shinichi Post author21/03/2016 at 2:37 pm 京都 炭屋旅館 http://www2.odn.ne.jp/sumiya/ 京都市中京区麩屋町三条下ル TEL:075-221-2188 そこはかと流れる時の中、 炭屋の四季はのんびり、 くつろぎの時間 Reply ↓
shinichi Post author21/03/2016 at 2:45 pm 京都炭屋 おもてなしはお茶の心で 堀部公允, 堀部恵美子, 堀部寛子 (2006) 打ち水された玄関は、「お迎えする用意ができています」という約束事です。 お茶事の宿として知られる炭屋の、先代と若女将が初めて語った、ふだんのおもてなし! Reply ↓
shinichi Post author21/03/2016 at 2:56 pm ちょっと言いたくなる京都通 第197回 ”お茶の心”でもてなす、京の老舗旅館 炭屋旅館 http://www.itohkyuemon.co.jp/site/kyoto/tuu218.html 古き良き日本の風情が感じられますのんえ。 京の三大老舗旅館のひとつ、炭屋旅館。 この炭屋旅館のある三条界隈は、かつて東海道五十三次の終着点で、多くの宿泊所が立ち並んでいました。 俵屋や柊屋などの名だたる旅館もこの同じ麩屋町通りにあります。 炭屋旅館の先々代のご実家は刀の鍛冶屋を営んでいたそうで、当初は旅館ではありませんでした。 大正のはじめ、趣味人だった当時のご主人は、お茶や謡曲の稽古に来られた同門の方々と交流を楽しまれていました。 家に招いては稽古のおさらいをしたり、おいしいものを食べたり…。 100年前ともなると、今と違って交通の便が悪かったため、遠方から稽古に来ると日帰りはとても困難。 一泊するのが当たり前でした。 そこで毎回お部屋を用意するうちに、「ほな、いっそのこと宿屋にでもしよか」と思われたのが旅館の始まりです。 本格的に旅館を営むにあたり、鍛冶屋だった由縁で、“炭”の文字を入れた「炭屋」と名付けられました。 お部屋の名前は、先々代がお好きだった謡曲にちなんでいます。 お彼岸のころには、あじろや簾(すだれ)をしまい、ふすまや障子がたてられて、お部屋もすっかり模様替えします。 季節ごとに掛け軸や生ける花も変わり、五感で四季を感じられるのも、老舗旅館だからこそできるしつらえ。 また事始めも過ぎ、お正月を迎える頃には、庭の苔の上に松葉を敷き、お正月らしさを出して苔の保護をします。 そして春の彼岸前には、この敷き松葉をあげると青々とした苔が春の訪れを見せています。 建物の築年数は約100年を超えることから、お客さまは昔の風情を求めてこちらに足を運ばれます。 普段の便利な生活に慣れていると、照明を落とした空間でさえ、多少戸惑いを感じられることも。 しかし、ほの暗い灯りの中に身を置くと神経が集中し、気持ちが研ぎ澄まされてきます。 この風情ある佇まいは、日本の古き良き時代をより身近に感じさせてくれます。 お庭には先人の知恵がぎょうさん詰まってるんどす 前述の「敷き松葉」が楽しめる中庭に、「残念石」と呼ばれるどっしりとした大きな石があります。 この石は約400年前、豊臣秀吉が大阪城築城の際、諸大名が献上したもの。 大阪城に石を収められるのは、大名にとっては大きな名誉でした。 そのため、各地から石垣用の石が予想以上に大阪城へと集まることに。 結果、石垣として使われないばかりか、大阪城へ運ばれることすらなかったものも。 これら本来の役目を果たせなかった捨石を惜しんで、「残念石」と呼んでいます。 炭屋旅館のものは、島根県の松江藩城主が六甲山の御影石に家紋を刻んだ後で、不要になったもの。 六甲山のふもとに捨てられていたものが、昭和の時代に植木屋さんを通じて、この旅館に持ち込まれました。 今では蹲(つくばい/茶庭などに据える手水鉢[ちょうずばち])として使われています。 大阪城で石垣となっているはずの立派な石が、こうして違う形で日の目を見るなんて…。 石にとっても、想像さえしなかったことでしょう。 また、お庭を囲む塀ですが、地面との間に「井戸瓦」があしらわれています。 地下水が豊富だった京都には、井戸がたくさんあり、井戸の周りには瓦が貼られていました。 今は井戸を使うこともなくなりましたが、京都の街中でもお寺の飾り瓦などとして、その井戸瓦を再利用している光景を見かけます。 使えるものを決して無駄にはしない、“詫び寂び”の美意識を極めた先人たちの知恵がたくさん詰まっているのです。 