私が目指したのは、認識論を壊すことだ。『認識論をいったんこわして、もういちどつくる』本。。。これまで営まれてきた伝統的認識論の賞味期限は過ぎてしまったんじゃないのか。伝統的認識論は、ある特定の知識生産のやり方に根ざした特定の課題によって生じたという意味で、どこまでも「時代に既定された」営みにほかならない。その課題がリアルな問題に感じられた時代は確かにあったろう。しかし、科学や情報技術の高度化によって、われわれが知識を獲得・処理・利用する仕方は大きく変化してしまった。これだけ知識のあり方そのものが変化してしまったのに、認識論だけそのままというわけにはいかないだろう。伝統的認識論のどこがまずいのかを示し、それを解体したのちに、新しい知識のあり方に即した新しい知識の哲学を構築すること。それが本書の目的だ。
知識の哲学
by 戸田山和久
(2002)
しかしこの本は、たんに歴史上のいろいろな哲学者が知識というものについてこれまでどんな説を唱えてきたかを順繰りに解説したものではない。その手の「教科書」はこれまでゲップが出るほどたくさん出版されてきたから、いまさらもう一冊付け加えることもないだろう。むしろ私が目指したのは、認識論を壊すことだ。私はかつて、『論理学をつくる』という本を書いたことがある。それになぞらえて言えば、本書は『認識論をいったんこわして、もういちどつくる』本ということになる。ところで、なぜ認識論を壊さなければならないのだろう。それは、そろそろこれまで営まれてきた伝統的認識論の賞味期限は過ぎてしまったんじゃないのかと考えているからだ。本書で明らかにするつもりだが、伝統的認識論は、ある特定の知識生産のやり方に根ざした特定の課題によって生じたという意味で、どこまでも「時代に既定された」営みにほかならない。その課題がリアルな問題に感じられた時代は確かにあったろう。しかし、科学や情報技術の高度化によって、われわれが知識を獲得・処理・利用する仕方は大きく変化してしまった。これだけ知識のあり方そのものが変化してしまったのに、認識論だけそのままというわけにはいかないだろう。伝統的認識論のどこがまずいのかを示し、それを解体したのちに、新しい知識のあり方に即した新しい知識の哲学を構築すること。それが本書の目的だ。
知識を獲得するとは、科学を営むとは、いかなる「現象」なのか。正当化は知識に必要なのか。
認知活動の目的は真理に至ることなのか。
古典的な「知識の哲学」を解体し、自然現象としての知識を捉える新たな認識論のパラダイムを構築する、意欲的・個性的な教科書。
なぜ哲学はこんなにも長い間、知識の問題を正当化の問題と結びつけてきたのか?
なぜ正当化を認識者の心の中の問題として考えてきたのか?
Epistemology (theory of knowledge)
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Ancient Greek
ἐπιστήμη - knowledge
λόγος - logos (logical discourse)
Greek
γνώση - knowledge
επίγνωση - knowledge (awareness)
επιστήμη - science