田中幹人

科学的な報道には、事実を伝える「レポーティング」と、事実を追求する「ジャーナリズム」の2種類の役割があると思います。「ガーディアンやニューヨークタイムスに比べて、日本の記事はダメ」という批判がありますが、日本の科学関連の原稿は「レポーティング」については、うまくいっていると考えています。
調べてみると、日本語で読める科学の記事の量は、単一言語としては、圧倒的に多く、新聞でも一番メインの記事では、科学的な成果を分かりやすく伝えています。研究成果の“翻訳”はうまくいっていると考えます。
ただ、新聞でも、社会問題を扱う記者が、科学の問題を論じたりすることがあり、科学的な視点も含めて、社会的に適切な選択をするための議論はうまく誘導できていないと思います。
テレビや地方の新聞では、科学を専門とするセクションがないことも多い中で、事実を追求し、複雑なものを複雑なまま、転写して伝える「ジャーナリズム」の方は、機能が衰えていると思います。水俣病やBSEように、結果的に当初のマイノリティの意見の方が正しかったにもかかわらず、外から見ると多数決で決まったように見え、少数派の意見は存在しないように、受け取られてしまうことが起きています。

One thought on “田中幹人

  1. shinichi Post author

    「科学で博士号」記者の誤り

    田中幹人・早稲田大学政治学研究科准教授に聞く

    interviewed by 池田宏之

    m3.com (医療従事者のみ利用可能な医療専門サイト)

    https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/232086/

    ――STAP問題を引き起こしたマスコミの事情とは何でしょう。

    ― 海外では、メディア不況で、大手新聞の科学部から、企業などの広報に移ることが、珍しくありません。当然、記事を書いていた側ですので、かゆいところに手が届くプレスリリースを出し、マスコミもその魅力的な文言に抗えないわけです。NASA(米国航空宇宙局)が2010年に(ヒ素を利用して生息する)微生物について、「宇宙人の発見か」と面白く解釈されるような発表の仕方をしたのが良い例です。NASAのような機関でも予算が削られる中、広報からすれば、意図的に広報を魅力的にして、記者の方も気付きながら釣られている関係があります。「(誇張を)やりすぎ」という批判はあると思いますが、「Science for Sale」の中では、そうやって社会からの理解を得ないと、科学にお金が回らない事情があり、STAP細胞の報道も同様のパターンだったと考えられます。医学の場合は、応用科学と密着しているので、より避けられない問題です。

    ―――なぜ冷静に書くことができないのでしょうか。

     基本的に、新聞において、科学の記事が一面に来ることはないですし、アクセス数の多い「Yahoo! Japan」のトップページの記事にも、科学の話題はまず取り上げられません。科学を伝えるのは社会的使命と思いながら、耳目をひくニュースを待っているわけです。「iPS細胞を使った心筋移植」の誤報で知られた森口尚史氏の件も同様です。一線超えるのは問題ではありますが、バランスはとても難しいと思います。

    ――STAP細胞では、マスコミ側はもっと抑制的に初めのニュースを扱うべきだったのではないかとも思えます。

     それもあると思いますが、森口氏の問題の時は、朝日新聞やNHKなどは、取り上げずに済みましたし、「なぜ騙されなかったのか」という検証記事も書いていました。

    ――にもかかわらず、今回は、大々的に取り上げてしまいました。「マスコミの科学的リテラシーが低い」という批判もあるようですが、どう考えますか。

     残念な話ですが、実情を調べると、科学分野で博士号を持っている記者が間違いを犯すケースは、日本でも世界でもよくある話です。誤報を出したケースについて多変量解析をしたことがあるのですが、「科学的リテラシーが低い」すなわち「文系である」というのは、決して主因子ではありませんでした。私も、分子細胞生物学の研究をしていた頃は、「文系」が主因子だと思っていたのですが、文系でも取材を続けていて、誤報を出さない人もいます。

     近年、研究分野が細分化していて、STAP細胞のような再生医療分野の話ですと、さすがに再生医療関連のポスドクは慎重になると思いますが、生理学のポスドクならひっかかる可能性があると思います。対策は、これからの科学の問題の1つだと思います。

    ――マスコミはどう変われば良いのでしょうか。

     科学的な報道には、事実を伝える「レポーティング」と、事実を追求する「ジャーナリズム」の2種類の役割があると思います。「ガーディアンやニューヨークタイムスに比べて、日本の記事はダメ」という批判がありますが、日本の科学関連の原稿は「レポーティング」については、うまくいっていると考えています。

     調べてみると、日本語で読める科学の記事の量は、単一言語としては、圧倒的に多く、新聞でも一番メインの記事では、科学的な成果を分かりやすく伝えています。研究成果の“翻訳”はうまくいっていると考えます。

     ただ、新聞でも、社会問題を扱う記者が、科学の問題を論じたりすることがあり、科学的な視点も含めて、社会的に適切な選択をするための議論はうまく誘導できていないと思います。

     テレビや地方の新聞では、科学を専門とするセクションがないことも多い中で、事実を追求し、複雑なものを複雑なまま、転写して伝える「ジャーナリズム」の方は、機能が衰えていると思います。水俣病やBSEように、結果的に当初のマイノリティの意見の方が正しかったにもかかわらず、外から見ると多数決で決まったように見え、少数派の意見は存在しないように、受け取られてしまうことが起きています。

    ――小保方氏の報道については、キャラクターや私生活などに話題が集中し、「科学的な部分から離れたものが多かった」という声もあります。

     テレビは、(時間や専門性の問題で)難しい話題が扱えないことがあり、ゴシップ的なネタになってしまっていたと思います。週刊誌も内容はしっかりしていたりするのですが、タイトルであおっていました。ただ、実際に問題に関わっている科学者が、テレビや週刊誌を見ているかというと微妙だと思います。

     一方で、一般市民への効果はあったと思います。科学の分野が細分化される中で、市民には、サイエンスの動作原理を知ってもらうのが重要です。今回の騒動を通じて、査読などの科学的手続きへの理解が深まった側面もあると思います。

    ――理研の政治的な動向も、多くの報道がありました。

     一般的に世の中の人のイメージする科学者というのは「清貧で、日夜真理追究の努力をしている」という感じになるのですが、実際には、経済的結び付きや政治的闘争もある中で、研究に取り組まざるを得なくなっています。再生医療の研究者は、iPS細胞に言及しながら論文を書くなど、社会性を出さざるを得ない状況も、今回のSTAP細胞の騒動を通じて、ある程度理解してもらえたのではないでしょうか。

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