本田雅一

今から13年前のこと。がん治療は現在ほど進んでおらず、13本のうち11本のリンパ管を右脇から取り除いたみえ子は、極めて厳しい抗がん剤治療を乗り越えねばならなかった。そんな様子を見た中治は、ひととおりの治療を終えて自宅へと戻ってきたみえ子と“2人だけ”で、最後の営業を行い、その食事の舞台を“可能な限り最高”にしようと誓った。
価値観を大きく変えた中治は、明日はないとの覚悟を決めた。そう覚悟を決めたならば、細かく素材の仕入れ価格を抑え、安全装置とも言える料理人の“コスト感覚”をいっさい無視したすしを握ることができる。予約はスカスカ。希少な高級素材を仕入れたからといって、利益を上げていけるのか、リスクは極めて高い。
安全装置を外した中治は、ひたすらに“最高のすしとは何か”を求め始めた。
2008年に『ミシュランガイド東京』が大田区にあるレストランも評価対象に加えると、たった2人だけで営業するこの店は毎回二つ星で掲載され続ける。が、利益はほとんど出なかった。そんな初音鮨が予約困難店となったのは「食べログ」を通じて評判が広がり、驚きと称賛がネットを通じて知られるようになった2015年からのことだ。

2 thoughts on “本田雅一

  1. shinichi Post author

    蒲田の小さな鮨屋が世界的名店になったワケ

    世界的企業にも通じる「顧客価値」の再発見

    by 本田 雅一

    https://toyokeizai.net/articles/-/262301

    たった2人だけ。調理補助も掃除・洗濯の手伝いも雇わず、弟子の職人もいない。東京都大田区は蒲田。東京と川崎市の境目にある小さな夫婦鮨が、『ミシュランガイド東京』に10年連続二つ星で掲載され、1年以上先まで予約が取れない人気沸騰の世界的名店だと言われても、外食グルメ界隈に詳しくない人は何かの冗談ではないか?と思うかもしれない。

    2018年11月から業態を変え、銀座でもなかなか見られない高級店へと変貌したが「蒲田 初音鮨」が、すしをよく知る食通たちはもちろん、同業のすし職人、あるいは魚を扱う仲買人たちから高く評価されてきた理由は、驚くばかりの“顧客価値の高さ”を提供してきたからにほかならない。

    初音鮨を切り盛りするのは、明治の時代より125年続いてきたこの店の四代目親方・中治勝(かつ)と、女将のみえ子。2人が提供する“尋常ならざるすし”は、誰が食べても「おいしい」と唸る以外、言葉が出てこないほどのすばらしいものだが、おいしいというだけでは蒲田まで高級ずしを食べる客を呼ぶことはできない。

    銀座ではなく、蒲田まで通いたい、困難な予約を獲得してまで食べたいと思わせるだけの高い顧客価値。その創出には、いくつかの偶然も重なっているが、改めてこの店の成り立ちを俯瞰してみると、アップルやグーグル、アマゾンといった世界的企業が突出した成功を収めてきた背景に通ずる、そして硬直化した組織が見失いがちな精神があった。

    筆者が1月25日に上梓した書籍『蒲田 初音鮨物語』(KADOKAWA)では、中治夫妻の半生を通じて、世界的企業の成功と衰退の歴史にも通じる普遍的なビジネスの教訓と衰退を描いている。小さなすし店の中で起きた“イノベーション”とは――。

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    世界最高の希少な素材を惜しげもなく施す“仕事”

    中治のすしが評価される理由はシンプル。圧倒的においしく、またほかではない体験が得られるからだ。

    中治は過去13年にわたって、握りずしだけ(2018年3月まで。現在は料理も提供)で、四季折々を表現する”コース料理”を提供してきた。一般的にはすしネタとして使われない素材を、一般的なすしネタとは異なる手法で調理して握る。

    鱧(ハモ)の季節になれば、その鱧をまだ温かさの残る酢飯と合わせ、口の中でモグモグとかみしめるたび、ジューシーな鱧の肉汁、それに中治がほどよく引いた塩とスダチがちょうどいい塩梅で口の中においしさのハーモニーを奏で始める。

