八巻和彦

「科学・技術」が世界中を覆うようになったことで,物的資源のみならず,本来はそれを利用して生きるはずの人間が,それも世界中の人間が同じ一つの規準でくくられた上で,「人的資源」とみなされるようになった。この結果,現在では様々な分野における人間同士の競争が,歴史上かつてなかったほどに熾烈に展開されている。
 具体的に説明するならば,以下のような競争の側面が存在している。先ずは,人が人と競争するという場面である。

  1. 競争する相手の数が無限大になりつつある。これの見やすい例はスポーツ界である。「科学・技術」の進歩によって,今やスポーツ選手の能力の比較が地球規模で可能になり,より有力な選手はいっそう有利な条件で契約できるが,少しでも劣った選手は契約から排除されるという状況が生じている。同様な競争があらゆる分野で生じつつある。その結果,ある時点で競争の頂点に立った人でさえも,次の契約時には地位を失う可能性を想像できるので,安心してはいられないのである。
  2. 次に,「人的資源」間に見出されるわずかな差異さえも「科学・技術」を利用して数値化されることで,「違い」が歴然と示され,その結果,「劣った」数値の帰せられる人物が労働市場から排除されることが合理化されやすいという傾向が生じている。つまり,「合理的に敗者と判定される」という場面が生じやすくなっており,「敗者」と判定された人々には社会の中で逃げ場がないという事態が生じているのである。
  3. さらに,上の⑴で述べた状況から生じる,人が機械と競争させられるという側面がある。先ずそれは,同じ労働について人間が機械との間で,能率性をめぐって競争させられるということである。そればかりではなく,機械を使用している労働者が,機械の反応の速さに応じて自らの作業を速くしなければならないという意味での競争もある。これは,上述の「機械に使われている」という状態の一種ともみなせるのであるが,当人はそのように意識することなく,より効率的に成果を出そうという前向きの姿勢をもって働いているのに,気づいてみると大きなストレスを得ているという状況である。
  4. すぐ上で述べたこととも密接に関わるが,現代では人が時間(機会)と厳しい競争をさせられることが多い。その典型例は,労働現場で作業の合理化を進める際にストップウォッチによって労働者の作業を測定する光景に見出すことができる。これは,生命体としての時間(意識)とは別の物理的時間によって人間の日々の生活が制御されていることになる。これも人間に大きな不安を生み出す要因である。

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