shinichi Post author22/10/2018 at 8:53 am 三鷹・女子高生刺殺事件<前編> 被告からの手紙から感じた矛盾 by 八木澤高明 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/238682/1 一通の封筒が届いた。封を開けると、白い便箋にはきちょうめんな細かい文字が丁寧につづられていた。手紙の主は、2013年10月8日に、元交際相手の女子高生を殺害した池永チャールストーマス被告である。 その筆跡を見ていると、殺人という血なまぐさい行為とは、どうしても結びつかない。すでに報じられているが、池永被告は日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた。彼はフェイスブックを通じて被害者と知り合った。 フェイスブック上、池永被告は、立命館大学の学生で南米のハーフと自称していた。彼はフィリピン人のハーフであることは、どこにも記しておらず、むしろ隠していたような印象を受ける。 事件発生からしばらくして、彼が暮らしていた京都を取材したが、中学、高校の同級生たちも、池永被告の顔立ちから、ハーフであることは知っていたが、どこの国とのハーフなのかは、知る者はいなかった。 日本の社会では、ハーフという存在が、往々にしてイジメや差別の対象となってきたのは、厳然たる事実である。そうしたことからも、出自を公にしたくないという感情を持っていたことがうかがえるのだ。 この事件は、池永被告の被害者に対するストーカー殺人という側面がクローズアップされている。確かに彼女に対する執拗なまでのストーキングが今回の事件につながっていることは間違いない。 だが一方で、池永被告の出自や生まれ育った環境というものも事件と結びついていないだろうか。その点に注目したいのだ。 池永被告は高校卒業後、自衛隊入隊の希望がかなわず、コンビニでアルバイトの日々を送っていた。立命館大学の学生、南米のハーフと偽り、己を嘘で塗り固めることによって、女子高生の交際相手を得た。 彼女の存在は、己の虚栄心を満足させ、池永被告の存在の一部になっていた。それゆえに彼女から別れを切り出されたことは、みすぼらしい己の姿を認識させられることではなかったか。 池永被告にハーフゆえに感じた苦労などを、聞いてみたく、一通の手紙を書いてみた。この国で暮らしてきて、息苦しさを感じたことはなかったかと――。 1週間も経たないうちに、池永被告から封書が届いたのだった。 「今まで日本で育ってきた中で混血児を理由に迫害を受けたり、差別されたりと云ったことはありません」 手紙の冒頭、差別やイジメを受けたことはないときっぱりと言い切った。 さらに手紙を読んでいくと、フィリピン人のハーフということへの複雑な感情が読み取れた。 フィリピン人のハーフの中には両親が離婚して経済的に貧しい状況のなか暮らしているケースが多いこと、金に対する執着心が強い人が少なからずいて、池永被告も金を盗まれるなど被害に遭ったこと。自分も同じ境遇であることに嫌悪感を覚えることもあったと書かれていた。 「間の子ゆえに板ばさみの中で歪んでしまったのかとお考えならば否定します。それは関係のないことです。ただ私の人となりゆえに引き起こした事件であります」 人となりとは、遺伝だけではなく、育った環境などによって築かれていくものではないか。彼の言っていることは、どうも矛盾しているようにも思えてならなかった。 Reply ↓
shinichi Post author22/10/2018 at 9:00 am 三鷹・女子高生刺殺事件<後編> 女子高生は受け入れてくれていた by 八木澤高明 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/239161 2013年10月8日、池永受刑者は、元交際相手の女子高生を殺害した。 「気立てのいい子でね。いつもニコニコして、挨拶をしてくれる子だったよね」 池永受刑者の凶刃に倒れた女子高生を知る近所の住民は言う。 殺害された女子高生は、小学校の時に芸能事務所からスカウトされ、女優として映画にも出演し、海外にも留学するなど、何不自由なく育った。 一方の池永受刑者は、公判でも明らかになっているが、幼少期から壮絶な環境下に置かれていた。 4歳の時に両親が離婚。母親はホステスとして働き、交際する相手が何人も変わった。そのたびに、池永受刑者は交際相手から虐待を受けた。時に交際相手と母親がセックスする様子を見せつけられたという。