それを知ってか知らずか、近くの鴨川や御所からは、鳥たちが羽を休めにやってくるのだとか。 なんとも、心が和む光景ですね。 京の街中でお茶ができるお宿、ほかにはおへん 京都を代表する日本旅館として、炭屋旅館は「お茶の宿」としても広く知られています。 打ち水された玄関は「いつでもお客さまをお迎えする準備が整っています。どうぞお待ちしております」というお茶の約束ごとを表しています。 先代は裏千家の老分という大役を務めた方で、この建物はまさに茶人好みの数寄屋造り。 「玉兎庵(ぎょくとあん)」や「一如庵(いちにょあん)」をはじめ、五つの部屋に炉が切られているため、いつでもお茶事ができるのです。 そして、毎月7日と17日はお茶室に釜をかけ、その日宿泊された方をお招きし、薄茶の接待をしています。 これは人をもてなすのが好きだった、先々代の意思を受け継いでのこと。 長年培ってきた、炭屋ならではの「おもてなし」。 それが一番の供養にもつながるのでしょう。 気軽に楽しめるお茶会として、この日を目当てに来られるお客さんも多いとか。 せっかくの機会です。こういったお茶に詳しい旅館で、お茶を体験するのも一興かもしれませんね。 普段からお茶に親しんでられる方はもちろん、これから始めようという方、一度体験してみたいという方にも、ぜひお茶に触れていただきたい。 そう女将さんはおっしゃいます。 「旅館やお茶というと敷居が高いとか堅苦しいとか。いろいろ思わはるかもしれませんが、わからへんことは何でも聞いておくれやす」。 大正・昭和を代表する歌人・吉井勇さんもこう詠んでおられます。 「京に来て うれしとおもう 静かなる 利休ごのみの宿のひとよを」。 お茶は精神を安定させるといい、古くから人を魅了してきました。 情緒あふれるこの旅館でお茶をいただきながら、お庭を眺めたり、本を読んだり、手紙をしたためたり…。 慌ただしい日常を忘れて、そんなひとときを過ごしてみるのもいいかもしれませんね。 Reply ↓
shinichi Post author21/03/2016 at 3:14 pm 炭屋旅館 女将 堀部 寛子さん 京の老舗旅館でふれる日本文化の神髄 京都の中心街にありながら、静かにくつろぎの時が流れる炭屋旅館。 数寄屋造りの名旅館で点心(食事)とお抹茶をいただきながら、三代目の女将、堀部寛子さんから茶の湯のおもてなしの心を伺う。 JTB 感動魅力人 http://www.jtb.co.jp/miryokubito/totteoki/56.asp 茶の湯の心でもてなす老舗旅館 格式のある京都の老舗旅館で、茶の湯を体験。緊張しながら訪ねると、女将の堀部寛子さんは「ご自分から敷居を高こうせんと、もっと気軽に炭屋を訪ねてくだされば、お茶も好きにならはると思いますよ」と、にこやかな笑顔で出迎えてくれた。楚々と歩く姿、ふすまの開け閉め、着物姿の端正な正座。一つひとつの所作に気品が漂う。 大正の初め、まだまだ時間が緩やかに流れていた時代こと。女将さんの祖父は、茶の湯や謡曲、焼き物、謡いが大好きで、その住まいには同好の趣味人たちが集まって泊まるようになった。それがいつしか宿屋となったのが、炭屋旅館の始まりという。二代目の父も祖父に輪を掛けた趣味人で、特に茶の湯では裏千家の「老分」(宗家を支える大役)となり、献茶式や茶会などで全国を回った。炭屋旅館には全国の茶人やお茶好きが多く泊まるようになり、「茶の湯の宿」として広く知られるようになった。 「相手を考えてお茶を点てるのが、茶の湯。父は、そのお茶の心を旅館に取り入れてみようと考えて、それが炭屋のおもてなしの心になっています」。 自らお茶を点てる体験もできる 「床の間も庭も、正座して見るのが、いちばん美しく見えるように造られています。そんな日本の伝統文化の良さを皆さんにお伝えしたいと思っています」。 京都の中心街にあることを忘れさせるような静かな時間が流れる部屋で食事をいただき、裏千家ご先代淡々斉宗匠より庵号をいただいたという茶室「玉兎庵」でお茶を一服いただきながら、女将さんの話を伺う。炭屋旅館の歴史や茶の湯の作法はもちろん、正座のコツまで教えていただける。日本で暮らしていても、畳の生活とは縁遠くなった昨今、知っておきたいけれどなかなか学ぶことができなかった伝統的な作法をこの機会にぜひ身に着けよう。贅沢な空間と時間だからこそ発見できる、日本文化の魅力がきっとあるだろう。 