4 thoughts on “Joe O’Donnell

  1. shinichi Post author

    GENBAKU-NO-NATSU, TOHIHI-NO-SHONEN

    http://www.fipa.tv/en/program/genbaku-no-natsu-tohihi-no-shonen/

    There is an old man with bitter memories of WWII living in USA. Joe O’Donnell was a US Marine Corps photographer, well-known as the president’s photographer. He took 300 negatives during the seven months he was stationed in Japan when he was just 23 years old. He met so many innocent people badly injured or burned. One day he visited Nagasaki, Ground Zero, and photographed a little boy standing with his dead younger brother on his back in front of a cremation site. That photo sheared itself into his memory so deeply that all the time through 60 years. This documentary follows that Joe O’Donnell decided to travel in Japan, looking for that little boy and meeting people who were taken by his camera when he stationed in Japan.

    Reply
  2. shinichi Post author

    トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

    by ジョー オダネル(Joe O’Donnell)

    (1995)

    **

    焼き場にて、長崎
    この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。

    CREMATION SITE, NAGASAKI
    I had never before witnessed the obvious military influence on the young until I watched this boy bring his dead brother to a cremation site. Every kid I knew in America would not have been able to cope like this young boy did. He stood rigid, no emotion seen except for the terrible unshed tears. I wanted to go to him, to comfort him – but I was afraid. If I did his strength would have crumpled, leaving him defenseless in agony and grief. I did nothing.

    nagasaki1


    長崎ではまだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に私はたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。

    焼き場となっていた川岸には、浅い穴が掘られ、水がひたひたと寄せており、灰や木片や石灰がちらばっている。燃え残りの木片は風を受けると赤々と輝き、あたりにはまだぬくもりがただよう。白い大きなマスクをつけた係員は荷車から手と足をつかんで遺体を下ろすと、そのまま勢いをつけて火の中に投げ入れた。はげしく炎を上げて燃えつきる。それでお終いだ。燃え上がる遺体の発する強烈な熱に私はたじろいで後ずさりした。荷車を引いてきた人は台の上の体を投げ終えると帰っていった。だれも灰を持ち去ろうとするものはいない。残るのは、悲惨な死の生み出した一瞬の熱と耐え難い臭気だけだった。

    焼き場に一〇歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

    少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂 の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。

    私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守っ た。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にも どってズボンを脱ぐと、まるで妖気が立ち昇るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?

    nagasaki3


    少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。

    nagasaki2nagasaki4


    Reply
  3. shinichi Post author

    Joe O’Donnell (photojournalist)

    Wikipedia

    https://en.wikipedia.org/wiki/Joe_O%27Donnell_(photojournalist)

    Joseph (Joe) Roger O’Donnell (May 7, 1922 – August 9, 2007) was an American documentarian, photojournalist and a photographer for the United States Information Agency.

    Born in Johnstown, Pennsylvania, his most famous work was documenting photographically the immediate aftermath of the atomic bomb explosions at Nagasaki and Hiroshima, Japan, in 1945 and 1946 as a Marine photographer.

    **

    ジョー・オダネル

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョー・オダネル

    ジョー・オダネル(ジョー・オドネルとも。Joe O’Donnell、Joseph Roger O’Donnell、1922年5月7日 – 2007年8月9日)は、米国文化情報局に勤務した米国の記録映像作家、フォトジャーナリスト及び写真家。ペンシルベニア州ジョンズタウン生まれ。最も有名な作品として、1945年と1946年に日本の長崎及び広島における原爆投下直後の状況を、米海兵隊の写真家として撮影した一群の記録写真がある。

    2007年、テネシー州ナッシュビルにて没。命日は奇しくも8月9日『長崎原爆忌』である。

    2007年、日本の皇后陛下は、オダネルが従軍中の長崎で撮った「焼き場に立つ少年」の新聞への掲載が、その年に印象に残ったことの一つとして言及されている。

    Reply
  4. shinichi Post author

    皇后陛下お誕生日に際し(平成19年)

    宮内記者会の質問に対する文書ご回答

    http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h19sk.html

    問3 この1年国内外で起きたことで,皇后さまにとって特に印象に残ったことをお聞かせください。
    皇后陛下
    1.
    V.
    今年8月の新聞に,原爆投下後の広島・長崎を撮影した米国の元従軍カメラマンの死亡記事と並び,作品の一つ,「焼き場に立つ少年」と題し,死んだ弟を背負い,しっかりと直立姿勢をとって立つ幼い少年の写真が掲載されており,その姿が今も目に残っています。

    **

    「焼き場に立つ少年」と題する写真

    http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h19sk-shonen.html


    皇后陛下お誕生日文書回答にある新聞記事の「焼き場に立つ少年」と題する写真
    (写真集「トランクの中の日本」(小学館)より転載されたもの)

    Reply

Leave a Reply to shinichi Cancel reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *