児童生徒一人ひとりが自分で学び自分で成長できること、自分で考え自分で言葉を紡ぎ自分で実行する力をつけられること、自分で学ぶ力を身につけられること、自分の身の回り以外に広い世界があるのを知り、その世界と自分との関係を体験すること、自分の成長を自分で実感できることが重要。また、児童生徒一人ひとりに達成感を持たせ得る学びの場を設定することが重要。さらに、児童生徒同士のコラボレーションを重視すること、お互いに学び合い教え合い責任を持ち合うことのできる学びの環境を整備することが重要。児童生徒の能力は多様であり、その多様性が阻害されない学びの場であるべき。物理的な学校のキャンパスは、責任、軋轢、共感、直接のコミュニケーション、達成感の共有など、身体化・社会化・協働力の成長に役立つべき場であるべき。他方で、鍛える教育、繰り返し教育のミニマムラインを設定し、それより以上の鍛える教育を必ず行うことが重要。
学校教育の情報化に関する懇談会(第7回)
資料1 これまでの主な意見
文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1296728.htm
21世紀にふさわしい学校や学び、学校教育の情報化が果たす役割等について
例えばPISA等の調査を見ても、90年代半ばまでは日本の教育水準が非常に高かった。その理由として、例えば数学の教育、それから、知識を詰め込んだり、いろいろなものを早く計算したりする能力が、当時の工業時代の産業構造にぴったりと一致していた。
これからは、創造性、国際力、コミュニケーション能力になってくると思う。また、説得をするという交渉力も大事になってきている。こうした部分を補ってくるのがICTである。授業が終わっても、インターネット、バーチャルな空間を通じて自分の関心をとことん突き詰められるような学習体験をどのように提供するかも大事である。知識の詰め込みと、先生を頂点としたピラミッド構造、時間で管理するというものを体で覚えさせるとか、あるいは集団で何かをやり遂げるという、まさに工業製品のつくり方そのものが、ある意味で時代にマッチしていない。
今の情報化時代に見合った形で、国際競争を勝っていける人づくりを行うべき。韓国、フィンランド、シンガポールでも行っているが、日本の議論では、国際競争力という面での危機意識が欠けているのではないか。
「世界に遅れるから」では理由にならないが、だから遅れてよいことでもない。教育は人間の幸福のためにあり、自立した人格を形成するためにある。コンピュータ等は所詮ツールであって、使用に当たって価値判断ができる人間形成そのものをスポイルする形(例えば、情報教育のために、その分道徳
教育や体験の時間が減るなど)は望ましくない。しっかりと自分の頭で思考し、情報の洪水に翻弄されず、たくましく「ICTを使いこなせる人間」こそが、次の時代に求められているのだろう。教育者も共感できる高次元にバランスされた理念や施策を構築する必要がある。
and innovation,Critical thinking, Problem solving, Communication, Collaboration,Information
fluency, Technological literacyを設定した。Goalを決めて遡るのでなく、学習者自身がemergent
goalsを作り出しつつ追えるよう、学習のプロセスを詳細に記録して次の学習に繋げる評価を行うべき。
すべての学校教育をICTにより行わなければならないわけではない。例えば、現代の子どもたちは人と人とのコミュニケーション能力が低下しているといわれている。また、「バーチャル」ではなく「リアル」な体験をもっと積み、自然の息遣いを楽しむような感受性ももってほしい。このように、学校教育にICTを導入するに当たっては、「アナログ」な部分を含めた「棲み分け」をし、バランスよく取り入れていかなければならない。そのためには、教科の違いも含め、教職員の意見を尊重しつつ、研究者による研究が不可欠である。
デジタル教科書・教材について
(1)デジタル教科書
・ 子どもが持っている教科書や「英語ノート」と同じものが電子黒板等に映っているので、教師が指導しやすい。
・ 音楽や動画などが児童生徒の興味関心を引き付けることに役立つ。
・ 英語指導においては、正確な発音で、楽しく授業を展開できる。
・ 視覚的な理解がしやすく、単語や文字を覚えやすい。
・ 集中力が続かない子どもでも興味を持続しやすい。
