芥川龍之介

 何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。……
 三十分ばかりたつた後、僕は僕の二階に仰向けになり、ぢつと目をつぶつたまま、烈しい頭痛をこらへてゐた。すると僕のまぶたの裏に銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはつきりと映つてゐるものだつた。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちやんと暗い中に映つてゐた。僕はふとこの間乗つた自動車のラデイエエタア・キヤツプにも翼のついてゐたことを思ひ出した。……
 そこへ誰か梯子段を慌しく昇つて来たかと思ふと、すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。僕はその誰かの妻だつたことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突つ伏したまま、息切れをこらへてゐると見え、絶えず肩を震はしてゐた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
 妻はやつと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」
 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

4 thoughts on “芥川龍之介

  1. shinichi Post author

    芥川龍之介

    https://ja.wikipedia.org/wiki/芥川龍之介

    **

    「歯車」の内容から、晩年には自分自身のドッペルゲンガー (Doppelgänger) を見たのではないか、また、片頭痛あるいはその前兆症状である閃輝暗点を患っていたのではないか、という説がある。

    **

    1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきる中、田端の自室で芥川龍之介は服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。

    Reply
  2. shinichi Post author

    病気で文学案内。
    第1回芥川龍之介『歯車』 / 閃輝暗点症

    by 星野満天

    ほぼ日刊イトイ新聞

    https://www.1101.com/hoshino_manten/01.html

    アレが、わたしの身に降りかかったのは
    いつのことだろう。
    かれこれ5~6年ほど前になるだろうか。

    ある薄曇りの午後、本を読んでいると、
    突然、視野の隅から
    「キラキラとまぶしい光」が染み出すように広がり、
    ほどなく視野の半分を占めるに至った。

    びっくりし、一歩たりとも動けなくなり、
    半時間ほど、横たわっていた。
    すると、そのうちに光は、
    何事もなかったかのように引いていった。

    翌日、眼科で診察してもらうと、
    顔色の悪い高齢の女性医師が、
    落ち着き払ったようすで、こう言った。

    「それほど心配することもありませんよ。
     これは、眼の病気というよりも偏頭痛の一種で、
     何度も何度も、長時間続くようだと
     脳の検査を受けた方がいいと思いますけれど、
     すぐに快復する場合は、問題ない。
     よく子どもが運動会の前なんかに
     ストレスを感じると、発症したりするんです。
     閃輝暗点症‥‥と言うんですが」

    実際、わたしがこの病を発症したのも
    「極度に睡眠不足」のときだった。
    ともあれ、ほっと胸をなでおろしたわたしに
    医師はもうひとつ、
    興味深いエピソードを教えてくれた。

    「かの芥川龍之介も
     重い閃輝暗点症を患っていたらしいですよ。
     自殺の一因になったらしいですけれど」

    彼女がなぜ、そんな話をしたのかはわからない。
    ただの気まぐれだったのかもしれない。
    しかし、どうにも気になったわたしは、
    さっそく、芥川が
    自身の閃輝暗点症を描いたという「歯車」に
    目を通してみた。

    それは、芥川の「遺作」だった。

    芥川の「歯車」のなかには
    都合3度、閃輝暗点症らしき症状の描写が登場する。

    最初は、主人公である「僕」が町を歩いているとき。
    視野のうちに
    「たえず回転する半透明の歯車」があらわれ、
    次第にその数を増やしていくのだ。

    しばらくすると歯車は消え失せ、頭痛がはじまる。
    「僕」は、以前にも、同じ経験を何度かしている──。
    そのような描写だった。

    わたし自身のケースと比べると、「僕」の見た「歯車」こそが
    あのキラキラとまぶしい強い光に相当するのだろう。
    「まもなくそれが消え失せた」という点もわたしと同じである。
    たしかに、わたしを診た眼科医のいうとおり、
    「僕=芥川」は、閃輝暗点症だったのかもしれない。

    しかし、「僕」が何度も閃輝暗点症を発症している点と、
    ひどい頭痛がはじまるという点で、わたしの場合と異なる。
    わたしが見た光は一度きりだったし、頭痛はなかった。

    つまり、芥川のそれは「重症」だったのだ。

    当時、芥川も眼科を受診したらしい一節が作中にある。
    診察した医師は、
    ヘビースモーカーの芥川に節煙を命じただけのようだ。
    当時はまだ、閃輝暗点症に対する医学的知見が
    現代のようには、確立されていなかったのだろうか。

    2度目に出てくるのは「僕」が泊まっているホテルの部屋。
    やはり「歯車」が回り出し、その数を増やしていく。
    そして「僕」は、ほどなくはじまるであろう頭痛を恐れて、
    睡眠薬と思われる薬を飲んで眠る──。

