4 thoughts on “足利義政, 日野富子

  1. shinichi Post author

    宝鏡寺ゆかりの人々

    http://hokyoji.net/people

    日野富子

    公卿日野政光の息女日野富子(1440~1496)は、室町幕府八代将軍足利義政(よしまさ)の正妻です。 我が子義尚(よしひさ)を世継ぎにしようとしたことが、“応仁の乱”を引き起こした原因のひとつといわれています。

    後円融天皇の母、崇賢門院(すうけんもんいん)を開基とする大慈院(浄土宗)が明治初期まで宝鏡寺に隣接してあり、 後に富子は出家して妙善院(みょうぜんいん)となって大慈院に入寺しました。

    現在、大慈院は宝鏡寺に受け継がれ、阿弥陀堂には日野富子の御木像も安置されています。 また、宝鏡寺第十五世渓山(けいざん)禅尼は、義政と富子の息女でもあります。

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  2. shinichi Post author

    日野富子の実像

    http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/hinotomi.htm

     日野富子(1440~96)は従来武家の政治に口をだ出し自己の蓄財に力を注ぎ、応仁の乱のきっかけを作った悪女とされてきました。
     
     しかし最近の研究では戦乱を収め、権威の傾いた室町幕府を立て直すために政治に関心のない夫に代わって活躍したことが後世になってゆがめられて伝えられたものであり戦国時代を懸命に生き抜いた孤独なその生涯が評価し直されてきています。

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  3. shinichi Post author

    宝鏡寺の歴史

    http://hokyoji.net/history

    阿弥陀堂

    阿弥陀堂は勅作堂ともいい、光格天皇勅作阿弥陀如来立像が御所より移される折に移築された建物です。

    明治の廃仏毀釈以後は、宝鏡寺住職が代々兼務していた大慈院を合併し、本尊の阿弥陀如来立像、 開基である崇賢門院(すうけんもんいん)御木像、尼僧姿の日野富子(ひのとみこ)御木像も阿弥陀堂に安置されています。

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