今回のプランでは、正式なお点前で抹茶をいただけるだけでなく、実際にお茶を点てる体験も特別にできる。「お二人で来られたら、互いに相手の心を思いやって点てるのも楽しいでしょうね。お一人ならご自分のために点ててみるのも、またお茶の味わい方が違います」。 茶の湯が初めてという方も、堀部さんのやさしい京言葉に癒やされ、きっと緊張もほぐれることでしょう。ぜひ、お気軽にお越しやす。 炭屋旅館の見どころ 炭屋旅館は京都を代表する老舗旅館の一つで、格式高い茶室を備えた「茶の湯の宿」としても有名です。大正時代の初めにたてられたという数寄屋造りの建物は、自然を取り入れた露地や四季によりしつらえを変える部屋など、京都の中心にありながら、山居のような趣きを感じる。先々代、先代の命日である毎月七日と十七日の夜には、茶室に釜を掛け、宿泊客にお茶を一服差し上げるおもてなしがあり、それを楽しみにお泊まりになるお客さまも多い。 Reply ↓
shinichi Post author21/03/2016 at 3:23 pm 堀部寛子 炭屋旅館女将 言葉の壁 接客で越える 和の文化 身ぶり手ぶりで かんさい輝く時 観光考インタビュー(3) http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004356/20140523-OYTAT50044.html 最近の出来事です。あるお客様が「主人が生前、もう一度、炭屋さんに行きたがっていましてね」と、ほろっとおっしゃられました。 ご病気で亡くなられたそうで、夕食の際、床の間に(故人に供える)陰膳を据えました。ご主人様のことはよく覚えていましたから、滞在された時のことをお話しすると、とても喜んでくれはりました。 米寿の祝いや誕生日、出張……。みなさんの滞在理由はお会いするまでわかりません。筋書きがないからこそ、接客は臨機応変が基本です。 ◇ 嫁いで30年以上になります。最初は慣れないことも多く、言葉遣いから先代の女将(おかみ)に徹底的に直されました。そんな中で会得したのが、自分がお客様の立場だったら、どんな時にうれしいかを考えることの大切さでした。 先代の頃に比べ、旅館の切り盛りも変わり、外国のお客様やインターネット予約が多くなりました。畳や季節の花、懐石料理と、旅館には和の文化が凝縮されているのが魅力のようです。部屋にあいさつに伺い、「プリーズ・リラックス」と言っても正座したままの方も多く、日本の伝統に何とか親しもうという気持ちを感じます。 関西には長い歴史が培った様々な文化が集まっています。京都は長い間、都が置かれ、奈良にはさらに古い文化、大阪、神戸には近代化の足跡があります。関西が一つになって和の文化の魅力を発信すれば、必ず外国のお客様も増えると思います。 ただ、注文もあります。京都でも高い建物がどんどん増えていますが、古くからある景観を大切にして後世に伝え残してほしいのです。 細い通りにはまだまだ名前の記載がない所も多く、日本人でさえ迷いがちで、観光掲示板の外国語表記もあやふやです。もっと外国のお客様に親切な取り組みができないのでしょうか。 ◇ 言葉の違いから生まれる心の壁を、接客では取り払う必要があります。日本人は素直に気持ちを表現するのが苦手ですが、それでは真意は伝わりにくい。 日本の文化を知ろうと、下調べして来られるお客様は多いです。「外国の方やから仕方ない」と拒絶するのではなく、笑顔を心がけ、身ぶりや手ぶりを交えるようにしています。 それでも通じなかったら紙に書いてもらい、理解しようとしています。難しいことではありません。何とかなるもんです。(聞き手・松永喜代文) ◇ほりべ・ひろこ 炭屋旅館(京都市中京区)の4代目女将。旅館は大正初期の創業で、京都の老舗旅館の一つとして知られる。京都府内の女将でつくる「みやこ女将の会」会長を務め、古都の観光振興にも精力的に取り組む。共著書に「京都炭屋 おもてなしはお茶の心で」。62歳。 Reply ↓
京都 炭屋旅館
http://www2.odn.ne.jp/sumiya/
京都市中京区麩屋町三条下ル TEL:075-221-2188
そこはかと流れる時の中、
炭屋の四季はのんびり、
くつろぎの時間
京都炭屋 おもてなしはお茶の心で
堀部公允, 堀部恵美子, 堀部寛子
(2006)
打ち水された玄関は、「お迎えする用意ができています」という約束事です。
お茶事の宿として知られる炭屋の、先代と若女将が初めて語った、ふだんのおもてなし!