    まるまると太った牡蠣(カキ)を酒蒸しにし、その内臓を取り除いた部分に程よい熟成感のみそを詰めてシャリに合わせると、牡蠣のうま味を100%愉しめる一貫として、こちらもかむほどにうま味が広がる。

    どんな料理人も“スペシャリテ(独自の特別な1皿)”を持つものだが、中治は季節ごとの素材を吟味し、江戸前ずしの歴史をひもときながら、現代的な手法で組み立て直し、小さな1貫のすしに新たな物語を作り出していく。

    たとえば11月、白トリュフの季節も終わりを告げようとする頃、冬の到来を告げる鱈(タラ)の白子を中治は組み合わせる。白トリュフはイタリア・アルバ産の最高級品。動物性脂肪と相性の良いこの素材を、半熟に仕上げた温かいままの白子と合わせ、豊かな香りが鼻腔を刺激する、この季節だけの1貫が完成する。

    近年、海外からの高額買い付けで価格が高騰している近海物の黒鮪(クロマグロ)も、中治はまったく躊躇することなく大胆な仕事を施す。お客たちの目の前で、驚くほど大きく切り分けたすしの“サク”を、赤身、中トロ、大トロに切り分けると、その日、その季節の脂の乗り方に合わせ、軽く湯引きして長年注ぎ足してきた煮きりしょうゆで“ヅケ”にする。

    脂の多い大トロは、さらにわらの炎であぶり、表面の脂を程よく飛ばしたうえで、香ばしさを加えることで調和の取れた味を引き出す。

    中治の店では、生以外のネタは使わない。その季節、週ごとに変わる素材を見極めながら、異なる塩梅で仕事を施し、時に脂の香りが良いと見立てると、塩だけでトロを食べさせることもあるが、いずれにしても冷凍保存は使わずに毎回の使い切り。

    最高品質の鮪の仕入れ値が、1キロ当たり5万円以上することを考えれば、自信と大胆さがなければ、ここまでのことはできない。

    今でこそ豊洲に集まる希少素材の高騰から価格を上げた初音鮨だが、中治はずっと1人1万5000円という価格を10年以上守り続けた。

    “明日はない”との覚悟がもたらした、顧客価値の最大化

    もっとも、中治が日本中から最高の素材をかき集め、最上級の素材に、さらにほかにはない創意工夫(その多くは失敗作で、何度もやり直してきたという)を施し、“極限までおいしさを追求しよう”と、採算を度外視しているかのようなすしを提供し始めたのには、ある特別な理由があった。

    2005年、女将であるみえ子の右乳房に、ステージⅢ後期の乳がんが見つかったのだ。5年生存率は10%以下。乳がんの権威と言われた慈恵医大の専門医の見立ては厳しいものだった。

    今から13年前のこと。がん治療は現在ほど進んでおらず、13本のうち11本のリンパ管を右脇から取り除いたみえ子は、極めて厳しい抗がん剤治療を乗り越えねばならなかった。そんな様子を見た中治は、ひととおりの治療を終えて自宅へと戻ってきたみえ子と“2人だけ”で、最後の営業を行い、その食事の舞台を“可能な限り最高”にしようと誓った。

    がんという病気には“完治”という表現がない。あるのは“寛解”という言葉のみ。10年再発しなければ、再び生命保険に入れる寛解となるが、だからといって再発のおそれはつねにある。すなわち、明日は病院のベッドへと戻り、二度と店を開くことはないかもしれない。

    いや、それは中治も同じだ。交通事故である日突然、あの世に行くかもしれない。

    価値観を大きく変えた中治は、その日、その夜を最高の舞台とすること。明日はないとの覚悟を決めた。

    そう覚悟を決めたならば、細かく素材の仕入れ価格を抑え、安全装置とも言える料理人の“コスト感覚”をいっさい無視したすしを握ることができる。予約はスカスカ。希少な高級素材を仕入れたからといって、利益を上げていけるのか、リスクは極めて高い。