母親は池永受刑者を部屋に置き去りにして、旅行に行ってしまうこともあり、児童相談所に保護されたことも2度あった。 生まれも育ちも違い、日常では、ほとんど交わる可能性がなかった2人が、フェイスブックを通じて、11年の秋ごろに巡り合った。現代のネット事情が生み出した恋愛であった。池永受刑者にとって、女子高生は自慢の彼女であった。中学時代の同級生が言う。 「街で自転車に乗っている池永とばったり会ったんです。うれしそうに言うんです。やっと彼女ができたよって。その時は一切、他の話はしないで、彼女の話ばかりでしたね。中学で京都に引っ越してきてから、もともとお調子者だったんですけど、その時は本当にうれしそうでした」 池永受刑者にとって、彼女の存在はかけがえのないものであったことが分かる。その存在が目の前から離れていった時、強烈な殺意が芽生えた。 池永受刑者は私との手紙の中で、女子高生は、自分の存在を受け入れてくれていたと記している。 ただ、彼女が受け入れていたのは、立命館大学の学生、南米のハーフといった、すべてを偽った姿であった。 池永受刑者は、フィリピン人ハーフの家庭環境についてこんなことも記している。 〈家庭環境に於いては、私もそうだったんですが、(中略)親が幼少期に離婚し、母子家庭で貧困に喘いでいるケースが応々にして良くあるように見受けられます。貧しいと、どうも金に対して執着心が沸くみたいで、自分の場合、(中略)大学の進学資金にコツコツ貯めていた多額のお金を勝手に手を付けられ、無一文になり進学を断念せざるを得ないことがありました。そういういやしさに満ちた環境下で育ったせいかフィリピンと云う国にはネガティブなイメージがありました……〉 この犯罪が引き起こされた根底には、間違いなく彼が生まれ育った環境というものが影響している。 池永受刑者にとって、裕福な家庭で育った女子高生は、夢を見させてくれる存在だったのではないか。 彼女が自分の目の前から去るということは、現実に引き戻されるということでもあった。 取材の終わりに、池永受刑者が暮らしていた京都の団地に向かった。目の前をドブ川が流れ、お世辞にも環境が良いとは言えない。そこには今も母親が暮らしている。 池永受刑者は、ネットの世界を通じ、この団地の向こうに広がる、新たな世界へ向かおうとした。 言ってみれば、この場所は彼にとって心休まる場所ではなかったということだ。 この事件は、現代日本の姿と密接につながっているのだ。 Reply ↓
三鷹・女子高生刺殺事件<前編>
被告からの手紙から感じた矛盾
by 八木澤高明
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/238682/1
一通の封筒が届いた。封を開けると、白い便箋にはきちょうめんな細かい文字が丁寧につづられていた。手紙の主は、2013年10月8日に、元交際相手の女子高生を殺害した池永チャールストーマス被告である。
その筆跡を見ていると、殺人という血なまぐさい行為とは、どうしても結びつかない。すでに報じられているが、池永被告は日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた。彼はフェイスブックを通じて被害者と知り合った。
フェイスブック上、池永被告は、立命館大学の学生で南米のハーフと自称していた。彼はフィリピン人のハーフであることは、どこにも記しておらず、むしろ隠していたような印象を受ける。
事件発生からしばらくして、彼が暮らしていた京都を取材したが、中学、高校の同級生たちも、池永被告の顔立ちから、ハーフであることは知っていたが、どこの国とのハーフなのかは、知る者はいなかった。
日本の社会では、ハーフという存在が、往々にしてイジメや差別の対象となってきたのは、厳然たる事実である。そうしたことからも、出自を公にしたくないという感情を持っていたことがうかがえるのだ。
この事件は、池永被告の被害者に対するストーカー殺人という側面がクローズアップされている。確かに彼女に対する執拗なまでのストーキングが今回の事件につながっていることは間違いない。
だが一方で、池永被告の出自や生まれ育った環境というものも事件と結びついていないだろうか。その点に注目したいのだ。
池永被告は高校卒業後、自衛隊入隊の希望がかなわず、コンビニでアルバイトの日々を送っていた。立命館大学の学生、南米のハーフと偽り、己を嘘で塗り固めることによって、女子高生の交際相手を得た。
彼女の存在は、己の虚栄心を満足させ、池永被告の存在の一部になっていた。それゆえに彼女から別れを切り出されたことは、みすぼらしい己の姿を認識させられることではなかったか。
