立木教夫

「倫理」や「道徳」という語は中国古典に由来する言葉です。その意味で言えば、古代中国から導入された外国語です。
明治維新以降、近代西欧の思想が導入される過程で、新たな考え方を表現するために翻訳語が数多くつくられました。「倫理」という語は、ethicsの訳語として新たに翻訳されたものなのです。そのため、中国古典に存在していた「倫理」という語はethicsが内包する新たな意味を獲得して蘇った言葉なのです。
西欧からmoral scienceやmoral philosophyが導入され、それに伴って、従来の「道徳」という語はmoral, morals, morality等が内包する意味を新たに獲得し、蘇りました。しかし、「moral」に対し、「道徳」という訳語がすぐに確定したわけではないのです。

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  1. shinichi Post author

    「倫理」「道徳」という言葉の由来について

    by 立木教夫

    モラロジー研究所道徳科学研究センター

    http://rc.moralogy.jp/?p=735

    【問い】

     近年、よく耳にするようになった「倫理」「道徳」といった言葉の由来について、教えてください。[2007年4月]

    【答え】

      「倫理」や「道徳」という語は中国古典に由来する言葉です。その意味で言えば、古代中国から導入された外国語です。例えば、小川環樹・西田太一郎・赤塚忠編『角川 新字源』には、「倫理」は、「人のふみ行なうべき道」という意味を持つ言葉で、「楽(がく)は倫理(りんり)を通(つう)ずる者(もの)なり」(『礼記』楽記)といった使用例が示され、また、「道徳」は、「人のふみ行なうべき正しい道。道義」という意味を持つ言葉で、「道徳(どうとく)仁義(じんぎ)、礼(れい)に非(あら)ざれば成らず」(『礼記』曲礼)という例が示されています。しかし、現在使われている日本語の「倫理」「道徳」には、「人のふみ行なうべき道」という意味に加えて、さらに別の意味が付け加わっています。

    【問い】

      それは中国古典に由来する意味が発展拡大して、獲得されたものなのですか。

    【答え】

      そうではないのです。日本では、明治維新以降、近代西欧の思想が導入される過程で、新たな考え方を表現するために翻訳語が数多くつくられました。「倫理」という語は、ethicsの訳語として新たに翻訳されたものなのです。そのため、中国古典に存在していた「倫理」という語はethicsが内包する新たな意味を獲得して蘇った言葉なのです。この間のダイナミックスについては、子安宣邦教授による精緻な研究が発表されています。

      「「倫理」という概念は、「倫理学」の概念とともに、明治の日本に「エシックス(ethics)」の翻訳語として、新たな意味をになって成立する。」(子安宣邦「近代「倫理」概念の成立とその行方」、『思想』2000年第6号、4ページ)

      「「倫理」「倫理学」とは、そのように新しい意味をになって明治の日本に復活した漢語語彙である。それらは訳語として再生し、復活された漢語語彙であり、基本的には新たに構成された語彙と見なすべきものである。」(前掲書、5ページ)

      そして、Ethicsという語に「倫理学」という訳語が与えられ、井上哲次郎・有賀長雄『哲学字彙』(改訂増補、明治17年版)に、収録されたことが述べられています(前掲書、5ページ)。

    【問い】

      では、「道徳」はどうだったのでしょうか。「道徳」も、「倫理」と同様の変容をきたしたのではありませんか。

    【答え】

     西欧からmoral scienceやmoral philosophyが導入され、それに伴って、従来の「道徳」という語はmoral, morals, morality等が内包する意味を新たに獲得し、蘇りました。しかし、「moral」に対し、「道徳」という訳語がすぐに確定したわけではないのです。 明治6年10月に、フランシス・ウェーランド(Francis Wayland) のThe Elements of Moral Science (1835, 1856 ed.) が、保田久成訳述『修身学初歩』として翻訳されました。この本の「緒言」では、「モラールサインス」と音表記のまま用いられています。本文でも音表記を使っているのかどうか、確認するために、目次に表れたmoralという語がどのように訳されているか、一部分、原文と比較してみましょう。

       CHAP. 1st: Of the Origin of Our Notion of the Moral Quality of Actions

       第一章    正経の法、正経の行為、心志

          SECT. 1: Of Moral Law

          第一節   正経の法

          SECT. 2: What Is a Moral Action?

