nakazawayutaka_1958

イニスは『Bias』の中で、「私の傾向は、口誦、とりわけギリシャ文明のなかに反映されたような口誦の側に傾いており、また口誦の精神のいくばくかを取り戻すことを必要と考える側に傾いている」と述べ、印刷、ラジオ、テレビといった機械的なコミュニケーション手段が知識の「伝達」には適しているが、知識の「創造」には全く不向きであることを強調している。イニスの関心は、機械的コミュニケーション手段の普及によって口誦の豊かな伝統が失われたことによる西洋文明の限界に向けられていた。もともと口誦文化に深い関心を持っていたマクルーハンは、『グーテンベルグの銀河系』では、印刷技術が西洋の口誦の伝統にもたらした影響を人間心理の変容の視点から探求していった。また『メディアの理解』では、イニスが否定的に捉えたラジオ、テレビなどの電気的コミュニケーション技術は機械的印刷技術の延長ではなく、印刷文化を反転させ口誦の伝統を復活させるものとして肯定的に展開した。

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  1. shinichi Post author

    ハロルド・A・イニス

    by nakazawayutaka_1958

    http://blog.goo.ne.jp/nakazawayutaka_1958/e/f5e96e7b1801f7f916f34fda35801f20

    「ハロルド・A・イニスこそメディア論の創始者である」という人もいる。トロント大学で90年代に開かれたメディア論に関するシンポジウムで、メディア論の創始者はマクルーハンかイニスかで参加者の意見が二分されたという。メディア論の創始者が誰であれ、イニスの『Empire and Communication』(1950)、『The Bias of Communication(邦訳:メディアの文明史)』(1951)、『Changing Concepts of Time』(1952)などの著作との出会いが、一英文学者であるマクルーハンをメディアとコミュニケーションの探求に向かわせる決定的契機となったことは間違いない。「イニスはまた、なぜ印刷術が、部族主義ではなく、ナショナリズムを引き起こすのか、なぜ印刷術は、印刷術なしには存在できないような価格体系と市場を生み出すのかを説明する。要するに、ハロルド・イニスは、メディア技術の形態に内在している変化の過程というものに最初にいきあたった人間だった。本書は、彼の著作に際する説明のための脚註に過ぎない」(グーテンベルクの銀河系)。マクルーハンは、自分の著作がイニスの研究の「脚注」に過ぎない、と最大限の賛辞をイニスに贈っている。しかし、P・ドラッカーが、1940年頃に開かれたシンポジウムを回想して「ところが彼(マクルーハン)は進んで、印刷本が教授法と表現法だけでなく教授内容まで変えたために、近代大学が生まれたと論じた。この男は、学問の新展開は、ルネサンス、ギリシャ・ローマの再発見、天文学の発展、地理上の発見、新たな科学とも、ほとんど関係がないと言っているようだった。逆に、それら人類の知的は発展こそ、グーテンベルグの新しいテクノロジーたもたらしたものだといった。(中略)マクルーハンは、メディアはメッセージであるとは言わなかったが、すでにそのことを確信しているようだった」(傍観者の時代)と記しているように、マクルーハンもまたメディアの形態が持つ「変容力」に早くから気づいていた。メディアとコミュニケーションの探求の二つの流れが、1950年頃、偶然にもトロント大学で合流したのである。

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    ハロルド・A・イニスその2

    by nakazawayutaka_1958

    http://blog.goo.ne.jp/nakazawayutaka_1958/e/c05994fc853dcfc50c43cf607aa671b7

    イニスの『Bias 』(1951)を読めば読むほど、マクルーハンがイニスから得たものがいかに大きいかが分かる。マクルーハンが、『グーテンベルクの銀河系』はイニスの研究の脚注に過ぎない、と言ったのはマクルーハンの謙遜というよりも彼の正直な気持ちだったろう。マクルーハンは、「それぞれのコミュニケーション・メディアの持つ「時間」支配力と「空間」支配力の違い<傾向性bias>と知識の独占が、歴史(帝国)展開の主要因である」というイニスの歴史家としての洞察に刺激されただけでなく、イニスの口誦の文化への傾倒に強く惹きつけられた。イニスは『Bias』の中で、「私の傾向は、口誦、とりわけギリシャ文明のなかに反映されたような口誦の側に傾いており、また口誦の精神のいくばくかを取り戻すことを必要と考える側に傾いている」と述べ、印刷、ラジオ、テレビといった機械的なコミュニケーション手段が知識「伝達」には適しているが、知識の「創造」には全く不向きであることを強調している。イニスの関心は、機械的コミュニケーション手段の普及によって口誦の豊かな伝統が失われたことによる西洋文明の限界に向けられていた。もともと口誦文化に深い関心を持っていたマクルーハンは、『グーテンベルグの銀河系』では、印刷技術が西洋の口誦の伝統にもたらした影響を人間心理の変容の視点から探求していった。また『メディアの理解』では、イニスが否定的に捉えたラジオ、テレビなどの電気的コミュニケーション技術は機械的印刷技術の延長ではなく、印刷文化を反転させ口誦の伝統を復活させるものとして肯定的に展開した。マクルーハンが言うように、イニスの圧縮された研究論文は、肯定するか否定するかに係わらず、読者が洞察を深めるためのアイディアの宝庫なのである(ちなみに、トロント大学出版局からは『The Idea File of Harold Adams Innis』(1980)という本も出ている)。

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