池永被告にハーフゆえに感じた苦労などを、聞いてみたく、一通の手紙を書いてみた。この国で暮らしてきて、息苦しさを感じたことはなかったかと――。
1週間も経たないうちに、池永被告から封書が届いたのだった。
「今まで日本で育ってきた中で混血児を理由に迫害を受けたり、差別されたりと云ったことはありません」
手紙の冒頭、差別やイジメを受けたことはないときっぱりと言い切った。
さらに手紙を読んでいくと、フィリピン人のハーフということへの複雑な感情が読み取れた。
フィリピン人のハーフの中には両親が離婚して経済的に貧しい状況のなか暮らしているケースが多いこと、金に対する執着心が強い人が少なからずいて、池永被告も金を盗まれるなど被害に遭ったこと。自分も同じ境遇であることに嫌悪感を覚えることもあったと書かれていた。
「間の子ゆえに板ばさみの中で歪んでしまったのかとお考えならば否定します。それは関係のないことです。ただ私の人となりゆえに引き起こした事件であります」
人となりとは、遺伝だけではなく、育った環境などによって築かれていくものではないか。彼の言っていることは、どうも矛盾しているようにも思えてならなかった。
三鷹・女子高生刺殺事件<後編>
女子高生は受け入れてくれていた
by 八木澤高明
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/239161
2013年10月8日、池永受刑者は、元交際相手の女子高生を殺害した。
「気立てのいい子でね。いつもニコニコして、挨拶をしてくれる子だったよね」
池永受刑者の凶刃に倒れた女子高生を知る近所の住民は言う。
殺害された女子高生は、小学校の時に芸能事務所からスカウトされ、女優として映画にも出演し、海外にも留学するなど、何不自由なく育った。
一方の池永受刑者は、公判でも明らかになっているが、幼少期から壮絶な環境下に置かれていた。
4歳の時に両親が離婚。母親はホステスとして働き、交際する相手が何人も変わった。そのたびに、池永受刑者は交際相手から虐待を受けた。時に交際相手と母親がセックスする様子を見せつけられたという。母親は池永受刑者を部屋に置き去りにして、旅行に行ってしまうこともあり、児童相談所に保護されたことも2度あった。
生まれも育ちも違い、日常では、ほとんど交わる可能性がなかった2人が、フェイスブックを通じて、11年の秋ごろに巡り合った。現代のネット事情が生み出した恋愛であった。池永受刑者にとって、女子高生は自慢の彼女であった。中学時代の同級生が言う。
「街で自転車に乗っている池永とばったり会ったんです。うれしそうに言うんです。やっと彼女ができたよって。その時は一切、他の話はしないで、彼女の話ばかりでしたね。中学で京都に引っ越してきてから、もともとお調子者だったんですけど、その時は本当にうれしそうでした」
池永受刑者にとって、彼女の存在はかけがえのないものであったことが分かる。その存在が目の前から離れていった時、強烈な殺意が芽生えた。
池永受刑者は私との手紙の中で、女子高生は、自分の存在を受け入れてくれていたと記している。
ただ、彼女が受け入れていたのは、立命館大学の学生、南米のハーフといった、すべてを偽った姿であった。
池永受刑者は、フィリピン人ハーフの家庭環境についてこんなことも記している。
〈家庭環境に於いては、私もそうだったんですが、(中略)親が幼少期に離婚し、母子家庭で貧困に喘いでいるケースが応々にして良くあるように見受けられます。貧しいと、どうも金に対して執着心が沸くみたいで、自分の場合、(中略)大学の進学資金にコツコツ貯めていた多額のお金を勝手に手を付けられ、無一文になり進学を断念せざるを得ないことがありました。そういういやしさに満ちた環境下で育ったせいかフィリピンと云う国にはネガティブなイメージがありました……〉
この犯罪が引き起こされた根底には、間違いなく彼が生まれ育った環境というものが影響している。
池永受刑者にとって、裕福な家庭で育った女子高生は、夢を見させてくれる存在だったのではないか。
彼女が自分の目の前から去るということは、現実に引き戻されるということでもあった。
取材の終わりに、池永受刑者が暮らしていた京都の団地に向かった。目の前をドブ川が流れ、お世辞にも環境が良いとは言えない。そこには今も母親が暮らしている。
池永受刑者は、ネットの世界を通じ、この団地の向こうに広がる、新たな世界へ向かおうとした。
言ってみれば、この場所は彼にとって心休まる場所ではなかったということだ。
この事件は、現代日本の姿と密接につながっているのだ。