらい知りたい。それくらいあれば、一人の人間を軸とした家と村と都市と、その時代がわかる手がかりがつくだろう。

     前近代の民の訴えたかった心情を、近代社会はさらに棄てて顧みない。それはなぜなのか、どのように捨てて来たのか。永年にわたる自己の疾病のようにこだわり続けてその極限に水俣のことがある。

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