鈴木貞美

『辞源』には「美術」や「美学」は出てこない。つまり、これらは近代における新造語であることが確認できる。今日、最も広範な用例をあげる中国語辞典、『漢語大詞典』(一九八六~九四年)は、「美術」を五・四運動前後に用いられはじめた語であると解説している。実際、一九二〇年代に『中国現代美術』の刊行を見る。もちろん、今日の美術の意味である。
この「美術」の語は一八七三年一月の日本で、ウィーン万国博覧会に出品をすすめる太政官布告のなかにはじめて役人が用いたことが北澤憲昭氏によって明らかにされている。 。。。 この「美術」が、一八七六年、工部省設置の工部美術学校という学校名などに用いられ、一般社会にひろまってゆくとされる。
。。。 北澤憲昭氏は、一九〇七年に開催された文部省美術展覧会を目安として、「美術」が絵画と彫刻などに限られて用いられるようになったと述べている。

2 thoughts on “鈴木貞美

  1. shinichi Post author

    わび・さび・幽玄―「日本的なるもの」への道程

    by 鈴木貞美, 堀まどか, 岩井茂樹, 西村将洋, 片平幸, 山田奨治

    和歌、能、茶、日本庭園、俳諧など、ジャンルの異なる領域について、それぞれの評価の歴史をたどり、「わび」「さび」や「幽玄」が、日本の美学の核心として語られるようになってきた様子を明らかにしようとする。

    第1章
    「芸術」概念の形成、象徴美学の誕生
    「わび」「さび」「幽玄」前史
    by 鈴木貞美

    二 「芸術」「美術」「美学」——その概念編成史の概略

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