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  1. shinichi Post author

    「カツ丼発祥の店」早稲田の最古のそば屋が、突如閉店した真相

    学生街から次々と名店が消えてゆく

    by 橋本 歩

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56861

    「大隈家御用」その歴史は100年以上

    2018年7月31日、早稲田の老舗がひっそりとのれんを下げたーー。

    明治初期から100年以上続くこの店の名前は、三朝庵。馬場下町交差点のシンボルとして、早稲田の街を見守ってきた「早稲田最老舗」の蕎麦屋である。

    早稲田大学の学生だけでなく、数々の著名人に愛されてきた。その証拠に、店内には大量のサインが飾られ、薬師丸ひろ子、山田洋次監督、藤子不二雄Aなど各界の有名人の名前がずらりと並んでいる。

    その老舗が突如として店をたたむことを発表したのだ。「閉店の知らせ」が貼り出されたのは、すでに閉店した後だったため、31日が最終日だと知らずに店の前を通り過ぎていった人も多かったに違いない。

    それでも最終営業日の昼時は、事前に情報を掴んでいたと思われる学生やOBたちで賑わっていた。その多くが惜しむように味わっていたのがカツ丼である。

    諸説あるが、三朝庵は「カツ丼発祥の店」としても知られている。早稲田の地でカツ丼が産声をあげたのは1918年(大正7)。急なキャンセルにより大量に余ってしまったトンカツを、学生のアイデアによって卵でとじたことから誕生したという。

    さらに驚くことに、三朝庵は「カレー南蛮」も生み出したと言われている。新しくできたカレー屋に奪われた客を奪い返すため、試行錯誤の末に誕生したのだそう。

    いずれにせよ、早いうちから今日の日本食に貢献するような独創的なメニュー作りに励んでいたことは確か。その姿勢もあって、現在まで客の胃袋を掴んで離さなかったのだろう。

    三朝庵が存在しなければ、早稲田だけでなく、きっと日本の食の風景もまったく違うものになっていたはずだ。

    早稲田大学創設者の大隈重信も、三朝庵に魅せられた一人であった。大隈はたびたびこの店の蕎麦を学生に振る舞ったといい、店の外には「元大隈家御用」という看板も掲げられている。

    実は、創業から大隈とは浅からぬ縁があった。もともと店の土地を所有していたのが大隈で、1906年に初代店主がこの土地を借り受ける形で、三朝庵はスタートしたのだ。

    5代目店主が語る「閉店の理由」

    かつて早稲田はほとんどが農村地帯であった。後の早稲田大学となる東京専門学校を大隈が開学したことにより、学生街へと発展していったのだ。往時の賑わいは相当なものであったといい、早稲田大学周辺には、今では都内にも少なくなってしまった大規模な学生街が残っている。

    ただ近年は、やはり昔に比べると店の数も少なくなり、活気が失われたと言われている。大隈通り商店街で50年続いた洋食店「ランチハウストキワ」を、2007年にたたんだ浜岡治彦さんはこう語る。

    「昔の学生は、お金も娯楽もないから、とりあえず近くの飲食店で時間を潰していたんです。おかげで今より店の数も多くて、街も賑わっていました。でも、最近の学生は娯楽や情報の選択肢が増えた分、心変わりが本当に早い。特にラーメン屋なんて、開店当初は行列ができていたのに、いつの間にか閉店しているなんてことがしょっちゅうあります」

    さらに、早稲田で飲食店を経営する店主たちに話を聞くと、口々に言っていたのは「大学の昼休みが短くなった」ということ。かつて大学の昼休みは90分だったというが、現在は50分に短縮されている。学生にも大学の周りをブラブラする時間的な余裕がなくなってしまったため、客足が減少しているのだ。

    追い打ちをかけたのが、2009年に早稲田キャンパス内に新たにオープンしたコンビニの存在だ。ただでさえ短い昼休みを有効活用するために、コンビニで昼食を済ませる学生が増えたのである。

    現在では、大学内にコンビニがある光景は珍しくはないが、学生街に店を構える飲食店には大打撃となった。大隈通りにあった店の数は、40年前に比べると約4分の1にまで減少してしまったという。

    三朝庵も、学生街を襲う時代の変化に耐えきれずに閉店へと追い込まれてしまったのだろうか。閉店の直前に、5代目店主の加藤浩志さんに話を聞いた。

    「おかげさまで、今でも多くのお客様に来店いただいているので、本当は続けたいというのが本音です。ただ、長く店を切り盛りしてきた4代目の母も体調を崩し、なにより人手不足で店が回らなくなってきた。そこで一旦閉めることに決めたんです」

    他の老舗も、次々に…

    閉店していく老舗は三朝庵だけではない。2018年には同じく老舗蕎麦屋の「長岡屋総本店」、2016年にはツンデレな店主が密かな人気だった洋食店の「キッチンエルム」、2014年にはタンメンが人気だった中華食堂「稲穂」が閉店するなど、ここ数年で、早稲田生なら誰もが知っていた老舗が次々と姿を消している。

    特に、34年間営業し続けた「キッチンエルム」が閉店する際には、事前に閉店情報がSNSで拡散されたため、「最後にもう一度味わっておきたい」と客が殺到する事態になった。閉店当日には3時間待ちの行列ができたというから、どれほど愛されていたかがわかるというもの。

    ところが、三朝庵と同様、この「エルム」も決して客が集まらないから店を閉めたわけではない。同店には「エルムの掟」なるものが存在し、水はセルフサービス、食べ終わった食器はカウンターに乗せる、グループで注文する際は同一メニューにするなど、客も協力して店を支える仕組みができていた。おかげで回転率も高く、むしろ儲かっていたというが、店主の山口勝見氏は「元気なうちに辞めたい」という理由から閉店を決断した。

    同じく60年近く営業し続けた「稲穂」の閉店理由も客不足ではなかった。店主と一緒に店を切り盛りしていた長谷川正子さんは言う。

    「主人は『死ぬまで店をやり続けるんだ』と言っていました。でも、その主人も数年前に体を壊してしまい、店を続けられなくなってしまったんです」

    いずれの老舗にも共通するのは、決して売り上げ低迷や客不足から店をたたむわけではないという点だ。数多のチェーン店ができては消えてゆくなかで、早稲田の老舗は変化に耐え続けてきたのである。前出の「ランチハウストキワ」元店主、浜岡さんが言う。

    「料理を出して、学生さんが帰る時に『ありがとうございました』って言うだけなら、ロボットだってできるでしょ。店の雰囲気も含めてサービスなんだから、こっちから学生さんに話しかけて居心地よくしてあげないとね。早稲田で長く続けてこられた店には、そういったサービス精神があると思うよ」

    多くの学生やOBに100年以上、変わらぬサービスと居心地を提供し続けた三朝庵。早稲田の街からまたひとつシンボルが消えた。

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