    「恐れる」ほどの頭痛。
    ここからも芥川の閃輝暗点症の「重症度」がわかる。

    そして3度目。それは、作品のラストを飾る場面だ。

    何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈(いよいよ)最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。……
     三十分ばかりたつた後、僕は僕の二階に仰向けになり、ぢつと目をつぶつたまま、烈しい頭痛をこらへてゐた。

    重症である。明らかに。小説など書いている場合ではない。
    しかし芥川の文章は、こうした危機的状況でこそ冴えわたってくる。

    つづく「僕」と、その妻との会話。

    そこへ誰か梯子段を慌(あわただ)しく昇つて来たかと思ふと、すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。僕はその誰かの妻だつたことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突つ伏したまま、息切れをこらへてゐると見え、絶えず肩を震はしてゐた。
    「どうした?」
    「いえ、どうもしないのです。……」
     妻はやつと顔を擡(もた)げ、無理に微笑して話しつづけた。
    「どうもした訣(わけ)ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」
     それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

    芥川はこの作品を書きあげたあと、まもなく自殺した。

    「歯車」という小説は、「僕」が町を彷徨するたびに
    次々と「恐怖」や「不安」や「不快」を感受する物語である。
    自ら命を絶つ直前の小説家の過敏な神経は、
    何でもない日常風景のそこここに
    「恐ろしいもの、不気味なもの」を見い出してしまったのだ。

    そして「閃輝暗点症」の症状に囚われながらも
    研ぎ澄まされた筆致で、まるで身を切るように描写することで、
    芥川は、自身の病気さえも
    文学の裡(うち)へ取り込んでしまおうとした。
    芥川龍之介という人は、悲しいほどに「小説家」だったのである。

    ふりかえって、わたしの閃輝暗点症は
    その後も、とりたてて重症化することもなく今日にいたっている。
    その意味でも、凡夫たるわたしは、芥川に遠く及ばないのである。

    Reply
  3. shinichi Post author

    閃輝暗点

    https://ja.wikipedia.org/wiki/閃輝暗点

    閃輝暗点(せんきあんてん)もしくは閃輝性暗点(せんきせいあんてん)とは、片頭痛の前兆現象として現れることが多い視覚の異常で、定期的に起こる場合が多い。英語名は「偏頭痛オーラ」を意味する「Migraine aura」(マイグレイン・オーラ)。Scintillating scotomaとも言う。芥川龍之介の作品『歯車』のなかで、龍之介が激しい頭痛と共に目にしたと記述している「歯車」はこの閃輝暗点だと言われている。

    まず、視覚障害が起きる。突然、視野の真中あたりに、まるで太陽を直接目にした後の残像のようなキラキラした点が現れる。視界の一部がゆらゆら動きだし、物がゆがんで見えたり、目の前が真っ暗になったり、見えづらくなる。その後、みるみるうちに点は拡大していく。ドーナツ状にキラキラと光るギザギザしたガラス片や、ノコギリのふちのようなもの、あるいはジグザグ光線のような幾何学模様が稲妻のようにチカチカしながら光の波が視界の隅に広がっていく。これは無数の光り輝く歯車のような点が集まり回転しているようでもあり、視界の大部分が見えなくなることもある。これらの視覚的症状は短時間に進行する。そしてこの閃光と暗点は5分から40分ぐらいで広がって、視野の外に出て消えていく。この症状は目を閉じていても起きる。症状が治まった後、引き続いて片頭痛が始まる場合が多い。この後に頭が割れてしまいそうな激しい片頭痛が3〜4時間続き、強烈な吐き気・嘔吐などを伴うことが多い。

    これら症状は若年の場合、年齢と共に回数も減りそのうちにほとんど起こらなくなる。

    中年の場合で、閃輝性暗点だけあって、その後に頭痛を伴わない場合は、まれに脳梗塞、脳動静脈奇形、脳腫瘍や、血栓による一過性の脳循環障害が原因である可能性がある。

    **

    眼球の異常ではなく、ストレスがたまり、ホッとしたときにこの症状に見舞われることが多い。片頭痛の原因は、頭の血管が何らかの誘因で収縮し、その後異常に拡張すると共に血管壁に炎症・浮腫をおこすためと言われている。閃輝暗点が起こる原因は、脳の視覚野の血管が収縮し、一時的に血の流れが変化するためと考えられている。チョコレートやワインの飲食でなりやすいと言われている。

    **

    閃輝性暗点が起きたら、眼科と神経内科のある総合病院で、コンピュータ断層撮影法(CT)や核磁気共鳴画像法(MRI)による精密検査を受診することが望ましい。

    閃輝暗点が起きてからの対症療法は、閃輝暗点中に前もって「ロキソニン」「ハイペン」などの鎮痛薬を飲んでおくと、幾分軽く済むようである。亜鉛、カルシウム、マグネシウムのサプリメントは、閃輝暗点が起きないようにするための対処法である。

    Reply

Leave a Reply to shinichi Cancel reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *