明治・大正・昭和と60年間にわたって子どもたちに童話を語り続けた久留島武彦。その活動は日本国内にとどまらず、世界各国にも赴いて見聞を広げ、それを基に多くの童話を創作しました。このお話もそうして生まれた作品の一つで、お隣の韓国が舞台になっています。
原作は『虎の子の大発見』と題され、武彦自らが自信作と認める作品を収録した『童話 久留島名話集』(昭和9年出版)に掲載されています。 ・・・
武彦は、『童話 久留島名話集』の序文で次のように書いています。
「総じて『お話』の書物は、子供自身の手に渡して読ませるよりも、(中略)文を読んで聞かしめられる事が、お話の有つ徳性を最も好く徹底せしめる所以である事を知られたい」
すなわち、子どもに読ませるのではなく、大人が読み聞かせるほうが、お話の真意がよく伝わるというのです。活字を読むより言葉で聞くほうがわかりやすく、生き生きと内容が伝わってくることは、大人の方もご経験済みでしょう。
さて、この話の真意は、「人間がこわいのは、牙でも爪でもなく、知恵があるからだ」というところにあります。しかし原作者の思いを尊重し、お話の中ではあえて活字にしていません。読み聞かせが終わったら、ぜひ、お子さんと膝を交えて、楽しく語り合ってみてください。
絵本『トラの子ウーちゃん』発刊に添えて
by 後藤惣一
児童文化の興隆を図り、明治・大正・昭和と60年間にわたって子どもたちに童話を語り続けた久留島武彦。その活動は日本国内にとどまらず、世界各国にも赴いて見聞を広げ、それを基に多くの童話を創作しました。このお話もそうして生まれた作品の一つで、お隣の韓国が舞台になっています。
原作は『虎の子の大発見』と題され、武彦自らが自信作と認める作品を収録した『童話 久留島名話集』(昭和9年出版)に掲載されています。また本作品は児童文学界からも高く評価され、大正半ばから昭和初期にかけて童話・童謡の黄金期を築いた童話雑誌『赤い鳥』に収録された作品(新美南吉の『ごんぎつね』や芥川龍之介の『蜘蛛の糸』などがある)を、日本映画の巨匠・木下惠介の監修で昭和54年にテレビアニメ化した際には、『赤い鳥』収録作品以外では唯一、放映ラインナップに加えられました。
武彦は、『童話 久留島名話集』の序文で次のように書いています。
「総じて『お話』の書物は、子供自身の手に渡して読ませるよりも、(中略)文を読んで聞かしめられる事が、お話の有つ徳性を最も好く徹底せしめる所以である事を知られたい」
すなわち、子どもに読ませるのではなく、大人が読み聞かせるほうが、お話の真意がよく伝わるというのです。活字を読むより言葉で聞くほうがわかりやすく、生き生きと内容が伝わってくることは、大人の方もご経験済みでしょう。
さて、この話の真意は、「人間がこわいのは、牙でも爪でもなく、知恵があるからだ」というところにあります。しかし原作者の思いを尊重し、お話の中ではあえて活字にしていません。読み聞かせが終わったら、ぜひ、お子さんと膝を交えて、楽しく語り合ってみてください。
トラの子ウーちゃん
by 久留島武彦 (著), 篠崎三朗 (イラスト)
32ページ
幻冬舎ルネッサンス (2013)
トラの子ウーちゃんは、お母さんの言いつけを破って恐いもの見たさで山を下り、人間を探しにでかけます。途中、人間から必死で逃げてきたという牛、豚、鶏に出会いました。そして、各々から聞いた話をヒントにして人間へのイメージを膨らませていきます。果たして、ウーちゃんは人間に会うことができるのでしょうか。原作は『虎の子の大発見』と題され、武彦自らが自信作と認める作品を収録した『童話 久留島名話集』(昭和9年出版)に掲載されています。また、本作品は児童文学界からも高く評価されました。大正半ばから昭和初期にかけて童話・童謡の黄金期を築いた童話雑誌『赤い鳥』に収録された作品(新美南吉の『ごんぎつね』や芥川龍之介の『蜘蛛の糸』などがある)を、日本映画の巨匠・木下惠介の監修で昭和54年にテレビアニメ化した際には、『赤い鳥』収録作品以外では唯一、放映ラインナップに加えられました。「日本のアンデルセン」と呼ばれ、「子どもの膝の前の友達でありたい」と常に願い、子どもの目線で接することを心がけた口演童話家、久留島武彦の絵本化第4弾!