また、児童生徒が使用する個別端末の機能強化との関係でいえば、教員が授業で使用するデジタル教科書のソフトやシステムの開発の方が、学校としてのニーズが高いように感じられ、当面、こちらの方の充実を優先すべきではないか。デジタル教科書は5万円(1学年分。学校内フリー。)と高価であり、本来「教科書」として必須であるとの考え方をすれば、自治体間の格差を生まないためにも、教科書無償給与に準じて、国が購入し各学校に配付するなどの施策を検討すべきではないか。
1) どこに住んでいても世界中の知識に触れる機会を。
2)
創造力、表現力、コミュニケーション力を育む最高の環境を。
3) 友人、先生、家族とつながる手段を。
1) 小学一年生が持ち運べるほど軽い。
2)
防水で、落としても壊れない。
3) タッチパネル。
4) カラー動画と音楽が楽しめる。
5)
8ポイントの文字がしっかり読める。
6) 無線でウェブサイトにアクセスできる。
7)
学年別に全ての教科書が納まる。
8) 作文、計算、お絵かき、動画制作、作曲・演奏ができる。
9)
学校にいる間、電池が切れない。
10) 2万円以下。
が考えられる。
・ 普通教室での電子黒板や50インチのデジタルテレビの仕様や機能などに対応できていること
・ 新学習指導要領の掲げる目標に対応し,基礎基本の定着とそれを活用した思考力・判断力・表現力(生きる力)の向上を目差した授業をサポートできること
・ 教師を取り巻く環境の変化(若年層教師群の増加,授業時数の増加と多忙化等)に対してや、また問題解決型の授業などを実施していく上での教師へのサポートができること
・ 特別支援を必要とする児童・生徒への指導を配慮していること
・ 表示、しくみ、機能などがデジタル教科書を初めて使う教師でも直感的に理解できるようなわかりやすさであること
・ 学校現場での利用範囲や利用ニーズは多岐に亘る。授業以外に,大小にかかわらず、研究会や研修会での発表、研究紀要や発表資料等への画面の掲載などである。また、発行会社にしても、それらを展示会での説明販促目的や教員研修会などでの教材としての利用がある。このような目的の利用においては利用許諾をとらずに制度化できないか。
・ 教科書に収載されている著作物でデジタル教科書への利用については、許諾を得られない場合がありうる。また、インターネットでの配信についても、許諾されない著作物もありうる。学校で用いる教材の中での著作物の利用においては、特例的に利用できる制度等の保証が望まれる。
・ 著作物の利用において著作者から、利用許諾条件として著作権保護技術(DRM)が施されていることが必須になることがある。これはコストの上でも、またときには運用上でも現場のICT環境の中で不具合を生ずることがある。教育目的ということで、この条件なども緩和できないか。
教科書会社各社が編集した来年度用教科書やこれから作られる指導書や教材は新学習指導要領のねらいを達成する為に各社が長い年月をかけて努力・工夫して編集されたものであり、指導用のデジタル教科書もその教科書の流れにそって授業の中で活用できるようなつくりで開発が進められている。
教師と児童・生徒が対面し、コミュニケーションをとりながら作り上げていく授業の質そのものが重要であり、その中で、教師と児童が、あるいは児童同士が頭や体をフルに働かせ、コミュニケーション活動を展開していくことが重要かと思われる。
ただ、時代が要求する学力・能力の変化や,グローバル・ネットワーク社会での日本の子どもたちが将来、備えておくべき力が、コンピュータや専用端末の活用スキルやリテラシーに求められるならば、そのタイミングを計り、小中学校段階での児童・生徒用「デジタル教科書」の導入も予め、準備しなければならないだろう。
・ どのような目的やねらいで、どのような内容・仕様の「デジタル教科書」をどのように使い、使わせるようにするのか
・ 目的としては、学力の向上、情報活用力の向上,日本全体の児童生徒の学力の底上げ、伸ばすところは伸ばす、特別支援を必要とする児童生徒も等しく学習できる
・ 使いかたとしては、学校の授業で従来の教科書のように使うのか,家庭での自主学習のみにするか、その両方か
・ 内容面では、印刷物である教科書の構成要素のほかにどのようなコンテンツを、ねらいを達成するためにどのように組み込むか
・ ねらいと使い方に応じたツールやデータベースの用意
・ 本当に学力は向上するか、また使い続けた場合の体、情緒、姿勢、視力などへの影響の検証
また、児童生徒が教科書・教材で情報を収集して自分の考えを纏める、表現する、問題を解答する、学習計画を立てる、学んだことを人に教える、学習を記録・報告するなど、能動的な学びをガイドするようなデジタルノートが望まれる。