ちょっと言いたくなる京都通
第197回 ”お茶の心”でもてなす、京の老舗旅館
炭屋旅館
http://www.itohkyuemon.co.jp/site/kyoto/tuu218.html
古き良き日本の風情が感じられますのんえ。
京の三大老舗旅館のひとつ、炭屋旅館。
この炭屋旅館のある三条界隈は、かつて東海道五十三次の終着点で、多くの宿泊所が立ち並んでいました。
俵屋や柊屋などの名だたる旅館もこの同じ麩屋町通りにあります。
炭屋旅館の先々代のご実家は刀の鍛冶屋を営んでいたそうで、当初は旅館ではありませんでした。
大正のはじめ、趣味人だった当時のご主人は、お茶や謡曲の稽古に来られた同門の方々と交流を楽しまれていました。
家に招いては稽古のおさらいをしたり、おいしいものを食べたり…。
100年前ともなると、今と違って交通の便が悪かったため、遠方から稽古に来ると日帰りはとても困難。
一泊するのが当たり前でした。
そこで毎回お部屋を用意するうちに、「ほな、いっそのこと宿屋にでもしよか」と思われたのが旅館の始まりです。
本格的に旅館を営むにあたり、鍛冶屋だった由縁で、“炭”の文字を入れた「炭屋」と名付けられました。
お部屋の名前は、先々代がお好きだった謡曲にちなんでいます。
お彼岸のころには、あじろや簾(すだれ)をしまい、ふすまや障子がたてられて、お部屋もすっかり模様替えします。
季節ごとに掛け軸や生ける花も変わり、五感で四季を感じられるのも、老舗旅館だからこそできるしつらえ。
また事始めも過ぎ、お正月を迎える頃には、庭の苔の上に松葉を敷き、お正月らしさを出して苔の保護をします。
そして春の彼岸前には、この敷き松葉をあげると青々とした苔が春の訪れを見せています。
建物の築年数は約100年を超えることから、お客さまは昔の風情を求めてこちらに足を運ばれます。
普段の便利な生活に慣れていると、照明を落とした空間でさえ、多少戸惑いを感じられることも。
しかし、ほの暗い灯りの中に身を置くと神経が集中し、気持ちが研ぎ澄まされてきます。
この風情ある佇まいは、日本の古き良き時代をより身近に感じさせてくれます。
お庭には先人の知恵がぎょうさん詰まってるんどす
前述の「敷き松葉」が楽しめる中庭に、「残念石」と呼ばれるどっしりとした大きな石があります。
この石は約400年前、豊臣秀吉が大阪城築城の際、諸大名が献上したもの。
大阪城に石を収められるのは、大名にとっては大きな名誉でした。
そのため、各地から石垣用の石が予想以上に大阪城へと集まることに。
結果、石垣として使われないばかりか、大阪城へ運ばれることすらなかったものも。
これら本来の役目を果たせなかった捨石を惜しんで、「残念石」と呼んでいます。
炭屋旅館のものは、島根県の松江藩城主が六甲山の御影石に家紋を刻んだ後で、不要になったもの。
六甲山のふもとに捨てられていたものが、昭和の時代に植木屋さんを通じて、この旅館に持ち込まれました。
今では蹲(つくばい/茶庭などに据える手水鉢[ちょうずばち])として使われています。
大阪城で石垣となっているはずの立派な石が、こうして違う形で日の目を見るなんて…。
石にとっても、想像さえしなかったことでしょう。
また、お庭を囲む塀ですが、地面との間に「井戸瓦」があしらわれています。
地下水が豊富だった京都には、井戸がたくさんあり、井戸の周りには瓦が貼られていました。
今は井戸を使うこともなくなりましたが、京都の街中でもお寺の飾り瓦などとして、その井戸瓦を再利用している光景を見かけます。
使えるものを決して無駄にはしない、“詫び寂び”の美意識を極めた先人たちの知恵がたくさん詰まっているのです。
それを知ってか知らずか、近くの鴨川や御所からは、鳥たちが羽を休めにやってくるのだとか。
なんとも、心が和む光景ですね。
京の街中でお茶ができるお宿、ほかにはおへん
京都を代表する日本旅館として、炭屋旅館は「お茶の宿」としても広く知られています。