    「今日が最後なら、鮪の値段がいくらなのか、尋ねる奴がいるのか?」

    安全装置を外した中治は、ひたすらに“最高のすしとは何か”を求め始めた。

    2008年に『ミシュランガイド東京』が、大田区にあるレストランも評価対象に加えると、その後、たった2人だけで営業するこの店は、毎回、二つ星で掲載され続けるが、利益はほとんど出なかった。

    そんな初音鮨が予約困難店となったのは「食べログ」を通じて評判が広がり、驚きと称賛がネットを通じて知られるようになった2015年からのことだ。“今日が最後”と覚悟しての営業を10年近く続けたあるとき、SNSを通じて爆発的に知名度が上がり、ほかでは見られない中治の独創的なすしを食べたいお客たちが予約をこぞって入れ始めたのだ。

    利益を捨てた非常識経営の行き着いた先

    それが工業製品であれ、料理であれ、あるいはサービスであれ、商品を販売する事業において大切なことは、“顧客を信じ、顧客価値を高めることに専念する”ことだろう。中治のすしが変わったきっかけは、女将であるみえ子の病気だった。

    しかし、みえ子の乳がんをきっかけに利益を捨てた非常識経営に向かい始めると、お客たちはその素材の見立て、綿密に計算しながら組み立てられたすしの1貫、1貫を、しっかりと評価してくれた。

    お客の感覚を徹底して信じ、最高の1貫を生み出せば評価される――。

    中治がすし職人としてのステージを登ることができたのは、顧客の感覚を信じて、ただただ自分は最高のすしを求めたからだ。

    商品に対価を支払う顧客満足を高めることこそが、事業価値を高める。言葉で書くのは簡単だ。

    “何か困っていることがあるなら、それを解決しよう”

    どんな事業でも、設立当初の発想、目標はとてもシンプルだったはずだ。

    しかしながら、事業が拡大し、組織が大きくなり、さらなる成長を目指す中で、いつしか、“顧客を喜ばせたい”、あるいは“顧客が満足してくれる顔が見たい”といった部分が見失われていくことが多い。

    “短期的なROI(投資した資本に対して得られた利益)を整える”ことを目標とし、数字目標を達成しやすい打算的なマーケティングを優先せねば、“結果としての数字”を出せないジレンマに陥るからだ。

    もちろん、赤字垂れ流しでは事業は継続できない。しかしながら、“顧客価値とは何なのか”“自分たちが対価を得ている価値の源泉とは何なのか”を見つめ直したとき、そこに新たな気づきはないだろうか。

    顧客価値とは何かを見失い、コストを切り詰めるために魅力を失っていく製品やサービス、それにより毀損されていくブランド価値と衰退する企業――。

    新しい世代に向け“最高の笑顔を得る歓び”を伝えたい

    さてこの初音鮨。2018年3月、女将のみえ子に“骨転移”が発見され、8カ月間休業していた。体幹部にある大多数の骨にがんが転移し、さらに肺にまでそれが広がっていることがわかったためだ。

    しかし放射線治療に耐えたのち、再び11月に初音鮨を再オープンした。理由は“未来”を見据え、自分たちが積み上げてきたものを、多くの料理人に体験してほしいと考えたからだという。

    関東地区で回転ずしチェーンを展開するグルメ回転ずしの草分け「銚子丸」と提携し、幹部候補の職人を招き入れ、調理補助として自分たちのノウハウをすべて教えていく。全国の若手職人たちも、中治と同じツケ場に立ちたいと申し出ている。

    2人だけで明日をも顧みない店だった初音鮨だが、現在は改めて“すしの未来を切り開く”場へと衣替えして営業が続くこととなった。

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  2. shinichi Post author

    蒲田 初音鮨物語

    by 本田 雅一

    https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4048937588/toyokeizaia-22

    「妻の5年生存率は10%以下…」客足もまばらで、つぶれかけていた「蒲田 初音鮨」。それが突然、“奇跡の名店”として名を馳せるようになった背景には、ある夫婦の愛のドラマがあった。それは競争・闘争から融和への物語。

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