山田順

メディアを抜きにして被災者救済はできない
「報道ヘリ」の騒音批判に関しては、阪神・淡路大震災のときにも同じようなことがあった。現場で瓦礫の下の生存者の救済に当たっている作業員から、「生存者の声がヘリの音がうるさくて聞こえない」という不満の声が上がったからだ。
しかし、当時の神戸上空には報道ヘリだけが飛んでいたわけではない。自衛隊をはじめ多数のヘリが飛んでいた。それなのに、なぜか報道ヘリだけが視聴者の槍玉にあがり、「ヘリで取材するひまがあったら救援物資を落とせ」など、ヒステリックに批判された。
しかし、これらの批判は、みなテレビ報道を見た一般視聴者が、正義感にかられてメディアを批判したもので、きわめて感情的なものである。
今回の熊本でのツイッターやFAXでの批判も、ほぼあのときと同じだ。自分たちは安全なところで見ていて、現場の救援作業が進まない苛立ちを誰かを悪者(つまりメディア)にすることで解消しているに過ぎない。
私は、ツイッターが災害や事件に対して大きな効力を発揮することに異論はない。しかし、それは現場にいる人間や当事者が発するツイッターであり、外野が発するツイッターではない。メディアに向かって「被災者にとってメディアは迷惑な存在だと自覚せよ」などという“正論”をぶつツイッターユーザーには、「そんなに言うなら、あなた自身が現場に行って被災者を助けてみろ」と言いたい。

2 thoughts on “山田順

  1. shinichi Post author

    被災地には「邪魔」な存在でも、メディア抜きでは「救済」できない

    by 山田順

    iRONNA

    http://ironna.jp/article/3166?p=1

     4月14日に発生した熊本大地震の報道を巡って、主にネット住民による「メディア批判」が繰り返されている。その背景には、現場に殺到したメディアの“過熱報道”があるが、これまで巻き起こったメディア批判には、納得できるものもあれば、「それは違うだろう」と納得できないものもある。

     そこで、「iRONNA編集部」の要請に応じて、これらの批判をチェックし、改めてメディアの役割、使命を考えてみたい。

    活かされなかった「阪神・淡路」の教訓

     まず、メディア批判のなかで、これはどうしようもないと思えたのが、「関西テレビの中継車によるガソリンスタンド割り込み」事件だ。これは、4月18日、熊本県内のガソリンスタンドで、給油待ちをしていた車の列に同社の中継車が割り込んで給油していたという、信じがたい事件だ。

     地元のツイッターユーザーが、「ガソリン入れるために朝早くからたくさんの人が並んでたのに横入りされた」と、中継車の写真付きでツイートしたため、大拡散した。
     このツイートは、このように訴えていた。

    “母が「後ろに他の人もいるので並んで下さい」て言ったのにも関わらず無視して我先にとガソリン入れてました。 テレビ局だからいいんですか?? もう少し考えて欲しい”

     たしかにその通りである。これは災害現場という状況とは関係なく、どこであろうと許されない行為だ。慌てた関西テレビは、すぐに「あってはならない行為」として、公式に謝罪したのは言うまでもない。

     それにしても、不思議なのは、なぜこんな割り込みができたのか?ということだ。

     関西テレビと聞いて私が思い出すのは、1995年の阪神・淡路大震災のとき、関西テレビの取材クルーが大活躍したことだ。当時、関西テレビでは全社員の約3分の1にあたる200人が地震による家屋倒壊などの被害を受け、報道局員の約4分の1は被災者だった。にもかかわらず、彼らは混乱のなか、視聴者、被災者のための現場報道を続けた。このときの教訓がなぜ活かされなかったのだろうか?

    ヘリ騒音、過剰取材…次々批判の的に

     ガソリンスタンド事件に続いて批判されたのが、「報道ヘリの騒音」「現場クルーの過剰取材」への批判である。日本テレビは4月18日の午後17時半ごろから、倒壊した家屋内に閉じ込められた被災者を救済する模様を実況中継した。緊迫した現場の模様がお茶の間に流れた。

     しかし、ツイッターでは、「報道ヘリの音で、助けを求める声がかき消されたらどうするんだ」という声が拡散した。さらに、「救助した人をブルーシートで覆いながら歩かざるをえないのは、報道ヘリが空から撮影してるからでしょ。 助けを求める声を掻き消すし、救助作業の能率だって下げてる」「報道ヘリのせいでブルーシートたくさん使わなきゃいけないし、そうなると人手がたくさんいるし、迷惑だってわからないの?」などいうツイートもあり、ここでは「報道ヘリ」と現場の「撮影クルー」が、完全な悪者、邪魔者にされてしまった。

     さらに、4月18日のNHK「あさイチ」では、有働由美子アナが、ある視聴者からのFAXを読み上げた。このFAXの主は熊本に住んでいる友人から聞いたと言って、次のようにメディアを批判していた。