打ち水された玄関は「いつでもお客さまをお迎えする準備が整っています。どうぞお待ちしております」というお茶の約束ごとを表しています。
先代は裏千家の老分という大役を務めた方で、この建物はまさに茶人好みの数寄屋造り。
「玉兎庵(ぎょくとあん)」や「一如庵(いちにょあん)」をはじめ、五つの部屋に炉が切られているため、いつでもお茶事ができるのです。
そして、毎月7日と17日はお茶室に釜をかけ、その日宿泊された方をお招きし、薄茶の接待をしています。
これは人をもてなすのが好きだった、先々代の意思を受け継いでのこと。
長年培ってきた、炭屋ならではの「おもてなし」。
それが一番の供養にもつながるのでしょう。
気軽に楽しめるお茶会として、この日を目当てに来られるお客さんも多いとか。
せっかくの機会です。こういったお茶に詳しい旅館で、お茶を体験するのも一興かもしれませんね。
普段からお茶に親しんでられる方はもちろん、これから始めようという方、一度体験してみたいという方にも、ぜひお茶に触れていただきたい。
そう女将さんはおっしゃいます。
「旅館やお茶というと敷居が高いとか堅苦しいとか。いろいろ思わはるかもしれませんが、わからへんことは何でも聞いておくれやす」。
大正・昭和を代表する歌人・吉井勇さんもこう詠んでおられます。
「京に来て うれしとおもう 静かなる 利休ごのみの宿のひとよを」。
お茶は精神を安定させるといい、古くから人を魅了してきました。
情緒あふれるこの旅館でお茶をいただきながら、お庭を眺めたり、本を読んだり、手紙をしたためたり…。
慌ただしい日常を忘れて、そんなひとときを過ごしてみるのもいいかもしれませんね。
炭屋旅館 女将
堀部 寛子さん
京の老舗旅館でふれる日本文化の神髄
京都の中心街にありながら、静かにくつろぎの時が流れる炭屋旅館。
数寄屋造りの名旅館で点心(食事)とお抹茶をいただきながら、三代目の女将、堀部寛子さんから茶の湯のおもてなしの心を伺う。
JTB 感動魅力人
http://www.jtb.co.jp/miryokubito/totteoki/56.asp
茶の湯の心でもてなす老舗旅館
格式のある京都の老舗旅館で、茶の湯を体験。緊張しながら訪ねると、女将の堀部寛子さんは「ご自分から敷居を高こうせんと、もっと気軽に炭屋を訪ねてくだされば、お茶も好きにならはると思いますよ」と、にこやかな笑顔で出迎えてくれた。楚々と歩く姿、ふすまの開け閉め、着物姿の端正な正座。一つひとつの所作に気品が漂う。
大正の初め、まだまだ時間が緩やかに流れていた時代こと。女将さんの祖父は、茶の湯や謡曲、焼き物、謡いが大好きで、その住まいには同好の趣味人たちが集まって泊まるようになった。それがいつしか宿屋となったのが、炭屋旅館の始まりという。二代目の父も祖父に輪を掛けた趣味人で、特に茶の湯では裏千家の「老分」(宗家を支える大役)となり、献茶式や茶会などで全国を回った。炭屋旅館には全国の茶人やお茶好きが多く泊まるようになり、「茶の湯の宿」として広く知られるようになった。
「相手を考えてお茶を点てるのが、茶の湯。父は、そのお茶の心を旅館に取り入れてみようと考えて、それが炭屋のおもてなしの心になっています」。
自らお茶を点てる体験もできる
「床の間も庭も、正座して見るのが、いちばん美しく見えるように造られています。そんな日本の伝統文化の良さを皆さんにお伝えしたいと思っています」。
京都の中心街にあることを忘れさせるような静かな時間が流れる部屋で食事をいただき、裏千家ご先代淡々斉宗匠より庵号をいただいたという茶室「玉兎庵」でお茶を一服いただきながら、女将さんの話を伺う。炭屋旅館の歴史や茶の湯の作法はもちろん、正座のコツまで教えていただける。日本で暮らしていても、畳の生活とは縁遠くなった昨今、知っておきたいけれどなかなか学ぶことができなかった伝統的な作法をこの機会にぜひ身に着けよう。贅沢な空間と時間だからこそ発見できる、日本文化の魅力がきっとあるだろう。