・ 機能・コンテンツの拡張性があるデジタル教科書について文部科学省の検定はどうなるか
・ 収載著作物の著作権処理や著作権保護管理(DRM)への優遇措置は可能か
・ ハード、ソフトのメンテナンスや保証はどうなるか,
・ 端末は学校管理か、ユーザー管理か
等
他方、子ども用携帯端末+デジタル教科書の活用は、授業スタイルの変容を引きおこし、その効果は未知数ではないか。
また、学校の現実として、1.ICT活用の効果は理解できるけど、私にはできそうにない(理解はしている)、2.教員研修の時間は年間に数日せいぜい10数時間、さまざまな新しい研修内容がある(教員の多忙化)、3.我が国の教科書の質は高い一方、学力差は極めて大きい(教科書の質と学力差)という状況がある。
また、学校の情報化の現実として、1.ハードルが高く、難しい機器は使いこなせない、2.ICTの操作を研修する時間は十分ではない、3.ICTで授業の方法を変える必要があるのなら対応には時間がかかる。
このため、1.一斉授業のスタイルを崩さない指導用のデジタル教科書から導入していく、2.授業で使われたデジタル教科書を子どもも持っている/家庭でも使えるようにする、3.デジタル教科書をプラットフォームにし、外部のデジタル教材等をそこにリンクする。その際,教科書の質を保証し続けるための対策を講じる必要があるのではないか。
Students(情報機器の常時利用で注意散漫になる学生)」問題や「ディスプレイ中毒」問題が、真剣に議論されはじめている。
インターネットがもたらしたのは、いつでも、どこでも学校で教えられるあらゆる情報コンテンツが入手できる世界である。しかし、それは、何をどう学ぶべきかを学び、学ぶべきものがどう変化しつつあるかを理解する能力、つまり持続的な学びのオペレーティングシステム(OS)を与えてくれるものではない。知のOSが出来上がっていない児童生徒に、膨大なコンテンツの入手スキルだけを与えるのは適切ではない。学びのOSの習得には、デジタルであるよりも、全人的な接触がありリアルとの接点を失わないアナログであるほうが、適切であると思われるが、それには、教育学的な評価が不可欠。その上で、デジタル化教育を受ける際には、デジタル化の技法だけを学ぶのは適切でなく、デジタル化の作法を同程度に学ぶ必要があることは言うまでもない。高校を一気にペーパーレスにするのは、デジタル化の経済性やグリーン性を実現するには、紙との並存では困難であるからである。
as a Service)等によるアプリケーションやコンテンツの共同利用は、教育システム全体の費用を削減することに寄与するはず。デジタルな検定教科書や準拠教材は、できるだけ一貫性を持った形で集約され、国民がだれでも知っている基幹的な知識の体系を提供するものとなることが望ましい。教科書・教材コンテンツの多様性への要求は、(フィルタリングされるとは言え)インターネット接続と意見表明や批判を重視する教育手法によりいくらでも満たせるようになっているからである。
・ 国は、教科書業界における教科書のデジタル化をまずもって後押しすべきである。
・ 国は、教科書会社が開発したデジタル教科書が、現在の紙の教科書同様、全国で使用されるよう「支給」方式をとれるようにすべきである。
・ 国は、掲示型デジタル教科書や児童生徒用のデジタル教科書を使用した授業方法の研究について、当面、紙の教科書を併用する形で、全国導入を前提として行うべきである。加えて、それらの成果が全国の現場の教員に普及していくよう計画的に研修・養成を行うところまで責任を持つべきである。
・ 国は、教科書のデジタル化に当たっての多年次的な計画(ロードマップ)を国民に示すべきである。
(2)デジタル教材
例えば、読売新聞社の学校向け新聞記事データベースサービス「スクールヨミダス」は、国語や社会、総合的な学習などの授業のほか、小論文・レポートづくりやディベートに備えた資料収集にも活用されている。明治7(1874)年の創刊から現在までの記事をオンラインで検索・閲覧することができる「ヨミダス歴史館」を使えば、史実がどのように報じられたかを通じて児童・生徒が近現代史の理解を深めることに資するものと考える。
Learning,電子図書館など)
情報端末、デジタル機器、LAN等について
ネット接続(有線、無線)。校内だけでなく家庭・地域コミュニティ・その他の地域のどこでもアクセスできる高速無線LANが必須。クラウドコンピューティングアーキテクチャ+シンクライアント端末。すべてのハード、ソフト、インフラに高度なセキュリティが保証されていること。技術革新のスピードの観点から、ハード、ソフト、インフラは消耗品とみなせるようにすること。