    「余震で崩れそうなお宅の前でテレビ局がずっと待機しているのだそうです。どこの局かはわかりませんが、ご当人にとってはすごく失礼なことではないでしょうか?」

    メディアを抜きにして被災者救済はできない

     「報道ヘリ」の騒音批判に関しては、阪神・淡路大震災のときにも同じようなことがあった。現場で瓦礫の下の生存者の救済に当たっている作業員から、「生存者の声がヘリの音がうるさくて聞こえない」という不満の声が上がったからだ。

     しかし、当時の神戸上空には報道ヘリだけが飛んでいたわけではない。自衛隊をはじめ多数のヘリが飛んでいた。それなのに、なぜか報道ヘリだけが視聴者の槍玉にあがり、「ヘリで取材するひまがあったら救援物資を落とせ」など、ヒステリックに批判された。

     しかし、これらの批判は、みなテレビ報道を見た一般視聴者が、正義感にかられてメディアを批判したもので、きわめて感情的なものである。

     今回の熊本でのツイッターやFAXでの批判も、ほぼあのときと同じだ。自分たちは安全なところで見ていて、現場の救援作業が進まない苛立ちを誰かを悪者(つまりメディア)にすることで解消しているに過ぎない。

     私は、ツイッターが災害や事件に対して大きな効力を発揮することに異論はない。しかし、それは現場にいる人間や当事者が発するツイッターであり、外野が発するツイッターではない。メディアに向かって「被災者にとってメディアは迷惑な存在だと自覚せよ」などという“正論”をぶつツイッターユーザーには、「そんなに言うなら、あなた自身が現場に行って被災者を助けてみろ」と言いたい。

     それなのに、今回もまたメディア側の人間までも、「報道ヘリを1社に限定するようにできないか」「救助は初動72時間が勝負。せめて72時間は報道ヘリが飛ばないよう法制化を」などと言い出したのにはあきれた。

     報道ヘリも現場クルーも、ある意味で、“使命感”に基づいて取材をしている。メディアはともかく伝えるということが、最大の使命で、それだけは果たしている。

     被災者にとって、メディアは邪魔者かもしれないが、全国の人々にとっては、空撮や現場報道によって伝えないかぎり、その災害の全容はわからない。たとえ一時的に邪魔に思えても、メディアを抜きにしては、被災者の救済はできないと、私自身の経験から思う。

    梨元勝氏が深く反省したメディアの暴走

     話は古くなるが、芸能リポーターの故・梨元勝氏がいちばん悔んでいたのは、「報道ヘリ」で大変な間違いをしでかしたことだった。「あれは本当に間違いだった。いまも悔んでいる」と、私は梨元氏から何度も聞いた。

     1986年11月、伊豆大島の三原山が大噴火を起こし、島民が船で緊急避難するという大災害が起こった。このときも、テレビをはじめとするメディアは報道合戦を繰り広げ、ワイドショーも連日、大島と避難した人々の状況を伝えた。

     そんな最中、梨元氏はある歌手から両親が大島に住んでいて、かわいがっていた目の悪い老犬を置き去りにして避難してきたという話を聞いた。それで、大島への取材が解禁されたとき、報道ヘリに乗って、その老犬を救出に向かったのである。カメラは報道ヘリの離陸から回され、大島で老犬を発見して東京に戻って来るという一部始終がワイドショーで放映されると、視聴者から猛烈な抗議が殺到した。「苦しんでいる被災者がいるというのに、犬1匹のためにヘリを飛ばすとはなにごとだ」

     これは、視聴者の言う通りだった。梨元氏は深く反省し、視聴者に謝罪した。

     「ともかく視聴率。そのために感動的なシーンを撮れればと後先を考えずに突っ走ってしまった」と、梨元氏はうなだれた。

     これはメディアの暴走の最たる例だが、現在のテレビ報道はここまでひどくはないだろう。

    最悪のとき、人間は言葉を失う

     いずれにせよ、被災地は一種の戦場である。被災した人々の悲しみ、苦しみははかりしれなく、どんなメディアであろうと、それを正確に伝えることなどできない。

     ところが、メディアは、時としてその使命を逸脱し、「お涙ちょうだい」報道をしたがる。また「大変だ、大変だ」と騒ぎたがる。そのため、被災者の悲しみや苦しみを増幅して伝えたいがために、マイクを向け、「大変なことになりましたね」「いまなにが必要ですか?」「なにが足りませんか?」などと、聞きまくる。

     しかし、本当に悲しんでいる人間、苦しんでいる人間は、これに答える余裕などない。最悪の状況のとき、人間は言葉を失う。

     したがって、「水が足りません」「食料がもらえない」「夜、眠れません」などと答えられる人間は、被災者のなかでも、失礼を顧みずに言えば、まだマシな方々である。それなのに、現場を知らないツイッターユーザーは、被災者の心の痛みがわかっていないとメディアを批判する。