今回のプランでは、正式なお点前で抹茶をいただけるだけでなく、実際にお茶を点てる体験も特別にできる。「お二人で来られたら、互いに相手の心を思いやって点てるのも楽しいでしょうね。お一人ならご自分のために点ててみるのも、またお茶の味わい方が違います」。
茶の湯が初めてという方も、堀部さんのやさしい京言葉に癒やされ、きっと緊張もほぐれることでしょう。ぜひ、お気軽にお越しやす。
炭屋旅館の見どころ
炭屋旅館は京都を代表する老舗旅館の一つで、格式高い茶室を備えた「茶の湯の宿」としても有名です。大正時代の初めにたてられたという数寄屋造りの建物は、自然を取り入れた露地や四季によりしつらえを変える部屋など、京都の中心にありながら、山居のような趣きを感じる。先々代、先代の命日である毎月七日と十七日の夜には、茶室に釜を掛け、宿泊客にお茶を一服差し上げるおもてなしがあり、それを楽しみにお泊まりになるお客さまも多い。
堀部寛子 炭屋旅館女将
言葉の壁 接客で越える 和の文化 身ぶり手ぶりで
かんさい輝く時 観光考インタビュー(3)
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004356/20140523-OYTAT50044.html
最近の出来事です。あるお客様が「主人が生前、もう一度、炭屋さんに行きたがっていましてね」と、ほろっとおっしゃられました。
ご病気で亡くなられたそうで、夕食の際、床の間に(故人に供える)陰膳を据えました。ご主人様のことはよく覚えていましたから、滞在された時のことをお話しすると、とても喜んでくれはりました。
米寿の祝いや誕生日、出張……。みなさんの滞在理由はお会いするまでわかりません。筋書きがないからこそ、接客は臨機応変が基本です。
◇
嫁いで30年以上になります。最初は慣れないことも多く、言葉遣いから先代の女将(おかみ)に徹底的に直されました。そんな中で会得したのが、自分がお客様の立場だったら、どんな時にうれしいかを考えることの大切さでした。
先代の頃に比べ、旅館の切り盛りも変わり、外国のお客様やインターネット予約が多くなりました。畳や季節の花、懐石料理と、旅館には和の文化が凝縮されているのが魅力のようです。部屋にあいさつに伺い、「プリーズ・リラックス」と言っても正座したままの方も多く、日本の伝統に何とか親しもうという気持ちを感じます。
関西には長い歴史が培った様々な文化が集まっています。京都は長い間、都が置かれ、奈良にはさらに古い文化、大阪、神戸には近代化の足跡があります。関西が一つになって和の文化の魅力を発信すれば、必ず外国のお客様も増えると思います。
ただ、注文もあります。京都でも高い建物がどんどん増えていますが、古くからある景観を大切にして後世に伝え残してほしいのです。
細い通りにはまだまだ名前の記載がない所も多く、日本人でさえ迷いがちで、観光掲示板の外国語表記もあやふやです。もっと外国のお客様に親切な取り組みができないのでしょうか。
◇
言葉の違いから生まれる心の壁を、接客では取り払う必要があります。日本人は素直に気持ちを表現するのが苦手ですが、それでは真意は伝わりにくい。
日本の文化を知ろうと、下調べして来られるお客様は多いです。「外国の方やから仕方ない」と拒絶するのではなく、笑顔を心がけ、身ぶりや手ぶりを交えるようにしています。
それでも通じなかったら紙に書いてもらい、理解しようとしています。難しいことではありません。何とかなるもんです。(聞き手・松永喜代文)
◇ほりべ・ひろこ 炭屋旅館(京都市中京区)の4代目女将。旅館は大正初期の創業で、京都の老舗旅館の一つとして知られる。京都府内の女将でつくる「みやこ女将の会」会長を務め、古都の観光振興にも精力的に取り組む。共著書に「京都炭屋 おもてなしはお茶の心で」。62歳。