          第二節   正経の行為及心志

      CHAP. 2nd: Conscience, or The Moral Sense

      第二章    良心

     (英文サイトはhttp://www.lonang.com/exlibris/wayland/、和文サイトは国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」を参照)

     Moralという語は「正経の」と訳されており、「道徳の」とは訳されていません。 明治7年4月に刊行された福澤諭吉「学問のすゝめ 八編」でも同書が取り上げられています―「亜米利加のエイランドなる人の著したる「モラルサイヤンス」と云ふ書」(『福澤諭吉選集』第三巻、岩波書店、1980年、107ページ)とありますが、ここでもmoral scienceは音表記のままです。 さらに、明治8年に出版された、弗蘭西斯・淮蘭徳(ウェ-ランド)著、平野久太郎訳『修身学』で、目次の原文と訳語を、先と同じ部分で比較してみましょう。

      CHAP. 1st: Of the Origin of Our Notion of the Moral Quality of Actions

      第一編   徳義ノ法律善悪ノ行状及ヒ意思ヲ論ス

          SECT. 1: Of Moral Law

          第一章徳義ノ法律

          SECT. 2: What Is a Moral Action?

          第二章善悪ノ行状意思

      CHAP. 2nd: Conscience, or The Moral Sense

      第二編   本心及ヒ其忠誠ヲ論ス

     (英文サイトはhttp://www.lonang.com/exlibris/wayland/、和文サイトは国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」を参照)

    ここでは、「moral」は「徳義ノ」「善悪ノ」といった訳語が選ばれています。

    先に言及した『哲学字彙』(改訂増補、明治17年版)を見ても、「moral」やその派生語に「道徳」という語は充てられていません。

    「moral」に「道徳」という語が用いられるようになるのはいつ、どのような契機においてであったのかは、まだ調べがついていません。しかし、「道徳」が翻訳語であるということは、確かにいえるものと思います。それは、西村茂樹の『徳学講義』(明治26年)という本の、「上編 一」の「第一 道徳 道徳学」に、「道徳」も翻訳語であると述べられているからです(句読点を補った)。
      「今日学者社会ニテ道徳ト云ヘバ、皆其如何ナル物ト云コトヲ知ル。然レドモ審カニ其意義ヲ叩クトキハ、明白ノ答ヲ為ス者少ナシ。按ズルニ今世間ニテ言フ所ノ道徳ト云ヘル語ハ、支那ノ儒教ヨリ来レル語ニ非ズシテ、西洋ノ翻訳語ヨリ来レル者ナリ。希臘ニエシックスノ語アリ、拉丁ニMoralノ語アリ。現今法英二国ニモ亦Moralノ語アリ。……何レモ己ガ身ヲ修メテ善良ナラシムルノ義ニシテ、支那ノ辞書ニ之ヲ訳シテ、或ハ純善、或ハ正経、或ハ善徳ト為ス。本邦ノ辞書皆之ヲ訳シテ、道徳、又ハ道徳学ト為ス(或ハ倫理学ト訳スル者モアリ)。」

      このように、「道徳」が「翻訳語」であると明記しています。中国古典に見られる「道徳」という言葉を解説したうえで、『中庸』の一節を示して、「道」が「Moral」に対応し、「教」が「Moral science」「Moral philosophy」に対応すると指摘しています。

      「此道徳及道徳学ノ語、学者間ノ普通ノ語トナリ、凡ソ善ク其ノ身ヲ修ムル者ヲ道徳者ト称シ、是ヲ教フルノ学問ヲ道徳学ト云フ。是ヨリ支那ノ儒道ヲモ亦道徳学ト称スレトモ、儒者ハ自ラ己ノ学ヲ道徳学トハ称セズ。経書ニ道徳の二字ヲ連用スルコトアレドモ道ハ自ラ道、徳ハ自ラ徳ニシテ、二語ヲ合セテ一意ト為シタル者ニ非ズ。・・・中庸曰天命之謂性率性之謂道脩道之謂教トアリ。……此中庸ノ本文ニアル所ノ道ト云フハ、英語ノMoralト同一ニシテ、今世間ニテ言フ所ノ道徳トイフモノ是ナリ。其教ト云フハ英語ノMoral science又Moral philosophyト同一ニシテ世間ニ云フ所ノ道徳学トイフモノ是ナリ。」(国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」)

      「倫理」「道徳」という語は、日本に輸入された古代中国語ですが、明治期に近代西洋思想が導入される際に、新たに翻訳語として充当されたことによって、意味の拡大変容をきたし、その後も拡大変容を続けて現代に受け継がれている近代日本語だということがわかりました。

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