     余談かもしれないが、熊本の私の知人は、こういったことがバカらしくて、被災地から福岡に逃げてホテル暮らしを始めた。

     「メディアも被災者も一体になって、モノが足りないなどと言っているが、車でも電車でもちょっと走れば佐賀や福岡に行ける。水がない、食料がないなんて言っているが、そんなに欲しいなら自分から動けばいいではないか。
     本当に被災して困り果てている方たちは別だが、ここは日本だ。コンビニはどこにでもある」

    硬直したシステムを批判せよ

     今回も、地震から数日たって、被災地に救援物資が届いていないことが明るみになった。役所には企業や団体から届いた食料や毛布などが山積みになっているのに、被災地の現場には届けられていない。

     これは、ほぼ役人のせいである。役人は誰かの命令があり、またそれが規則通りでないと動かない。誰も自分から動こうなどとしないのである。

     私は、世界で地震や災害が起こるたびにボランティア活動をしているあるキリスト教団体の代表(アメリカ人)と付き合いがあるが、彼はいつもこのことをこぼしている。

    「神戸のときも東日本のときも、真っ先にメンバーと駆けつけましたが、役所に行くと“なにしに来た”です。まだなにも決まっていないからやることはないと言われます。外には苦しんでいる人がいっぱいいるのに、彼らは届いた救援物資の仕分けをしていたり、会議を延々としていたりしているのです。そんなことをするより、すぐ目の前にある災害に立ち向かうべきです。
     欧米ではこんなことはありえません。ボランティアで行くと、よく来てくれた、すぐにこれをやってくれと言われます」

     ツイッターなどのSNSユーザーは、メディア批判する余裕があるなら、むしろ、こうした日本の硬直したシステムを批判すべきだろう。

    ホリエモンが批判した自主性のなさ

     ところで、今回の熊本大地震で、ホリエモンこと堀江貴文氏と尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏が、ネット上で火花を散らした。

     地震発生後から、テレビメディアなどは、いつもの伝で番組などを自粛した。これに対し、ホリエモンは「熊本の地震への支援は粛々とすべきだが、バラエティ番組の放送延期は全く関係無い馬鹿げた行為。人のスケジュールを押さえといて勝手に何も言わずキャンセルするとはね。アホな放送局だ」とツイートしたのである。

     これは別の意味でのメディア批判である。

     ホリエモンは「単に『こんな時に馬鹿な番組やりやがって』というノイジーマイノリティの苦情を受けるのが嫌なだけ」と、メディアの自主性のなさを批判した。

     ところが、尾木氏は「番組自粛はごく自然な人間らしい判断」とのタイトルでブログを更新。「水も食料もなく避難所にも入れないで グランドで寒さのなか身を寄せあっておられるたくさんの被災者の皆さん さておいて普段通りの楽しい番組構成にブレーキかかるのあまりにも当然!人間らしい共感能力あれば自粛して工夫しようとするのはあまりにも当然!」だとしたのである。さらに、「自粛するテレビをバカにするのはとんでもない鈍重と言わざるを得ません…」と、間接的に堀江氏に反論した。

     これは、どちらの言い分が正しいか正しくないかの問題ではない。自粛しようとしまいと、それはそのメディアの判断だからだ。したがって、尾木氏のように被災者に同情して「自粛すべき。それが当然」という考えは、一種の“欺瞞”であり、単一の価値観の押し付けである点で、私は賛同できない。

     この世の中には、どんな価値観があってもよく、それが多様なほど社会は豊かになるからだ。

    メディアの判断で立ち向かえ

     最後に、日本の放送法は、災害などの報道でなにを規定しているのかを書いておきたい。

     放送法「第6条の2・災害の場合の放送」は、このように述べている。

    「放送事業者は、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生するおそれがある場台には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をするようにしなければならない」

     また、災害対策基本法の第6条では、指定公共機関(NHK)及び指定地方公共機関(民放)は、その業務を通じて防災に寄与しなければならないと規定されている。

     要するに、災害時にはこのようなガイドラインに基づいて報道すべきということだが、その判断は報道機関に任されている。メディアは自身の判断で、災害報道に立ち向かえばいい。

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  2. shinichi Post author

    1.被災地でガソリンの列に割り込み(関西テレビ)

    2.ガソリン割り込みを擁護するために事実を捏造して擁護(仙台放送、梨本太一)

    3.避難所にいる避難者に無慈悲な強力ライト照射(日テレ)

    4.避難所に大量の車で押し寄せ避難者の駐車スペースを奪い配給妨害

    5.そもそも配給の車の通行すら妨害

    6.避難所の緊急の放送もヘリの音で妨害

    7.避難所の椅子も奪う、避難者は地べたに座ってろ!

    8.テレビ 「被災地では食料が足りません!!」
    → でもテレビ局は被災地の食料奪う(毎日放送、山中真)

    9.避難所のトイレ盗撮(テレビ朝日)

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