小林朝夫

禅宗における坐禅の流儀の一つに、曹洞宗の「黙照禅」がある。宋の時代の僧である宏智正覚によって考案されたもので、禅に対する心構えを表したものだ。
一方、臨済宗は、功徳の高い僧と問答をしながら禅の修行をする「看話禅」を唱え評判を上げていた。
黙照禅を推す正覚は、お釈迦様の教えは文字では書き表せないと主張したが、どちらの言い分ももっともであり、この二つの禅の流儀が世に広まることとなったのである。心の中で無駄なおしゃべりをしていれば警策で肩を叩く。これは、看話禅での座禅修行の一コマだ(看話禅では警策を「けいさく」、黙照禅では「きょうさく」と呼ぶ)。
いずれにせよ、やはり「黙」は大切なようである。

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