津田久資

かつて文豪・夏目漱石のもとに地方出身の学生が訪ねてきたときのこと。学生が「私は小説家になりたいのです」と語ると、漱石はこんな質問をぶつけたという。
「君はウィンドウショッピングが好きかね?」
若者は大変真面目な学生だったので、次のように答えて、文学への情熱をアピールした。
「ウィンドウショッピングなんかしている時間があったら、私は書斎で本を読んでいます」
しかし、それを聞いた漱石は、「君は小説家に向かないからやめておきなさい」と諭したそうだ。

One thought on “津田久資

  1. shinichi Post author

    できる人ほど「情報収集」しない。

    「知識の正しい増やし方」は漱石に学べ!

    by 津田久資

    http://diamond.jp/articles/-/79486

    知識は「総量」よりも「多様性」が肝心

    頭の中の情報量というのは、創造的なアイデアの素材となるすべてのものである。知識量と言ってもいいかもしれない。
    いくら知識があっても、それを引き出す力(発想率)がなければ意味がない。そこで僕は「学ぶ」と「考える」を峻別して、これからは思考力のある人材に有利な時代がやってくると語ってきた。

    そうは言っても、発想を広げるうえで知識が多いに越したことはないし、情報=アイデアの素材をインプットするうえでも、工夫できることは2つある。

    (1)頭の中の情報は量を増やすよりも、幅を広げる
    (2)頭の中の情報を知識で終わらせず、知恵へと深める

    今回論じるのは(1)についてだ。頭の中の情報の「絶対量」を増やすよりも「幅」を広げる、という話は少々わかりづらいかもしれない(幅を広げれば当然、絶対量も増えるから)。

    ここで言いたいのは、絶対量を増やすにしても、「偏り」をなくしたほうがいい(=多様性を増やしたほうがいい)ということである。

    なぜ夏目漱石は「ウィンドウショッピング」を重んじたのか?

    かつて文豪・夏目漱石のもとに地方出身の学生が訪ねてきたときのこと。学生が「私は小説家になりたいのです」と語ると、漱石はこんな質問をぶつけたという。

    「君はウィンドウショッピングが好きかね?」

    若者は大変真面目な学生だったので、次のように答えて、文学への情熱をアピールした。

    「ウィンドウショッピングなんかしている時間があったら、私は書斎で本を読んでいます」

    しかし、それを聞いた漱石は、「君は小説家に向かないからやめておきなさい」と諭したそうだ。

    このエピソードはさまざまに解釈できると思うが、漱石がここで「ウィンドウショッピング」と語っているのが、知識の「幅」を広げるということに通じていると僕は考えている。

    頭の中の情報量を増やそうというとき、あなたはどんなことをするだろうか?
    書店に行って本を買う人、インターネットを検索する人、セミナーなどに参加する人、いろいろいるだろう。

    しかし、ここにも「バカの壁(無意識の思い込み)」が入り込んでいるはずだ。
    つまり、あなたがその本を手にとったことにも、その人に話を聞きに行ったことにも、必ず何らかの前提がある。そうでなければ、「この情報が自分に役立つはずだ。学んでみよう」という判断ができないからである。

    勉強することが悪いと言いたいわけではない。しかし、どれだけ自分で知見を広げているつもりでも、結局のところ、それらの情報収集は、自分の経験・知識・常識の枠組みの中で行われるものでしかない。
    つまり、情報の総量は増えていても、本当の意味で幅が広がっていないのである。

    それに対して、ウィンドウショッピングというのは、ある意味、無目的の情報収集(正確には収集とは言えないが)だと考えられなくもない。もちろん、自分の足で歩いているという意味では能動的な部分があるが、ぼんやりとしながらフラフラと歩き回り、情報が向こうから勝手に飛び込んでくるのを待っている受動的な状態である。

    これを僕は情報流入と呼んでいる。

    小説家のような高い創造性が要求される仕事をするためには、アイデアの素材に多様性(幅)がなければならない。「ウィンドウショッピングが好きか?」と学生に尋ねた漱石は、情報流入の習慣を学生が身につけているかどうかを確認していたのではないだろうか。

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