坂村真民

日の昇るにも 手を合わさず、
月の沈むにも 心ひかれず、
あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして 過ぎゆく人の いかに多きことぞ。
二度とないこの人生を いかに生きいかに死するか、
耳をかたむけることもなく うかうかとして、
老いたる人の いかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも 告げ結う声のあることを 知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し 終わる人のいかに多きことぞ。

One thought on “坂村真民

  1. shinichi Post author

    花は一瞬にして
    咲くのではない。

    大地から芽から出て
    葉をつくり、

    葉を繁らせ、成長して、
    つぼみをつくり
    花を咲かせ、
    実をつくっていく。

    花は一瞬にして
    咲くのではない。
    花は一筋に咲くのだ。



    すべての人が
    幸せを求めている。

    しかし幸せというものは
    そうやすやすと
    やってくるものではない。

    時には不幸という
    帽子をかぶってやってくる。

    だからみんな
    逃げてしまうが、

    実はそれが幸せの正体
    だったりするのだ。



    雑魚は雑魚なりに、
    大海を泳ぎ。

    我は我なりに、
    大地を歩く。



    生も一度きり、
    死も一度きり、
    一度きりの人生だから、

    一年草のように、
    独自の花を咲かせよう。



    花は一瞬にして
    咲かない。

    大木も一瞬にして
    大きくはならない。

    一日一夜の積み重ねの上に
    その栄光を示すのである。



    川はいつも
    流れていなくてはならぬ。

    頭はいつも
    冷えていなくてはならぬ。

    目はいつも
    澄んでいなくてはならぬ。

    心はいつも
    燃えていなくてはならぬ。



    本気になると
    世界が変わってくる。
    自分が変わってくる。

    変わってこなかったら、
    まだ本気になっていない
    証拠だ。

    本気な恋、
    本気な仕事。

    ああ、人間一度はこいつを
    つかまないことには。



    日の昇るにも
    手を合わさず、

    月の沈むにも
    心ひかれず、

    あくせくとして
    一世を終えし人の
    いかに多きことぞ。

    道のべに花咲けど見ず、
    梢に鳥鳴けど聞かず。

    せかせかとして
    過ぎゆく人の
    いかに多きことぞ。

    二度とないこの人生を
    いかに生きいかに死するか、

    耳をかたむけることもなく
    うかうかとして、

    老いたる人の
    いかに多きことぞ。

    川の流れにも風の音にも
    告げ結う声のあることを
    知ろうともせず、

    金に名誉に地位に狂奔し
    終わる人のいかに多きことぞ。



    咲くも無心
    散るも無心

    花は嘆かず
    今を生きる



    一難去って
    また一難。

    でも思えば、
    この難によって、

    念が鍛えられ、
    念の花が咲き、
    念の実が熟するのだ。



    一番恐ろしいのは、
    自己との妥協だ。

    おのれが
    尊いのではない。

    おのれをおのれ
    たらしめるものが、

    おのれのなかに
    あるから尊いのである。

    だからこの
    おのれたらしめるもの
    を見出さなくてはならぬ。
    自覚しなくてはならぬ。

    そのことなくしては、
    人は人としての
    ねうちがあるとは言えない。



    木が美しいのは、
    自分の力で
    立っているからだ。



    最高の人というのは、
    この世の生を、精いっぱい、
    力いっぱい、命いっぱい、
    生きた人。



    少食であれ!
    これは健康のもと。

    少欲であれ!
    これは幸福のもと。

    この二つのものを
    しっかりと身につけよう。

    この世を悔いなく終わるため。
    この世を楽しく生きるため。



    大切なのは、
    かつてでもなく、
    これからでもない。

    一呼吸一呼吸の
    今である。



    鈍刀をいくら磨いても
    無駄なことだというが、

    何もそんなことばに
    耳を借す必要はない。

    せっせと磨くのだ。
    刀は光らないかもしれないが、
    磨く本人が変わってくる。

    つまり刀が
    すまぬすまぬと言いながら、

    磨く本人を
    光るものにしてくれるのだ。



    天才には、
    そう誰にでもなれないが、

    本物には、
    努力次第でなれる。



    流れてさえおれば、
    水は必ず海に達する。

    それと同じように、
    努力さえしておれば、
    所思は必ず遂げられる。



    人間いつかは
    終わりがくる。

    前進しながら
    終わるのだ。



    本を何百巻読んでも、
    本ものにはなれない。

    本は頭を肥やすが、
    足は少しも
    肥やしはしない。

    足からきた悟りが、
    本ものである。



    漫然と生きているのが、
    一番いけない。

    人間何か
    希望を持たねばならぬ。

    希望は小さくてもよい。
    自分独自のものであれば、
    必ずいつか、
    それが光ってくる。

    そして、その人を
    助けるのだ。



    われわれの不幸は、
    待たなくてもやってくる。

    だがわれわれの幸福は、
    待つだけでは来ない。



    尊いのは、
    頭ではなく、手ではなく、
    足の裏である。

    一生人に知られず、
    一生きたない処と接し、

    黙々として、
    その務めを果たしてゆく。

    しんみんよ、
    足の裏的な仕事をし、
    足の裏的な人間になれ。

    頭から光が出る。
    まだまだだめ。

    額から光が出る。
    まだまだいかん。

    足の裏から光が出る。
    そのような方こそ、
    本当に偉い人である。


    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *