石飛幸三

  • こういう現場にいると毎日、生と死について考えさせる事態ばかり。百人もいて、誰が逝ってもおかしくない世界。例えばアルツハイマーになって十年以上で五日間ほとんど何も食べていない奧さんがいて、ご主人はそろそろ最期だと理屈では分かっていても諦めきれない。何日か話し合い、検査で炎症症状がないのも確認してご主人もほっとして思い残すことなく、遠くにいるお子さんを呼び寄せようか、となる。そうしたことの連続。みんな迷う。人間そのものです。
  • 何もしなかったらこんなに穏やかに逝けるのか、とここへ来てびっくりした。老衰の末期になると皆さん食べなくなる。そこで無理やり『点滴しなきゃ』『胃ろうで栄養入れなきゃ』としなければ、苦しまず眠って眠って自然に最期を迎える。この人もこの人も…そういうことなのかと勉強させてもらった。
  • 自然な老衰死をすっと受け入れる人もいれば迷って迷って…という人もいる。息子と娘で意見が真っ二つになることもある。どうしたらいいか。スパッとした答えがあるようで、実はそうじゃない。人間の心の問題なんです。家族一人一人がとことん悩んだら、後になってできるだけのことをした自分の誠意を信じて収まりがつくんじゃないかと思う。迷っていいんだと言いたい。

2 thoughts on “石飛幸三

  1. shinichi Post author

    最期の形 迷っていい 「平穏死」見つめ続け新著を刊行 石飛幸三さん(医師)

    by 岩岡千景

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/doyou/CK2016070902000271.html

     「平穏死」という言葉を私が初めて知ったのは、二〇一〇年の夏。その年、東京都世田谷区の特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医を務める石飛幸三(いしとびこうぞう)さん(80)が『「平穏死」のすすめ』と題する本を出して「平穏死」を提唱。その内容に共感した知人の医師から勧められて読んでみたのがきっかけだった。

     「平穏死」とはいわば、老衰になったら自然に任せて穏やかに死を迎える最期のあり方だ。もし自分の親がその時を迎えたら…。穏やかに送りたいが、最後までジタバタと延命治療を求めない自信もない。答えが出ないままのこのテーマで話を聞きたいと、今月、新著『「平穏死」を受け入れるレッスン』(誠文堂新光社)が出たのを機に石飛さんを芦花ホームに訪ねた。

     「こういう現場にいると毎日、生と死について考えさせる事態ばかり。百人もいて、誰が逝ってもおかしくない世界。例えばアルツハイマーになって十年以上で五日間ほとんど何も食べていない奧さんがいて、ご主人はそろそろ最期だと理屈では分かっていても諦めきれない。何日か話し合い、検査で炎症症状がないのも確認してご主人もほっとして思い残すことなく、遠くにいるお子さんを呼び寄せようか、となる。そうしたことの連続。みんな迷う。人間そのものです」。窓から優しい光が入る静かな部屋で、石飛さんは語った。

     石飛さんが、ホームの医師になったのは二〇〇五年十二月。もともとは消化器外科医で後に血管外科医として、がんや動脈硬化と闘ってきた。しかし還暦のころから老いや死に抗(あらが)うような医療について考え直すように。「結局、がんも動脈硬化も老いとの闘い。自分の身体(からだ)が老いてくるのも分かる。命を延ばす医療をどこまでもやるのが患者さんのためなのか。ちょうどホスピス運動の創始者をロンドンに訪れる機会があり、行ってみて目がさめた。終末期の人間のために科学を押しつけることは無意味ではないか、と」。勤めていた病院の不正をただし解雇され裁判となった試練の時をへて、常勤医を探していたホームに着任した。

     そして入所者の姿や家族の話から終末期の過度の延命治療に疑問を抱き、自然の摂理に任せたみとりを目指すように。「何もしなかったらこんなに穏やかに逝けるのか、とここへ来てびっくりした。老衰の末期になると皆さん食べなくなる。そこで無理やり『点滴しなきゃ』『胃ろうで栄養入れなきゃ』としなければ、苦しまず眠って眠って自然に最期を迎える。この人もこの人も…そういうことなのかと勉強させてもらった」。そうした経験から「平穏死」を提唱してきた。

     今回の著書で強く意識したのは「家族の情」だという。「家族は親や連れ合いの最終章について判断させられる。人間の命は、せいぜい百年で消える。しかしそれは身体・物としてであって、私たちには身体だけでなく『心』がある。それがややこしい。命の本質は何なのか。生きている意味は-? そう考えると人の一生はとんでもない深淵(しんえん)。人によって話は全部違う」

     多くの人は年老いて人生の最終章を迎えたときには延命治療を「望まない」と答える。しかしいざ家族がそうした局面になると悩み、迷う。「自然な老衰死をすっと受け入れる人もいれば迷って迷って…という人もいる。息子と娘で意見が真っ二つになることもある。どうしたらいいか。スパッとした答えがあるようで、実はそうじゃない。人間の心の問題なんです。家族一人一人がとことん悩んだら、後になってできるだけのことをした自分の誠意を信じて収まりがつくんじゃないかと思う。迷っていいんだと言いたい」

     広島県で生まれ育ち、十歳の時に原爆のキノコ雲を見た経験、「医師の使命はいのちを救うことにある」というアリストテレスの言葉に忠実に従っていた外科医のころ…。著書ではそんな半生も振り返り「命」を見つめた。愛する家族の終末期に直面したら迷い、悩むのは当たり前。答えは一つではない。その一様でない答えを探るのに、石飛さんがつづる事例や思索はヒントを与えてくれる。 

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  2. shinichi Post author

    石飛幸三2「平穏死」を受け入れるレッスン: 自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか? 単行本 – 2016/7/4
    石飛 幸三


    石飛幸三「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

    by 石飛 幸三


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