技術革新のスピードが速いので、各自治体・学校等の判断で機器の導入・メンテ・入れ替え等ができないといけない。そのためには、各自治体、学校等へのICT対応の権限と責任の移譲が必須。また、業界側でない自治体・学校等の側のICTコンサルタントが必要(こういう人がいないとコスト高になる可能性が高い。)
現在直ちに使用できる完全なる端末はなく、一長一短があると考える。この件は、産業界への影響が大きいことから、慎重かつ速やかに進めてはいかがか。世界のスタンダードとなるような教育用端末の開発が望まれる。
87.9% )が、そのための環境整備は十分でないとして、「必要な時に、番組や映像ソフト、教材を取り出せるサービス」が今後重要という声が強い(小学校88.9%)。地上デジタル放送が受信できるアンテナ整備や大画面のデジタルテレビ等とあわせて録画機器や回線の整備を進め、教材を必要な時に取り出しやすい環境をつくることが、わかりやすい授業の実現につながる。
いずれにしても、オンデマンドでクラウドサービスに適合する情報端末、デジタル機器であることが条件であり、このためには、i-Japan戦略の際に否定的な評価を受けた電子黒板も、教員用機器として候補となりうるのではないか。
2001年から始まったe-Japan戦略では、普通教室における校内LANの整備率を2005年までに概ね100%とすることを目標に掲げたものの50%強に終わった。次のIT新改革戦略では目標達成の年限を2011年3月としたが、2009年3月時点で64%にとどまっている。韓国は2005年までに、シンガポールも2009年までに、いずれも100%を達成しており、日本は大きく水を空けられ
た格好だ。この遅れを取り戻すだけでなく、全校に無線LANを整備するよう目標水準を引き上げるべきではないかと考える。ICT利用環境整備の具体的な目標設定とその実現に向けた工程表の作成は刻下の急務。同時に、過去の戦略期間中に目標が達成できなかった原因を究明し、予算措置のあり方も含めて今後の対策を明確に打ち出すことが求められる。
30Mbpsのインターネット接続では、何百人もいる学校で、先生と子どもの学びの記録がとれて振り返ることができる授業は難しいのではないか。整備が進み、教員がそのような授業が有効であると実感を伴わない限りうまくいかないのではないか。
校務支援システムについて
system solution のための分析が重要。校務は非定型業務が多いため、教職員が本格的に使ってくれる校務支援システムのソフトウェア設計には工夫が要る。これを実施するには協力校が必要。本格的に協力してくれる学校があれば、校務支援へのICT導入の有効性は十分実証可能。
校務にいわゆる「校務支援システム」を導入することは、教職員の負担軽減や、効率的でスピーディーな事務処理につながると考えられる。「校務支援システム」は、「グループウェア」の一種であり、教職員間の情報共有、児童生徒の成績管理・集計、通知表の自動打ち出しなど、時間の節約や効率の向上が可能である。さらに、不審者情報などPTAへのメール一斉配信や、養護教諭の日課となっている児童生徒健康観察・出欠確認の集計も、スピーディーにできる。国には、国民サービスの一環という観点からも、導入に際しての財政的な支援を望むとともに、システムの平準化や全体の費用の面からも、地域情報プラットフォームの教育版をつくるなどの、先導的な役割も期待する。
文書が学校に来るまで、県の教育委員会、教育事務所、市町村の鏡文が添付されている。国からの文書の発送、収受のシステムを統一すると、非常に現場の負担軽減になり、指導主事が現場で指導する時間を確保できるのではないか。
ICTで支援する対象は教職員で、一人1台のPCとネットワーク接続環境が望ましい。多くの学校は、教職員の数から考えて、企業でいえば零細企業または小規模な企業に相当するが、企業でのICT利活用を考えると、かなりの大企業でないとICTの専門家を設置できずに、その利活用が遅れる傾向にある。学校も同様で、校内のメンバーだけでICTの利用を進めようとしても、教職員の負担が多いのに対して、効果は上がりにくいと考える。したがって、地区毎に専門メンバーを配置するなどにより、複数の学校のICT化を一括して進めるなどの方策が有効と考える。同様にクラウド・コンピューティングなどの利用も考えられる。 そうした、共同利用において重要なのは業務の標準化である。これまで手作業で行っていた校務は、各学校で異なるやり方を採っていてもまったく問題がなかったが、コンピュータ処理で異なるやり方を残すと、複数のやり方に対応するソフトウェアの開発が必要となるため、開発に長期間を要するだけでなく、経費も高額となりやすい。したがって、可能な限り業務の標準化を図った上でコンピュータ処理に移行する必要があるが、そのためには現場の理解と了解を取り付ける必要があるので、その点の配慮が重要となる。
