岡野八代

一対の男女の関係が社会の基盤になっているのはいびつだし、歴史的には特殊な在り方だと思います。夫・妻とそこに生まれた子どもで閉じた家族モデルが日本で一般的になったのは一九五〇年代半ばから。家事や育児は女性に無償の労働を強い、その裏返しとして男性は長時間労働を余儀なくされた。日本はそのひずみを是正するどころか、ある種のイデオロギーとして近代家族の価値を押し付け、そこから外れる人たちをバッシングしてきた。
カップル至上主義は日本の現実に合っていません。統計上、日本の世帯は単身世帯が一番多い。多くは高齢者ですが、結婚しなかった独身者も増えています。そのときに性愛だけの結び付きが家族を形成するというモデルでいいのか。単身者が互いに支え合い、共同で暮らす形態も家族と認め、法的にも担保すべきではないでしょうか。

2 thoughts on “岡野八代

  1. shinichi Post author

    性愛より「ケア関係」 同志社大教授・岡野八代さん

    聞き手・大森雅弥

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2019020202000238.html

     性的少数者であるLGBTへの理解が広がってきたのはいいことです。ただ、レズビアンの一人として、同性愛者だからといって同性のパートナーがいることを前提に語られることには違和感を覚えます。同性愛でも異性愛でも独りでいる人は珍しくないのに。

     問題は、人と人とのつながり方が性愛に特化して考えられていることです。性愛は自然なことと思われていますが、実はそうではない。多くの強い力によって水路づけられているのです。その意味で「夫婦の日」はうさんくさい(笑い)。

     特に一対の男女の関係が社会の基盤になっているのはいびつだし、歴史的には特殊な在り方だと思います。家族社会学でいう「近代家族」、夫・妻とそこに生まれた子どもで閉じた家族モデルが日本で一般的になったのは一九五〇年代半ばから。家事や育児は女性に無償の労働を強い、その裏返しとして男性は長時間労働を余儀なくされた。日本はそのひずみを是正するどころか、ある種のイデオロギーとして近代家族の価値を押し付け、そこから外れる人たちをバッシングしてきた。それが日本のカップル像です。

     カップル至上主義は日本の現実に合っていません。統計上、日本の世帯は単身世帯が一番多い。多くは高齢者ですが、結婚しなかった独身者も増えています。そのときに性愛だけの結び付きが家族を形成するというモデルでいいのか。単身者が互いに支え合い、共同で暮らす形態も家族と認め、法的にも担保すべきではないでしょうか。

     私が人と人とのつながりで性愛関係以上に重要と考えるのは、弱い存在を世話し、配慮する「ケア関係」です。人は生まれたとき、誰かケアしてくれる人がいないと生きられません。年を重ね心身の自由を失ったときもそう。ケアする・される関係にこそ政治は配慮すべきです。実際、カナダでは二〇〇一年に政府の諮問機関である法律委員会が、成人同士のケア関係について婚姻を中心とする家族と同等なものとして法的に扱うよう求める報告書を出しました。実現されませんでしたが。

     国を運営する政治家が子どもを増やしたいと希望するのは分かります。しかし、現実を見ない政策は意味がない。今苦しんでいる人たちに、自らの希望ではなく将来の展望を示してほしいです。

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  2. shinichi Post author

    多様化の実情考えて 弁護士・南和行さん

    聞き手・出田阿生

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2019020202000238.html

     大学時代に知り合った同性パートナーの吉田昌史弁護士と二〇一一年に結婚式を挙げ、家族や友人知人に二人の関係を披露しました。「弁護士夫夫(ふうふ)」として、法律事務所を共同で運営しています。同性カップルとして周囲に認知されて社会生活を送っているので、「結婚」はしています。でも、法律で保護される「婚姻」ではありません。

     弁護士として離婚などの案件を扱う中で、社会的安定のために結婚している人も多いと感じます。女性が経済的に自立できずに離婚できない背景には、就職差別や賃金格差など女性の置かれた社会的状況があります。「婚姻」は、個々人が愛情で結び付くイメージが強い「結婚」より、社会制度に組み込まれる意味合いが大きいのです。

     民法と戸籍法が想定する家族は、法律婚の男女から自然妊娠で生まれた子がいる家庭です。昔は人の移動も情報量も少なく、医療や科学技術も未発達だったので、家族の多様性が表に出づらかった。だから、法律が全ての家族に合致しているように多くの人が思えました。でも今は法の想定と、多様化した実情が合わなくなってきています。

     最近ようやく嫡出子と非嫡出子の相続差別が解消されたのをみても、婚姻、つまり現行法での結婚の本質は、愛情や共同生活の実情ではなく、代々家を継ぐための枠組みづくりです。

     でも、そもそも「好きだから一緒にいたい」という自然発生的な人間関係があり、そうやってさまざまな家族ができるのが実際です。それなのに、過去に法律を制定した時に表面化していなかったために、法律上保護される家族と、そうでない家族がある。なぜ、と思うのです。

     同性同士が結婚と同じように生活を送っているとする。でも、婚姻届を出して法律上の保護が得られるのは、戸籍の性別で男女の組み合わせに限定される。それも、法律が家族の形を限定している一例だと思います。

     同性婚訴訟が全国で起こされようとしています。僕は、法律の話以前に、結婚とは何だろう、家族とは何だろう、ということに個々人が立ち戻って考える時期が来ていると思っています。「人の自然な営みとして家族形成がある」ことと、「法律が家族を保護する」ことを、どう調整していくか。多様な家族を肯定する社会があってこそ、一人一人が幸せになれると信じています。

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