向田邦子 2 Replies 何かの間違いで、テレビやラジオの脚本を書く仕事をしているが、本当は板前さんになりたかった。 女は、化粧をするし、手が温かい。 料理人には不向きだということも知っている。 私自身、母以外の女の作ったお刺身や、おにぎりは、どうもナマグサくていやだから。 板場に立つなんて大それたことはあきらめて、 せめて、小料理屋のおかみになりたい。 ——これは今でも、かなり本気で考えている。
shinichi Post author29/07/2017 at 9:00 pm 向田邦子 暮しの愉しみ by 向田邦子、向田 和子 ** 板前志願 by 向田邦子 in 栄養と料理 何かの間違いで、テレビやラジオの脚本を書く仕事をしているが、本当は板前さんになりたかった。 女は、化粧をするし、手が温かい。 料理人には不向きだということも知っている。 私自身、母以外の女の作ったお刺身や、おにぎりは、どうもナマグサくていやだから。 板場に立つなんて大それたことはあきらめて、 せめて、小料理屋のおかみになりたい。 ——これは今でも、かなり本気で考えている。 ** まず、こじんまりとした店を手に入れる。 皿小鉢は、三年ほど前から、ポツリポツリと集めている古い瀬戸物を使うことにしよう。 ** 京都の骨董屋の女あるじが、特に割引でわけてくれるものだが、惜しいかな、せいぜい十客程度。五客というのも多いから、カウンター席は、十人どまりにしなくてはいけないな。 Reply ↓
shinichi Post author29/07/2017 at 9:04 pm ままや by Maggio http://www.h5.dion.ne.jp/~maggio/diary1_2.htm 東京に住んでいたころ、赤坂にあった「ままや」という小料理屋に、人につれられて何度か足を運んだのは、もう20年ほど前のことです。経営者の向田邦子さんはすでに亡くなられ、妹の和子さんが店を切り盛りしておられました。 たしか肉じゃがかなにかの煮物を当てに日本酒をいくらか頂いたと思うのですが、お店も料理もしっとりと落ちついたホッと安心できる空間だったように思います。 「おいしくて安くて小奇麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店はないだろうか。切実にそう思ったのは、三年前からである。」(ままや繁昌記) そんな思いで向田邦子さんが「ままや」を始めたのは1978年。ところがさらにその10年ほど前に、「栄養と料理」という月刊誌にこんなエッセイを載せておられます。 「何かの間違いで、テレビやラジオの脚本を書く仕事をしているが、本当は板前さんになりたかった。‥‥せめて、小料理屋のおかみになりたい。これは今でも、かなり本気で考えている。まず、こじんまりとした店を手に入れる。皿小鉢は、三年ほど前から、ポツリポツリと集めている古い瀬戸物を使うことにしよう。‥‥京都の骨董屋の女あるじが、特に割引でわけてくれるものだが、惜しいかな、せいぜい十客程度。五客というのも多いから、カウンター席は、十人どまりにしなくてはいけないな。‥‥」(板前志願) 彼女の、自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイルは素敵だなあと思います。でも、その影には十年越しの、実現に向けての思いと行動があったのです。 Reply ↓
向田邦子 暮しの愉しみ
by 向田邦子、向田 和子
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板前志願
by 向田邦子
in 栄養と料理
何かの間違いで、テレビやラジオの脚本を書く仕事をしているが、本当は板前さんになりたかった。
女は、化粧をするし、手が温かい。
料理人には不向きだということも知っている。
私自身、母以外の女の作ったお刺身や、おにぎりは、どうもナマグサくていやだから。
板場に立つなんて大それたことはあきらめて、
せめて、小料理屋のおかみになりたい。
——これは今でも、かなり本気で考えている。
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まず、こじんまりとした店を手に入れる。
皿小鉢は、三年ほど前から、ポツリポツリと集めている古い瀬戸物を使うことにしよう。
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京都の骨董屋の女あるじが、特に割引でわけてくれるものだが、惜しいかな、せいぜい十客程度。五客というのも多いから、カウンター席は、十人どまりにしなくてはいけないな。
ままや
by Maggio
http://www.h5.dion.ne.jp/~maggio/diary1_2.htm
東京に住んでいたころ、赤坂にあった「ままや」という小料理屋に、人につれられて何度か足を運んだのは、もう20年ほど前のことです。経営者の向田邦子さんはすでに亡くなられ、妹の和子さんが店を切り盛りしておられました。
たしか肉じゃがかなにかの煮物を当てに日本酒をいくらか頂いたと思うのですが、お店も料理もしっとりと落ちついたホッと安心できる空間だったように思います。
「おいしくて安くて小奇麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店はないだろうか。切実にそう思ったのは、三年前からである。」(ままや繁昌記)
そんな思いで向田邦子さんが「ままや」を始めたのは1978年。ところがさらにその10年ほど前に、「栄養と料理」という月刊誌にこんなエッセイを載せておられます。
「何かの間違いで、テレビやラジオの脚本を書く仕事をしているが、本当は板前さんになりたかった。‥‥せめて、小料理屋のおかみになりたい。これは今でも、かなり本気で考えている。まず、こじんまりとした店を手に入れる。皿小鉢は、三年ほど前から、ポツリポツリと集めている古い瀬戸物を使うことにしよう。‥‥京都の骨董屋の女あるじが、特に割引でわけてくれるものだが、惜しいかな、せいぜい十客程度。五客というのも多いから、カウンター席は、十人どまりにしなくてはいけないな。‥‥」(板前志願)
彼女の、自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイルは素敵だなあと思います。でも、その影には十年越しの、実現に向けての思いと行動があったのです。