Information Service)から、学習支援と校務全般を統合したLearning platformへ、地域、学校単位で運用している。我が国においても、国が定める指導要録等の公簿や、全国共通で管理すべき学校データを効率的に処理できるシステムを国レベルで開発し、教育委員会が管理運用してはどうか。
まずは、国から、通知表をはじめ、どんどん電子処理を行ってよいということを発信することが重要ではないか。
校務の情報化の推進においていまひとつ重要なのは、個人認証基盤の確立である。校務の情報化は、学校における教員の事務や雑務の情報化にとどまるものでなく、教員と児童生徒間、教員と学校間、学校と教育委員会間、教職員間を越えて、教員と保護者間、学校と地域社会間等の多様なコミュニケーションのシステム化が不可欠。その際に常に問題になるのは、安全・安心な個人認証基盤の確立である。現在、政府では、新たな国民ID基盤の確立に向けての動きが生まれつつあるが、校務の情報化を経済的に進めていくためには、この動きと歩調を合わせることが有効。また、現在、電波の新たな利活用のビジョンが検討されつつあるが、そこで検討課題になっているホワイトスペースの活用が、教育のデジタル化や校務の情報化をより経済的で、豊かな表現力を持ったものにするのに寄与する可能性がある。
児童生徒・教員等へのICT教育、教員へのサポートについて
(児童生徒へのICT教育)
具体的には、高等学校では現段階でも必履修となっている教科「情報」の拡充が最も近道であると考える。中学校段階では現在、技術・家庭科の技術領域において情報教育の内容を学習しているが、技術・家庭科には当然教科としての目標があるため、その範囲から抜け出すことは難しい。「21世紀型スキル」の育成を中心とした教科等の設置が必要である。小学校段階では現在,情報教育を主として扱う教科等は設置されていない。中学校同様、「21世紀型スキル」の育成を中心とした教科等の設置が必要である。特に小学校では、ICTの基本的な操作だけでなく、各教科でも長期的に役立つ思考技術の獲得に重点を置くべきである。課題となるのは、この教科を担当する教員の養成である。教員養成制度の見直しと連動させて検討する必要がある。教職大学院等において集中的に育成し免許を付与する方法も考えられる。
(教員へのICT教育)
また、コンピュータ等の活用に対して否定的な考え方を有している学生の意識改革を図るべき。教員養成学部(附属学校を含む)の教室に大学としてのICT機器・ソフトを整備するとともに、小中学校と同様の機器・ソフトを体験できるよう整備するべき。
(教員へのサポート)
現在、教員免許取得には「教育課程及び指導法に関する科目」で「教育の方法及び技術」が位置づけられているが、教員免許資格を取得できる大学でこうした講座を充実すること、法定研修である「初任者研修」や「10年目経験者研修」の中で、ICT活用指導力向上のためのプログラムを充実させることが必要。
その他
(特別支援教育)
また、特別な支援が必要な児童生徒のためのICT機器の発展や教育技術の進歩は、障がいのない児童生徒にも大いに有効であることは、現場の教員から指摘されている。(教育のユニバーサルデザイン化)
さらに広げて、授業のみならず、入学試験等でも一定の合意のもとでICT機器を使用できるようになれば、社会全体のノーマライゼーションの進展に大いに貢献する。
国においても、児童生徒が使用する端末を含め、特別支援学校や特別支援学級等におけるICT機器やソフトの充実にかかる施策を、優先的に行っていただきたい。このことは、通常学級の情報化の推進のさきがけとしての意義もある。
機器等の開発を学校現場の教職員を中心とした地方の教育関係者だけで行うことには限界がある。また、企業などの製品もコストの面からより汎用的なものが中心にならざるを得ない。特別なニーズのある子どもたちの教育における情報化にあたっては、国によるプロジェクトにおいて、責任をもって研究・開発し、提供できることが最良の方法と考える。
(支援方法等)