ともがき (くるしま童話名作選 1)
2011/3/5
久留島 武彦、 古内 ヨシ
子ぐものいのり (くるしま童話名作選 2)
2011/11/5
久留島 武彦、 古内 ヨシ
ゆめうりふくろう (くるしま童話名作選 3)
2012/2/8
久留島武彦、 遠山繁年
トラの子ウーちゃん (くるしま童話名作選4)
2013/3/13
久留島 武彦、 篠崎 三朗
すずむし (くるしま童話名作選5)
2014/3/19
久留島 武彦、 黒井 健
ツバメのおんがえし (くるしま童話名作選6)
2015/3/21
久留島 武彦、 篠崎 三郎
月宮殿のおつかい (くるしま童話名作選7)
2016/3/15(予定)
久留島 武彦、 ?
久留島 武彦
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/久留島 武彦
久留島 武彦(1874年 – 1960年)は、大分県玖珠郡森町(現・玖珠町)出身の児童文学者。童謡『夕やけ小やけ』の作詞者でもある。中野忠八や、忠八の弟で久留島武彦の娘婿の久留島秀三郎らとともに日本のボーイスカウト運動の基礎作りにも参画した。運動の一環として訪れたアンデルセンの生地などでアンデルセンの復権を訴え、心を動かされたデンマークの人々から「日本のアンデルセン」と呼ばれた。
村上水軍の末裔である来島通総の直系の子孫で、森藩最後の藩主・久留島通靖の孫である。父・久留島通寛、母・恵喜の長男として、森町に生まれる。
1906年より日本全国での童話の読み聞かせ(口演童話)活動を本格的に開始。訪ねた幼稚園・小学校は6,000を超える。
久留島武彦の生涯
玖珠町商工会
http://www.kusu-shokokai.jp/kurusimatakehiko-siyougai.html
久留島武彦は、明治7年、豊後森藩12代藩主久留島通靖の孫として現在の玖珠町森に誕生しました。本来なら14代後継者として子爵家を継ぐ身でしたが、これは実現せず、彼は児童文化の世界で大輪の花を咲かせることになります。
彼を称する言葉に「口演童話の父」や「日本のアンデルセン」があります。巌谷小波とともに、わが国の近代児童文化の礎を築いたことで知られ、口演童話や児童劇の開拓者でもあります。明治末期に、児童の社会教育機関としてお伽倶楽部を創設し、この全国普及にも努めました。童話ラジオ第1号も武彦の声によるもので、彼は書く童話作家よりも、話す童話作家の道を選びました。
こどもの膝の前の友達になりたいと考え、大正期から亡くなる昭和30年代まで、盛んに全国を口演行脚しています。昭和35年没(享年86歳)。
ラジオ童話『花』(NHK青森で放送)
音源/オープンリールテープに録音
制作年/昭和三十二(一九五七)年六月二十七日
収録時間/十五分五十一秒
内容/日本と世界各地の花事情を紹介し、花が国家の象徴や季節感を得る植物として大切な点を解説している。『玖珠郡史談・第十四号』の久留島武彦特集に、この「花」についての紹介文あり(青森の版画家・佐藤米次郎氏寄稿)
久留島武彦さん本人の肉声をデジタル化し配信しています
久留島武彦先生本人の肉声をインターネットという媒体を使用し口演童話という書物では表現すること難しい『声や響き、言葉の間』という口演するのに 大切なことを知ってもらうため、武彦翁本人の肉声をデジタル化し日本のどんな山間部でも聞けるようになるべく音質を劣化させず加工し音声配信しています
http://kusu.news-site.net/kurusima/kouendouwa/
音源は大分県立先哲史料館収蔵されています。
大分県立先哲史料館【http://sentetusiryokan-b.oita-ed.jp/ 】
大分県先哲叢書刊行協力会
久留島武彦資料集及び評伝の説明【こちらへ】
久留島武彦先哲叢書の購入御希望の方は、大分県立先哲史料館内の大分県先哲叢書刊行協力会までお問い合わせください。
〒870-0814
大分県大分市大字駄原 587番地の1大分県立先哲史料館内
大分県先哲叢書刊行協力会
Phone:097-546-9380 Fax:097-546-9389
参考サイト:
久留島武彦倶楽部
(久留島武彦研究史料のデータベースサイト)
徳重 昭三郎さん(玖珠の物語 十人の思い)
日本のアンデルセン 久留島武彦は、今の時代にこそ必要な人です。
久留島武彦「童話術講話」 / 千年書房・九州の100冊 / 西日本新聞:
(文=玖珠支局・城戸聡志 写真=写真部・納富 猛)
久留島武彦と奈良に関する史的考察─ 寧楽女塾といさがわ幼稚園を中心に─
著者: 渡辺, 良枝
松川, 利広
子どもおおいた第5号:玖珠の殿様 世界をかける
キッズおおいた:【http://www.pref.oita.jp/kids/index.html】
[公共施設のご案内]玖珠町立 わらべの館(トップページ)
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秋の伐株山から撮影した玖珠盆地を覆う雲海
http://www.kusu-shokokai.jp/kirikabu.html?start=6
久留島武彦, アヤ井 アキコ
https://kushima38.kagoyacloud.com/?p=47697