村田珠光

 古市播磨法師        珠光
此道、第一わろき事ハ、心のかまんかしやう也、こふ者をはそねミ、初心の者をハ見くたす事、一段無勿躰事共也、こふしやにハちかつきて一言をもなけき、又初心の物をはいかにもそたつへき事也、此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事、肝要肝要、ようしんあるへき事也、又、当時ひゑかるゝと申して、初心の人躰か、ひせん物しからき物なとをもちて、人もゆるさぬたけくらむ事、言語道断也、かるゝと云事ハよき道具をもち、其あちわひをよくしりて、心の下地によりてたけくらミて、後まて、ひへやせてこそ面白くあるへき也、又さハあれ共、一向かなハぬ人躰ハ、道具にハからかふへからす候也、いか様のてとり風情にても、なけく所肝要にて候、たゝかまんかしやうかわるき事にて候、又ハ、かまんなくてもならぬ道也、銘道ニいわく、
心の師とハなれ、心を師とせされ、と古人もいわれし也

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