したがって、クラウド・コンピューティングにより、各学校からダウンロードし、更新できる方法を開発すれば、国全体での相対的な費用の効率化と、学校現場の負担軽減につながる。また、国も学校に渡しっぱなしではなくその後のメンテナンスも含めて責任を持つことが前提となる。
また、いわゆる「校務支援システム」についても、国で統一化又は標準化を行った上で、クラウド・コンピューティングにより自治体・各学校に提供するようにすればよい。基本的には、各自治体が自分たちの工夫により開発すべきものと思うが、その開発の費用、手間、ランニングコスト、職員の対応のスムーズさなどを国家全体で考えるとき、いかにも無駄が多い。もし、自治体が独自の工夫をしたいときは、交付金の「提案事業」に余地を残すことも可能ではないか。
さらに、「ICT推進員」等も学校等のスタッフとして検討されてよい。
加えて、特別支援教育にかかるシンクタンクの創設も必須と考える。
国として全国どこでも安定して使用できるようにすべきものは、国において実施し、思い切った統一化又は標準化を図ることが、結果として地方独自の工夫を伸ばし、国家財政の効率的な運用につながると考える。
具体的には、従来の地方交付税の手法により、地方自治体まかせにしていては、結果として国が期待するようには進まず、自治体間格差が広がるばかりである。
特に、教育と福祉の充実施策は、一度始めたら後戻りがしにくいため、後年度の財政負担を増大させる懸念が生じ、思い切って行うには勇気がいる。一方、多くの地方自治体(県・市等)では、近年の耐震化による補強工事、建て替え、統廃合計画の真最中でもあり、国の補助を頼りに、借金をして学校施設の充実を図っているのである。そのような中で、インフラの整備やハード・ソフトをさらに整備することは、極めて自治体ごとの事情が異なるので、国は、一定の水準を示しつつそれに達するよう、財政的な支援を計画的に行うべきである。地方自治体で整備すべきものについては、複数年度にわたって整備しやすいような形での教育版一括交付金(「まちづくり交付金」の教育版)を創設するべきである。そうすれば、各自治体がインフラやハード等の整備などを計画的に行うことができ、自治体ごとに整備する年度が違っても、結果として全国的に均(なら)される形になるだろう。
補助金スキームで、国土交通省のまちづくり交付金等のような、基幹事業と提案事業を含むスキームが、首長に喜ばれるのではないか。また、コンテンツについては、地方の電算コストが肥大化している現状を踏まえると、国が統一的に調達して、学校がユーザーとなる方法が望ましい。
長期的な観点から、義務教育段階の子どもの学校教育に情報化を推進することは意義があるが、まもなく社会で活躍するであろう大学生や高校生等に対するICT教育は、今度数年から10年間の我が国にとって、「必要不可欠な投資」である。また、我が国の特別支援教育では、選抜の現実や「自己責任」との考え方がより深いからか、高等学校や大学等における支援が十分とは言えないようである。諸外国と比較しても、授業や試験における要支援学生のICT機器の持込や使用などへの配慮が足らないとの指摘もあり、結果として我が国の特別な才能をもつ若者などの活躍を狭めているともいわれている。国は、予算上の裏づけをした上で、以前より強制力を持って指導すべきである。
このような状況の中で教育の情報化を確実に成功させるためには,国が直轄の予算付けを行うことと同時に、整備指針の提示や整備のコンサルテーション、活用イメージの提示、Best
Practiceの収集と開示等を担当する全国組織として「教育情報化推進機構(仮称)」の設置が必要である。これは、英国におけるBECTA、韓国におけるKERIS等の組織に相当する。
(その他)
1.情報化の意義、具体的イメージをまとめること。
2.国を挙げて本格的に取り組む姿勢を示し、具体的な組織を提案すること。
3.克服すべき主な課題を共有すること。
4.平成23年度予算編成に向けて当面早急かつ実効性のある財政施策の方向性を出すこと。
5.教科書のデジタル化に必要な施策を開始すること
(例)20XX年までに世界一のデジタル教育環境を整える。
20XX年までに全小中学生にデジタル教科書・教材を行き渡らせる。
20XX年までに小中学校のカリキュラムの○%でデジタル教科書・教材が使われる。
また、学校教育の情報化を進めるための政策マスタープランを形成すべきではないか。そのパッケージには、予算措置、民間支援措置、法制度手当て、推進機関、実験・トレーニングプログラム等を含むとともに、ロードマップを描くべきではないか。