執筆者不明

かなり綿密な「美のデータベース」が、普遍的な共有財産として存在しないと、「見立て」は成立しない。これが成立するというのは、かなりハイブローな文化性の証左と言っていい。 卑近な例で言えば、春の彼岸に食べるモチを牡丹に見立てて「ぼたもち」と称し、同じものでも、秋の彼岸になると萩に見立てて「おはぎ」と称するというのは、そうした共有財産がないと成立しない。 ところが、最近はこの財産の共有性が薄れてきているので、平気で、春でも「おはぎ」秋でも「ぼたもち」といったりする。

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