東京新聞

 石牟礼道子さんの魂は天草の自然とともにあり、水俣の被害者と一体だった。そしてそのまなざしは、明治以来急激に進んだ近代化への強い懐疑と、そのためになくしたものへの思慕に満ちていた。
 常世とこの世のあわいに住まう人だった。童女のように笑みを浮かべて、おとぎ話を語り継ぐように深く静かに怒りを表した。
 彼女の魂は、不知火の海、そして出生地の天草、水俣の人や自然と混然一体だった。
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 彼女の魅力は詩情であり、水俣病患者や土地に宿る鳥獣虫魚、自然の声なき声の語りにあり、言葉の本質を考えさせられる。彼女が作者ではなく、何かが彼女に筆を執らせているのだ。また地方性、土着の思想が石牟礼文学には潜在した。
 社会活動家としての彼女より、ひとりの人として生き、文学的磁場を崩さず最期まで貫いたその感性を讃えたい。

2 thoughts on “東京新聞

  1. shinichi Post author

    【社説】

    石牟礼道子さん 不知火の海の精として

    東京新聞

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018021402000164.html

     石牟礼道子さんの魂は天草の自然とともにあり、水俣の被害者と一体だった。そしてそのまなざしは、明治以来急激に進んだ近代化への強い懐疑と、そのためになくしたものへの思慕に満ちていた。

     常世とこの世のあわいに住まう人だった。童女のように笑みを浮かべて、おとぎ話を語り継ぐように深く静かに怒りを表した。

     「水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦」(「苦海浄土」)が水俣事件に出会い、悶々たる関心と小さな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならないという衝動にかられて、筆を執る。

     事件の原因企業チッソを告発する活動家、はたまた哲学者と呼ばれることもあった人。しかし-。

     「近代日本文学を初期化した唯一無二の文学者」だと、石牟礼さんの全集を編み、親交の深かった藤原書店店主の藤原良雄さんは言う。「自然を征服できると信じる合理的、効率的精神によって立つ近代西洋文学に、日本の近代文学も強く影響を受けてきた」。それを、いったん原点に戻した存在、ということだろう。

     彼女の魂は、不知火の海、そして出生地の天草、水俣の人や自然と混然一体だった。例えば、「しゅうりりえんえん」という詩とも童話ともつかぬ不思議な作品について、こう語ったことがある。「狐の言葉で書きたかった」

     その作品は、ふるさとの海山、ふるさとに生きとし生ける命が産み落とす熱い言霊だったのだ。

     「不知火海にかぎらず、わたしたちの国では、季節というものをさえ、この列島のよき文化を産んだ四季をさえ、殺しました」(「天の病む」)

     そんな、かけがえのない世界を、悪しき「近代」が支配する。わが身を蝕まれるほどに、耐え難いことだったに違いない。

     有機水銀で不知火海を侵したチッソは「近代」の象徴であり、水俣病患者ではない石牟礼さんも被害者と一体化して、その「近代」に言霊を突きつけたのではなかったか。

     「大廻りの塘の再生を」。藤原さんに託した遺言だったという。塘とは土手。幼いころ遊んだ水俣川河口の渚は、チッソの工場廃棄物とともに埋め立てられた。

     ふと思い出した歌がある。

     ♪悲しみと怒りにひそむ/まことの心を知るは森の精/もののけ達だけ…。(「もののけ姫」)

     石牟礼さんは、まこと、不知火の海の精だった。

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